セドリック – 30/31型縦四灯から横四灯へ、初代の二つの顔

初代セドリックには、二つの顔があります。
1960年に登場した30型は縦四灯。1962年の31型では、四つのヘッドライトが横に並びます。写真を見比べると、同じ車名とは思えても、同じ顔とは思えません。
ここが初代の面白いところです。31型は2代目ではない。初代のまま、見た目も中身も手を入れ続けたのです。
オースチンの次を、日産の名前でつくる
日産は1952年、英国オースチンと技術提携を結びました。翌1953年にA40の国内組立を始め、A50では1956年に全部品を国産化します。英国車を組み立てるところから、少しずつ自分たちでつくるところまで進んだのです。
1960年3月にその提携は終わります。そして翌4月、オースチンA40・A50の後を受ける車として、セドリック30型が登場しました。最初は1,500ccのセダンです。
提携が終わった途端に、何もないところから高級車が生まれたのではありません。外から学んだ技術を土台に、今度は自分たちの車名を持つ上級セダンを出した。初代セドリックは、その切り替わりの中にいます。
縦四灯と、日産初のモノコック
30型のフロントには、ヘッドライトが縦に二つずつ並んでいます。左右まで回り込むフロントガラスも含め、姿は当時のアメリカ車を思わせるものでした。
見た目は華やかですが、注目したいのはその下です。30型は日産初のモノコックボディを採用しました。車体そのものが骨格を担う構造で、セドリックは上級車としての姿だけでなく、日産の乗用車づくりの新しい一歩も背負っていたのです。
発売から半年後の1960年10月には、1.9Lのカスタムが加わります。1961年5月には1.9Lデラックスも追加されました。最初の1.5Lだけでラインアップを固定せず、上の仕様を増やしていきます。
1961年式G30カスタムでは、H型1,883ccの直列4気筒が88PSを発生。全長4,510mm、ホイールベース2,630mmです。セドリックは登場からわずか1年で、エンジンも装備も選べる上級セダンになっていました。
一方、最初の1.5Lエンジンにも意外な続きがあります。1962年登場のダットサン・フェアレディ1500は、ブルーバードの車台とセドリック30型のエンジンをもとに生まれました。上級セダンの心臓が、小さなスポーツカーにも渡ったのです。
31型は、顔だけの化粧直しではない

1962年11月、30型は31型へ改良されます。縦四灯を横に置き直すと、フロントは低く、どっしりと見えるようになりました。
この横四灯は、日産自身が後の高級車にも影響を与えたデザインと振り返っています。初代の途中で選んだ顔が、その後の上級車を考える手がかりにもなりました。
それだけなら、印象を変えるための改良だったと言えるかもしれません。でも、ホイールベースも60mm延びて2,690mmになりました。当時の国産中型車では最長クラスです。室内のゆとりも増しています。
1964年式H31カスタムの全長は4,650mm。先ほどの1961年式G30カスタムと比べると、140mm長くなりました。一方で、H型1,883cc・88PSというエンジンの数字は、この2台のカスタムで変わっていません。
出力の数字を増やさず、乗る人の空間を広げる。31型は外観の印象だけでなく、上級セダンとしての中身を磨いた改良でした。
3段ATが加わった意味
31型では、前進3段のトルクコンバーター式ATも採用されました。日産はこれを国産車初の前進3段式完全自動変速機と紹介しています。
運転手がクラッチを踏み、ギヤを選ぶ。その操作をクルマに任せられるようになることは、馬力を上げるのとは違う快適さです。運転する人の負担まで減らせるなら、上級車としての価値は後席の広さだけでは決まりません。
横四灯と長いホイールベース、そしてAT。31型は初代の改良型でありながら、初代の可能性をかなり先まで押し広げた車でした。
初代には、さらに大きなスペシャルもいた

30型から31型へと続く頃、もう一つの方向へ伸びたセドリックがあります。50型のセドリック・スペシャルです。
1964年式の50型は、全長4,855mm、ホイールベース2,835mm。K型2,825ccの直列6気筒で115PSを発生します。31型カスタムより、さらに145mm長いホイールベースです。
「スペシャル」という名前だけでは、装備を豪華にした仕様にも聞こえます。でも、1.9Lの直列4気筒から2.8Lの直列6気筒へ。車体もエンジンも大きくし、セドリックの名前を大型乗用車の領域まで広げた一台でした。
1964年の東京オリンピックでは、その一台が聖火搬送車を務めました。車体側面に「TOKYO 1964」の文字を記した車が、いまも日産のヘリテージコレクションに残っています。上級セダンとして始まった車名が、国を挙げた行事にも使われたのです。
50型が担った大型乗用車の位置は、1965年以降、プレジデントへ引き継がれていきます。初代セドリックは一つの車体、一つの排気量だけで終わったシリーズではありません。
2代目へ渡したもの
1965年、セドリックは130型へモデルチェンジします。ピニンファリーナが手がけた欧州的な外観を持つ、ここからが2代目です。
初代の5年間で、セドリックは「オースチンの後継」という役目を脱ぎました。モノコックの30型を起点に、31型では室内と運転の快適さを磨く。50型が担った大型車の役割はプレジデントへ渡す。130型が受け継いだのは、日産が自分たちの上級車を育て続けるための土台でした。


セドリック – 30/31型【縦四灯から横四灯へ、初代の二つの顔】
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