セドリック – Y31【バブルが本気で磨いた日産の正装】

  • hodzilla51
  • 7分で系譜を理解
セドリック – Y31【バブルが本気で磨いた日産の正装】

「ハイソカー」という言葉を聞いて、なんとなく80年代後半の空気を思い浮かべる人は多いと思います。

白いボディ、ハイオーナーカー、そしてとにかく豪華な内装。あの時代、日本の上級セダンは単なる移動手段ではなく、持ち主の社会的ステータスそのものでした。

Y31セドリックは、まさにその渦の中心にいた一台です。

1987年という時代の意味

Y31型セドリックがデビューした1987年は、日本がバブル景気の入り口に立っていた年です。地価も株価も上がり続け、消費者の財布は緩み、自動車メーカーにとっては「高いものを出せば売れる」という、ある意味で異常な追い風が吹いていました。

上級セダン市場では、トヨタのクラウン(S130系)が圧倒的な存在感を放っていました。日産はこのクラウンに対して、セドリック/グロリアという二枚看板で挑んでいたわけですが、先代のY30型は堅実ながらもやや地味な印象が拭えなかった。つまりY31は、バブルの空気を味方につけて一気にイメージを刷新する、そういう使命を背負って登場した世代です。

ちなみに、この時期の日産はまだ「技術の日産」というブランドイメージを保っていました。901運動──1990年代までに世界一の走行性能を実現するという社内目標──が掲げられた時期でもあり、Y31にもその気配は確かに宿っています。

RB型エンジンという転換点

Y31を語るうえで外せないのが、エンジンの世代交代です。先代Y30型ではL型直列6気筒が主力でしたが、Y31ではいよいよRB型エンジンが搭載されました。RB20DE、RB20DET、そしてトップグレードにはVG型V6も用意されましたが、Y31世代の象徴はやはりRB型です。

RB型は、L型に比べて回転フィールが格段に滑らかで、静粛性も高い。高級セダンに求められる「上質な回り方」を実現するには、このエンジン交代は不可欠でした。特にRB20DETのターボモデルは、当時としてはかなりパワフルで、185馬力を発揮しています。これは単なるスペック上の数字ではなく、「日産の上級セダンはちゃんと速い」というメッセージでもありました。

トヨタのクラウンが快適性と信頼性で勝負していたのに対し、日産は「走りの質」で差別化しようとしていた。RB型エンジンの採用は、その戦略の最も分かりやすい表現です。

バブルが許した装備の厚み

Y31の内装を見ると、時代の空気がそのまま閉じ込められています。本木目パネル、電動シート、オートエアコン、そしてグランツーリスモ系グレードに至っては電子制御サスペンションまで装備されていました。

今の感覚で言えば「まあ上級セダンなら当然でしょ」と思うかもしれません。ただ、1987年という時点でこれだけの電子装備を惜しみなく投入できたのは、バブル経済という特殊な環境があったからこそです。開発費も部品コストも、景気が良ければ通りやすい。Y31は、そういう時代の恩恵を最大限に受けたクルマでした。

外装デザインも、先代Y30の角張ったスタイルから一転して、やや丸みを帯びた流麗なラインに変わっています。フロントグリルの存在感は残しつつ、全体のシルエットはよりモダンに。このあたりのデザイン処理は、同時期のクラウンとはまた違う方向性で、日産なりの「品の良さ」を表現しようとした跡が見えます。

グランツーリスモという発明

Y31を語るなら、「グランツーリスモ」というグレード体系に触れないわけにはいきません。セドリック/グロリアにおけるグランツーリスモ系は、従来の「ブロアム」に代表されるフォーマル路線とは別に、スポーティな走りと上質さを両立させるという新しい価値軸を提示したものです。

エアロパーツ、専用サスペンション、ターボエンジン。これらを上級セダンにパッケージするという発想は、当時としてはかなり新鮮でした。クラウンにもアスリート系が後に登場しますが、日産のグランツーリスモはその先駆けと言っていいでしょう。

要するに、「おじさんのクルマ」だったセドリックに、若いオーナーが乗っても様になる選択肢を作ったわけです。この戦略は商業的にも成功し、グランツーリスモ系は以降の世代でもセドリック/グロリアの看板グレードであり続けました。

長寿モデルとしてのY31

意外と知られていないかもしれませんが、Y31型セドリックは極めて長い生産期間を持っています。個人向けモデルは1991年にY32へバトンタッチしましたが、タクシーや教習車などの営業車仕様は、なんと2014年まで生産が続きました。約27年間です。

これは単に「古いクルマが惰性で作られていた」という話ではありません。Y31の基本設計が、業務用途において極めて合理的だったということです。頑丈なフレーム構造、整備のしやすいエンジンレイアウト、そして長年の運用で蓄積された信頼性。華やかなバブル仕様とは別の顔として、Y31は日本の交通インフラを静かに支え続けました。

街でY31タクシーを見かけたことがある人は多いはずです。あの白いセダンが実はバブル期生まれだと知ると、ちょっと見る目が変わるかもしれません。

系譜の中のY31

Y31の後継であるY32型は、さらにバブルの恩恵を受けて豪華さを増しました。しかしバブル崩壊後のY33型以降、セドリック/グロリアは徐々に存在感を薄くしていきます。最終的には2004年のY34型を最後に、セドリックという車名は消滅しました。後継はフーガ、そして現在のスカイラインへと統合されていきます。

振り返ってみると、Y31はセドリック史上で最も「時代に恵まれた」世代だったと言えます。バブルの資金力がなければ、あれほどの装備は載せられなかった。901運動の気運がなければ、RB型エンジンへの転換はもう少し遅れたかもしれない。グランツーリスモという新しいグレード体系も、消費者の上昇志向が強い時代だからこそ受け入れられたのでしょう。

Y31セドリックは、日産が最も体力のあった時代に、最も本気で磨き上げた正装です。その華やかさの裏には、クラウンに追いつき追い越すための執念と、時代が許した贅沢が同居しています。

バブルの徒花と片付けるには、あまりにも実直な設計が残っている。そ

こがこのクルマの、いちばん面白いところだと思います。

セドリックの系譜

小鍛治康人(やすと)

 

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Nissan

小鍛治康人(やすと)

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hodzilla51

クルマの系譜を追ってたら、いつの間にかサイトになっていました

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