セドリック – P30【日産が「高級」に手を伸ばした最初の一手】

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セドリック – P30【日産が「高級」に手を伸ばした最初の一手】

1960年という年は、日本の自動車産業にとって大きな転換点でした。モータリゼーションの波が押し寄せ、大衆車だけでなく「上級車」の市場が現実味を帯び始めた時期です。

そのタイミングで日産が送り出したのが、初代セドリック・P30型。

日産が「高級乗用車メーカー」としての看板を掲げた、まさに最初の一手です。

なぜ日産は高級車を必要としたのか

1950年代後半の日産は、ダットサンブランドの小型車で着実に販売を伸ばしていました。ダットサン・210やブルーバードといったモデルが国内外で支持を集め、量産メーカーとしての地盤は固まりつつあった。しかし、当時の日産にはひとつ足りないものがありました。上級セグメントを担う自社製の乗用車です。

官公庁や企業の役員車といった需要は確実に存在していて、そこを押さえていたのはトヨタのクラウンであり、もうひとつの強力なライバルがプリンス自動車のグロリアでした。特にプリンスは技術志向の高いメーカーとして知られ、グロリアは先進的な設計で評価を得ていた。日産がこの市場に参入しなければ、上級車の領域をライバルに明け渡すことになる。セドリックの開発には、そうした危機感が色濃く反映されています。

「セドリック」という名前が示す狙い

車名の「セドリック」は、フランシス・ホジソン・バーネットの小説『小公子』の主人公セドリックに由来するとされています。気品と誠実さを象徴するキャラクターから名前を借りるあたり、日産がこの車にどんなイメージを重ねたかったかが透けて見えます。ダットサンの実用的で庶民的なイメージとは、意図的に距離を取ろうとしていたわけです。

実際、セドリックは「ダットサン」ではなく「ニッサン」ブランドで販売されました。当時の日産は、小型車をダットサン、上級車をニッサンと明確にブランドを分けていた。セドリックはその「ニッサン」の顔として市場に送り出された、いわばブランド戦略の象徴でもあったのです。

P30型の設計思想と技術的な立ち位置

P30型セドリックに搭載されたエンジンは、当初G型と呼ばれる直列4気筒OHV・1.5リッターでした。のちに1.9リッターのH型エンジンも追加されていますが、いずれにしても排気量としてはそこまで大きくありません。ただ、当時の日本の道路事情や税制を考えれば、むやみに大排気量にするよりも実用的なバランスを取るほうが合理的でした。

ボディは当時としてはかなり大柄で、全長は約4.6メートル。室内空間の広さと乗り心地を重視した設計です。サスペンションはフロントが独立懸架、リアはリーフスプリングのリジッドアクスルという構成で、これは同時代のセダンとしてはごく標準的。革新的な技術で勝負したというよりは、信頼性と快適性を手堅くまとめたという表現が正確でしょう。

デザインはアメリカ車の影響を強く受けたもので、丸みを帯びたボディラインに大きなグリル、テールフィンの名残が見られます。1960年前後の日本車に共通する傾向ですが、セドリックの場合はそれが「高級感の演出」として機能していた面があります。当時の日本では、アメリカ車的な押し出しの強さがそのまま上質さの記号だったからです。

プリンス・グロリアとの対比

セドリックを語るうえで、プリンス・グロリアとの関係は避けて通れません。グロリアは1959年に初代が登場しており、セドリックより一足先に市場に出ていました。しかもプリンスは航空機技術の流れを汲むメーカーで、エンジニアリングの先進性では定評がある。グロリアはOHCエンジンやド・ディオン式リアサスペンションなど、技術的に攻めた仕様を採用していました。

対するセドリックは、技術的な冒険よりも量産品質と販売網の強さで勝負するタイプの車でした。日産はすでに全国規模のディーラーネットワークを持っており、アフターサービスの安心感という点ではプリンスを上回っていた。つまり、同じ「高級セダン」でも、グロリアが技術で魅せる車なら、セドリックは総合力で選ばせる車だったと言えます。

この構図は、1966年にプリンスが日産に吸収合併されたあと、セドリックとグロリアが兄弟車として並存する時代へとつながっていきます。P30型の時点ではまだライバル同士でしたが、後の合併を知っている目で見ると、両車の性格の違いがそのまま日産社内の二つの設計思想として残っていったのが面白いところです。

初代が残したもの

P30型セドリックは、販売台数の面でクラウンに大差をつけられたわけではなく、一定の存在感を示しました。特に法人需要やタクシー用途では堅調で、日産の上級車ラインナップの基盤を築くことに成功しています。

もっとも、初代の時点ではまだ「高級車としての独自の世界観」が確立されていたとは言いにくい。デザインも技術も、時代の標準をきちんと押さえた優等生的なまとめ方であり、クラウンやグロリアに対して「セドリックでなければならない理由」を強烈に打ち出せていたかというと、正直なところ微妙です。

ただ、それは初代モデルの宿命でもあります。重要なのは、日産がこの車で上級車市場に橋頭堡を築いたという事実そのものです。この一歩がなければ、後の130型や230型といった名車たちは生まれていない。セドリックという車名が半世紀以上にわたって続く長寿シリーズになった原点が、このP30型にあります。

「最初の一手」の意味

初代セドリックは、華々しい技術革新や圧倒的な性能で語られる車ではありません。むしろ、日産という会社が「自分たちも高級車を作れる」と市場に宣言するための車でした。

1960年の日本で、大衆車メーカーが上級セグメントに挑むというのは、それだけでひとつの賭けです。しかもライバルにはすでにクラウンとグロリアがいる。そこに正面から参入し、きちんと売れる車を出して市場に定着させた。この実績こそが、P30型セドリック最大の功績です。

派手さはなくとも、始まりがなければ系譜は生まれない。セドリックの歴史は、この地味で堅実な初代から始まっています。

セドリックの系譜

小鍛治康人(やすと)

 

セドリック – P30【日産が「高級」に手を伸ばした最初の一手】

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小鍛治康人(やすと)

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hodzilla51

クルマの系譜を追ってたら、いつの間にかサイトになっていました

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