セドリック – P130【直6を得て「高級車」になった転換点】

  • hodzilla51
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セドリック – P130【直6を得て「高級車」になった転換点】

日産セドリックが「本当の高級車」になったのは、いつからか。

初代でもなく、2代目でもない。多くの人が思い浮かべる「セドリックらしさ」の原型は、1965年に登場した3代目、P130系から始まっています。

直列6気筒エンジンの搭載、ひとまわり大きくなったボディ、そして明確に「トヨタ・クラウンを倒す」という意志。この世代から、セドリックは単なる上級セダンではなく、日産を代表するフラッグシップとしての自覚を持ち始めました。

4気筒では届かなかった場所

セドリックの初代(30系)と2代目(50系)は、いずれも直列4気筒エンジンを主力としていました。当時の日産にとって、4気筒でも十分に「大きなクルマ」だったわけです。ただ、ライバルのトヨタ・クラウンは1962年の2代目(S40系)で直列6気筒を搭載し、「6気筒=高級車」というイメージを着実に築いていました。

つまり、4気筒のままでは「格」の勝負で不利だった。排気量や馬力の話だけではなく、6気筒エンジン特有の滑らかな回転フィールそのものが、当時の高級車の条件だったのです。振動が少なく、静かで、余裕がある。そういうフィーリングは、4気筒をどれだけ磨いても追いつけない領域でした。

3代目セドリックが直列6気筒のL20型エンジン(1,998cc)を搭載したのは、単なるスペック競争ではありません。「高級車として認められるための最低条件」を満たしにいった、という方が正確です。

1965年という時代の空気

P130系が登場した1965年は、日本のモータリゼーションがいよいよ本格化した時期にあたります。前年の1964年には東京オリンピックが開催され、名神高速道路も全線開通。高速道路時代の到来とともに、クルマに求められる性能も変わりつつありました。

街中をゆっくり走るだけなら4気筒で十分です。しかし高速道路を長距離移動する時代になると、エンジンの余裕、車体の安定感、室内の静粛性が一気に重要になる。大型化と6気筒化は、時代の要請でもあったわけです。

加えて、この時期は法人需要——つまり社用車・役員車としての需要が急拡大していました。企業が成長し、重役を乗せるクルマに「それなりの格」が求められるようになった。セドリックが狙ったのは、まさにこの市場です。クラウンが先行していたこの領域に、日産が本気で殴り込みをかけたのがP130系だったと言えます。

ボディとシャシーの大幅刷新

P130系のボディは、先代から明確に大型化されました。全長は約4,680mm、全幅は約1,690mmに達し、堂々とした存在感を持つプロポーションになっています。デザインもアメリカ車の影響を受けたフラットなラインが特徴で、当時の「高級車らしさ」を強く意識したものでした。

ただ、大きくなっただけではありません。サスペンション形式も見直され、フロントにはダブルウィッシュボーン、リアにはリーフスプリングという構成ながら、乗り心地の改善が図られています。高速走行時の安定性と、後席の快適性を両立させることが、このクラスでは絶対に外せない要件でした。

エンジンのバリエーションも段階的に拡充されました。当初のL20型に加え、後にはより大排気量のモデルも追加されています。特にタクシー向けにはLPG仕様も用意され、法人需要を幅広くカバーする商品構成が組まれました。高級車でありながら「働くクルマ」でもあるという、セドリック特有の二面性はこの世代で明確になっています。

クラウンとの距離、グロリアとの関係

P130系セドリックを語るうえで避けて通れないのが、トヨタ・クラウンとの競合関係です。1960年代半ば、国産高級セダン市場はほぼクラウンとセドリックの二択でした。いわゆる「CS戦争」——セドリック(Cedric)とクラウン(Crown)の頭文字を取った呼び名——が本格化したのが、まさにこの世代からです。

クラウンはすでに2代目で直6を載せ、保守的ながら完成度の高い高級セダンとして市場に定着していました。セドリックはそこに追いつき、追い越すことを求められたわけです。結果として、P130系は販売面でクラウンを完全に逆転するには至りませんでした。ただ、「勝負の土俵に立った」という意味では、この世代の意義は非常に大きい。

もうひとつ重要なのが、プリンス自動車との合併(1966年)によって、グロリアが日産のラインナップに加わったことです。合併後、セドリックとグロリアは兄弟車としての関係を深めていくことになりますが、P130系の時点ではまだ別々のメーカーの製品でした。つまりP130系は、「日産単独で作った最後のセドリック」とも言える存在です。

高級車の「型」を作った世代

P130系が残したものは何か。それは「セドリックとはこういうクルマだ」という基本フォーマットの確立です。直列6気筒エンジン、大柄なボディ、法人にも個人にも対応する幅広いグレード構成。この構図は、後の230系、330系、そして430系へと受け継がれていきます。

逆に言えば、P130系以前のセドリックは、まだ「高級車としてのセドリック」の形が定まっていなかった。4気筒エンジンの上級セダンという立ち位置は、当時としては悪くなかったものの、クラウンとの直接対決には力不足だったのが実情です。

P130系は、華々しい勝利を収めた世代ではありません。販売台数でクラウンを圧倒したわけでもなく、技術的に革命を起こしたわけでもない。しかし、日産が「高級車メーカー」として戦う覚悟を形にした最初の一台でした。ここで直6を載せ、ボディを大きくし、クラウンと正面から向き合ったからこそ、その後のセドリック/グロリアの系譜が成立したのです。

地味に見えるかもしれません。でも、系譜というのは派手な世代だけで成り立つものではない。

P130系は、セドリックが「セドリックになった」世代です。

セドリックの系譜

小鍛治康人(やすと)

 

セドリック – P130【直6を得て「高級車」になった転換点】

Nissan

小鍛治康人(やすと)

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hodzilla51

クルマの系譜を追ってたら、いつの間にかサイトになっていました

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