セドリック – Y32【バブルが残した最後の贅沢】

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セドリック – Y32【バブルが残した最後の贅沢】

タイミングが悪い、というのは車にとって致命的なことがあります。Y32型セドリックは、まさにそういう一台でした。

バブル経済の絶頂期に企画・開発され、その果実がようやく実ったとき、世の中はもう別の季節に変わっていた。

1991年6月のデビューは、日本経済の転落とほぼ同時だったのです。

バブルが描いた「次の高級車」

Y32型セドリックの開発が本格化したのは、1980年代後半のことです。当時の日産は、トヨタのクラウンに対して常に二番手という立場を覆したいと強く考えていました。先代のY31型は堅実な設計で法人需要をしっかり押さえていたものの、個人ユーザーの心を掴むには少し地味だった。次のモデルでは「本当に欲しいと思わせる高級車」を目指す、というのが企画の出発点でした。

しかもこの時期、日本の高級車市場には大きな変化が起きていました。1989年にトヨタがセルシオ(レクサスLS400)を発表し、国産高級車の基準が一気に引き上げられたのです。静粛性、乗り心地、質感のすべてにおいて、従来の「日本のフォーマルセダン」では足りない、という空気が生まれていました。

Y32はこの空気のなかで形作られました。つまり、「クラウンに勝つ」だけでなく、「セルシオが示した新しい基準」にも応えなければならない。バブル景気の追い風もあって、開発予算には余裕があった。結果として、日産がこのクラスに注ぎ込んだリソースは、歴代セドリックのなかでも屈指のものになりました。

丸みへの転換が意味したこと

Y32を見てまず目に入るのは、先代Y31から大きく変わったデザインです。Y31の直線基調・角張ったフォルムに対して、Y32は明らかに丸みを帯びた、流麗なボディラインを採用しました。これは単なる流行の追随ではなく、「フォーマルセダンの殻を破る」という明確な意図がありました。

当時、欧州の高級車はBMW 5シリーズ(E34)やメルセデス・ベンツSクラス(W140)に代表されるように、曲面を活かしたデザインに移行しつつありました。日産のデザインチームは、セドリック/グロリアの顧客層が徐々に若返りつつある点にも注目していたとされます。法人の社用車だけでなく、オーナードライバーに「自分で選んで乗りたい」と思わせる存在感が必要だった。

ただ、この変化は既存ユーザーにとっては大きな断絶でもありました。Y31の端正でフォーマルな佇まいを好んでいた層からは、「セドリックらしくない」という声も少なくなかった。実際、法人タクシー・ハイヤー向けにはY31がしばらく併売され続けたという事実が、この断絶の大きさを物語っています。

中身に詰め込まれた「バブルの本気」

Y32の真価は、むしろメカニズムと装備にあります。エンジンラインナップの頂点に据えられたのは、VG30DET——3.0リッターV6ターボで、最高出力は255馬力。先代にもターボモデルはありましたが、Y32ではさらに洗練され、滑らかなパワーデリバリーが追求されました。

加えて、自然吸気のVG30DEやVG20系も用意され、幅広いグレード構成を実現しています。注目すべきは、このクラスの国産セダンとしてはかなり意欲的に電子制御が導入されていた点です。スーパーハイキャス(4輪操舵)がグランツーリスモ系グレードに設定され、大柄なボディの取り回しと高速安定性の両立を狙いました。

インテリアの作り込みも、バブル期の企画らしく手厚いものでした。本木目パネル、電動調整シート、オートエアコンの制御精度、遮音材の物量——どれをとっても「コストを惜しんでいない」ことが伝わる仕上がりです。特にブロアム系の上級グレードでは、後席の居住性と静粛性に相当な開発リソースが割かれていました。

要するに、Y32はバブル期の潤沢な予算と「次こそクラウンを超える」という執念が合流した結果として生まれた車です。技術的にも装備的にも、出し惜しみがない。ただし、それが市場に受け入れられるかどうかは、また別の話でした。

バブル崩壊という逆風

Y32が発売された1991年は、すでにバブル経済の崩壊が始まっていました。地価は下落に転じ、企業の経費削減が本格化し、法人需要は急速に冷え込んでいきます。高級セダン市場そのものが縮小に向かうなかで、Y32は「バブルの申し子」というレッテルを貼られやすい存在でした。

もちろん、同時期のクラウン(S140系)も同じ逆風を受けています。しかしクラウンにはトヨタの販売網という圧倒的な地力がありました。対する日産は、この時期すでに経営の悪化が表面化しつつあり、販売現場の勢いでもトヨタに差をつけられていた。Y32の商品力がいくら高くても、売る力で負けていたのです。

さらに言えば、日産自身がこの時期、インフィニティQ45(G50型)というフラッグシップを抱えていました。セドリック/グロリアの上にもう一台高級車がいるという構造は、ブランドの焦点をぼやけさせた面があります。「日産の高級車とは何か」が社内でも整理しきれていなかった時期です。

グランツーリスモという発明

ただ、Y32がただの不運な車だったかというと、そうでもありません。このモデルで特筆すべきは、「グランツーリスモ」系グレードの存在感がさらに強まったことです。

グランツーリスモという名称自体はY31から使われていましたが、Y32ではスポーティグレードとしてのキャラクターがより明確になりました。エアロパーツ、専用サスペンション、スーパーハイキャス、そしてVG30DETの組み合わせ。大柄なフォーマルセダンでありながら、走りを楽しむという価値を正面から提案したのです。

この路線は、後のY33、Y34へと受け継がれ、最終的にはフーガ(Y50)の「スポーティな高級セダン」というコンセプトにまで繋がっていきます。つまりY32のグランツーリスモは、日産の高級セダンが「運転する人のための車でもある」というアイデンティティを確立した重要な起点だった、と言えます。

VIPカー文化の文脈でも、Y32は特別な存在です。1990年代後半から2000年代にかけて、Y32はカスタムベースとして高い人気を誇りました。丸みを帯びたボディラインがエアロとの相性に優れ、車高を落としたときのシルエットが美しかったからです。メーカーの意図とは異なる形で、Y32は「愛される車」になりました。

時代の裂け目に立った車の意味

Y32セドリックを振り返ると、この車はある種の「証拠品」のような存在だと感じます。バブル期の日本の自動車メーカーが、どれほど本気で高級車を作ろうとしていたか。その志の高さと、それを受け止めきれなかった時代のギャップ。Y32にはその両方が刻まれています。

商業的に大成功したとは言い難い。クラウンの牙城を崩すこともできなかった。しかし、このモデルで試みられた「走れる高級セダン」という方向性は、その後の日産のセダン戦略に確かな道筋を残しました。

バブルが弾けた後に届いた、バブルが本気で作った車。Y32はそういう一台です。タイミングは最悪だったかもしれない。

でも、中身は本物でした。

セドリックの系譜

小鍛治康人(やすと)

 

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Nissan

小鍛治康人(やすと)

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