セドリック – P230【日産の高級車が「大人」になった瞬間】

  • hodzilla51
  • 8分で系譜を理解
セドリック – P230【日産の高級車が「大人」になった瞬間】

日産セドリックといえば、長らく日本の高級セダンの代名詞でした。ただ、その歴史を丁寧にたどると、あるモデルで明確に「空気が変わった」瞬間があります。

1968年に登場した3代目、P230型です。

このクルマを境に、セドリックは古典的な重厚さから脱皮し、モダンで洗練された高級車へと変貌を遂げます。そしてこの世代こそが、のちにグロリアと車台を共有し「セドリック/グロリア」という双子体制へ向かう、いわば統合前夜の一台でした。

1960年代後半、高級車に求められたもの

P230型が登場した1968年は、日本のモータリゼーションが本格的に加速していた時代です。マイカーブームはすでに始まっており、大衆車の普及が進む一方で、高級車にはそれまでとは違う「品格」が求められるようになっていました。

先代の130型セドリックは、縦目のヘッドライトに象徴される堂々としたアメリカンスタイルで人気を博しました。しかし1960年代後半に入ると、世界の自動車デザインは急速にモダン化が進みます。アメリカ車の影響を色濃く残すスタイリングは、もはや「重厚」ではなく「古い」と受け取られかねない時期に差しかかっていたのです。

加えて、ライバルであるトヨタ・クラウンも着実に世代交代を重ねていました。日産としては、セドリックを単に新しくするだけでなく、高級車としての説得力そのものを再定義する必要がありました。

L型エンジンという「武器」

P230型セドリックを語るうえで、絶対に外せないのがL型エンジンの搭載です。この直列6気筒OHCエンジンは、日産が当時の技術を結集して開発したユニットで、のちにフェアレディZやスカイラインにも展開される、日産の屋台骨となるエンジンファミリーでした。

P230型にはL20型(2.0リッター)を中心に搭載され、従来のOHVエンジンからの世代交代を果たしています。OHCとは、カムシャフトをシリンダーヘッド上部に配置する方式で、高回転域での効率に優れるのが特徴です。つまり、より滑らかに、より力強く回るエンジンになったということです。

高級セダンにとって、エンジンの滑らかさは乗り心地と直結します。L型エンジンの採用は、単なるスペックの向上ではなく、「乗った瞬間に感じる上質さ」を底上げする選択でした。この判断が、セドリックの商品力を根本から変えたと言っていいでしょう。

ちなみにL型エンジンは、その後1980年代まで日産の多くの車種で使われ続けます。P230型は、その長い歴史の最初期にこのエンジンを高級車に載せたモデルという意味でも、記憶されるべき存在です。

デザインの転換点

P230型のもうひとつの大きな変化は、デザインの方向転換です。先代までのアメリカンテイストから離れ、よりヨーロピアンでクリーンなラインを採用しました。

フロントまわりは水平基調に整理され、全体のプロポーションもすっきりとまとまっています。派手さで押すのではなく、面の張りとラインの通り方で品格を表現するアプローチです。これは当時の欧州車、特にメルセデス・ベンツやBMWが志向していた方向性と重なります。

ただし、単に欧州車を模倣したわけではありません。ボディサイズは日本の道路事情を考慮した範囲に収められ、リアまわりの処理には日産独自の造形が見られます。要するに、「世界基準を意識しつつ、日本の高級車としてのバランスを取った」デザインだったのです。

このデザイン転換は、セドリックのブランドイメージを大きく刷新しました。法人需要やハイヤー用途だけでなく、個人オーナーが「自分のクルマ」として選べる高級車へ。P230型は、そうした方向への舵切りを明確にした世代です。

グロリアとの統合前夜

P230型セドリックを系譜のなかで見るとき、もうひとつ重要な文脈があります。それは、プリンス自動車から引き継いだグロリアとの関係です。

1966年、日産はプリンス自動車工業と合併しました。これにより、日産のセドリックとプリンスのグロリアという、同クラスの高級セダンが社内で並立する状態が生まれます。当然、いずれはこの二車種をどう整理するかが経営課題になります。

P230型の時点では、セドリックとグロリアはまだ別々のプラットフォームで作られていました。しかし、次の230型世代(1971年登場)で両車は車台を共有し、「セドリック/グロリア」という兄弟車体制へ移行します。

つまりP230型は、セドリックが「セドリック単独」として存在した最後の世代のひとつなのです。グロリアとの統合を見据えながらも、まだ独自のアイデンティティを保っていた時期。この微妙な立ち位置が、P230型の歴史的な面白さでもあります。

合併直後の日産社内では、旧プリンス系と旧日産系の技術者・設計思想がぶつかり合っていた時期でもありました。P230型は、そうした社内の過渡期に生まれたクルマとして、単なるモデルチェンジ以上の意味を持っています。

高級車としての評価と限界

P230型セドリックは、L型エンジンとモダンデザインの組み合わせにより、市場で一定の評価を得ました。特に法人需要では安定した支持を受け、タクシーやハイヤーとしても広く使われています。

一方で、トヨタ・クラウンとの販売競争では苦戦する場面もありました。クラウンは「いつかはクラウン」というブランド戦略で個人オーナー層を着実に取り込んでおり、セドリックはどちらかというと法人・公用車のイメージがつきまとう傾向がありました。

この「高級車なのに、どこか実用車的な匂いがする」という二面性は、セドリックというブランドが長年抱え続けた課題でもあります。P230型はデザインで大きく前進しましたが、ブランドイメージの転換は一世代では完了しなかった、というのが正直なところでしょう。

セドリックが「変わった」起点

P230型セドリックは、派手なエピソードで語られることの多いクルマではありません。フェアレディZのような華やかさも、スカイラインGT-Rのような伝説性もない。しかし、日産の高級車戦略にとっては、間違いなくターニングポイントとなった一台です。

L型エンジンの採用でパワートレインを近代化し、デザインで欧州的な洗練を取り入れ、そしてグロリアとの統合という大きな構造変化の直前に位置する。このクルマがなければ、その後のセドリック/グロリア兄弟車体制はもっと違った形になっていたかもしれません。

日産の高級車が「大人」になった瞬間。P230型セドリックは、そう呼ぶにふさわしい世代です。地味に見えるかもしれませんが、系譜を読み解くうえでは、絶対に飛ばしてはいけない一台なのです。

セドリックの系譜

小鍛治康人(やすと)

 

セドリック – P230【日産の高級車が「大人」になった瞬間】

Nissan

小鍛治康人(やすと)

この記事を書いた人

hodzilla51

クルマの系譜を追ってたら、いつの間にかサイトになっていました

関連車種