セドリック – 230型グロリアと手を組んだ、統合の起点

日産とプリンスの合併は1966年。
ですが、両社の看板車種であるセドリックとグロリアが本当の意味で「ひとつの屋根の下」に入ったのは、もう少し先の話です。
1971年に登場した230型セドリックこそが、その統合の実質的な起点でした。
合併から5年、ようやく踏み出した一歩


セドリック – 230型【グロリアと骨格を共有した3代目】
1971年の3代目セドリック230型。グロリアとの構造共用、コークボトルライン、国産初のピラーレス4ドアハードトップをたどる。
日産とプリンスが合併した直後、両ブランドの上級セダンはまだ別々の設計で走っていました。先代の130型セドリックとA30型グロリアは、車台もエンジンも異なる完全な別物です。合併したとはいえ、開発ラインや生産設備をすぐに統合するのは現実的に無理だった、というのが実情でしょう。
しかし、いつまでも同じクラスに別設計の2車種を並べておくわけにはいきません。開発コスト、部品管理、販売チャネルの整理。経営的に見れば、統合しない理由のほうが少なかった。230型は、そうした合併後の宿題にようやく手をつけた世代です。
プラットフォーム共有という現実解

セドリック – 330型【排出ガス規制の時代を走った4代目】
1975年登場の4代目セドリック330型。NAPS、331・332型への改良、2.2Lディーゼル、アジアハイウェーを走った実車をたどる。
230型セドリックと同時期に登場した230型グロリアは、基本プラットフォームを共有しています。ボディの骨格、サスペンション構成、エンジンラインナップといった車の根幹部分を共通化し、外装デザインや内装の味付けで差別化する。今でこそ当たり前の手法ですが、当時の日産にとっては大きな決断だったはずです。
なぜなら、セドリックは日産系ディーラー、グロリアは旧プリンス系ディーラーで売られていたからです。販売店にとって「中身が同じ車を看板を変えて売る」というのは、かなりデリケートな話でした。それでも共有化に踏み切ったのは、2車種を完全別設計で維持し続けるコストがもう限界だったということでしょう。
つまり230型は、「統合しなければならない」という経営の論理と、「違いを見せなければならない」という販売の論理の、ちょうど折衷点に立っていた車です。
L型エンジンと、時代が求めた直6

セドリック – 130型【流れる線と、新しい直列6気筒】
1965年登場の2代目セドリック130型。ピニンファリーナのフローイングライン、3種類の2Lエンジン、1968年の大きな改良までをたどる。
230型の心臓部として主力を担ったのが、日産の名機L型直列6気筒エンジンです。L20型(2.0L)を中心に、L24型やL26型といった排気量バリエーションが用意されました。直列6気筒のスムーズな回転フィールは上級セダンとの相性が良く、セドリック/グロリアの性格を支える重要な柱でした。
ただし、この時代はちょうど排ガス規制が厳しくなり始めた時期でもあります。1970年のマスキー法(米国)を受けて日本でも規制強化の流れが加速しており、230型のモデルライフ中にも対応が求められました。パワーよりもクリーン化。華やかなスペック競争から、地味だが避けられない環境対応へ。230型はそうした転換期のまっただ中にいた世代でもあります。
デザインに宿った「高級」の再定義

セドリック – 430型【直線基調とターボを得た5代目】
1979年登場の5代目セドリック430型。直線基調の車体、2.8L車のECCS、後から加わったターボと6気筒ディーゼルをたどる。
230型のエクステリアは、先代に比べてぐっと直線的になりました。ボンネットは長く、フェンダーラインはシャープ。1970年代初頭の日本車に共通する、アメリカ車の影響を受けつつも独自の端正さを目指したデザインです。
特にフロントグリルの造形は堂々としていて、当時の日本における「高級車らしさ」をストレートに表現しています。まだクラウンが最大のライバルだった時代。セドリックは「トヨタとは違う高級感」をどう見せるかに腐心していたはずで、230型のデザインにはその意志が読み取れます。
インテリアも同様で、ウッド調パネルやベロア素材の採用など、装備面での充実が図られました。ただ、グロリアとの差別化はあくまで外装の意匠が中心で、室内空間の基本設計は共通です。ここに、共有化の合理性と差別化の限界が同居しています。
「セドグロ」という呼ばれ方が意味するもの

セドリック – P31【高級車の形を決めた2代目の覚悟】
1962年登場の2代目セドリックP31系は、G型エンジンとピニンファリーナ監修のデザインで日産の高級車路線を確立。初代の模索を超え、国産上級セダンの基準を作った一台を読み解きます。
230型以降、セドリックとグロリアはしばしば「セドグロ」とひとまとめに呼ばれるようになります。これはユーザーやメディアが自然に使い始めた呼称ですが、裏を返せば「もう実質的に同じ車だよね」という認識が広がった証拠でもあります。
メーカーとしては差別化を主張したかったはずですが、市場の目はシビアです。プラットフォームが同じ、エンジンが同じ、サイズが同じ。違うのはグリルとエンブレム。この構図は、後の330型、430型と続くセドリック/グロリアの基本フォーマットになっていきます。
つまり230型は、日産の上級セダン戦略における「兄弟車商法」のテンプレートを作った世代です。良くも悪くも、ここで確立された方程式がその後20年以上にわたって踏襲されることになります。
統合の起点としての230型

セドリック – 30/31型【縦四灯から横四灯へ、初代の二つの顔】
1960年、オースチンの後を受けて登場した初代セドリック。縦四灯の30型から横四灯の31型へ変わり、3段ATや大型のスペシャルも加わった。日産が上級車を育てた最初の5年をたどる。
230型セドリックを一台の車として見れば、L型エンジンの滑らかさ、堂々としたスタイリング、上級セダンとしての十分な装備と、水準以上の完成度を持った車です。しかしこのモデルの本当の意味は、車単体の出来よりも「仕組みを変えた」ことにあります。
合併後の日産が抱えていた二重構造を、プラットフォーム共有という現実解で整理した。その判断がなければ、日産の上級セダンラインは開発コストに押しつぶされていたかもしれません。
230型は、華やかなエピソードが語られるタイプの車ではありません。でも、日産の商品体系を語るうえで外せない「構造の転換点」です。セドリックとグロリアが同じ道を歩き始めた、その最初の一歩。
地味かもしれませんが、系譜の中では決定的に重要な一台です。


セドリック – 230型【グロリアと手を組んだ、統合の起点】
Nissan
クルマのかるた
煽りだけで、クルマがわかるか。



