1シリーズMクーペ – E82【最後のFR直6コンパクトが纏った、Mの暴力】

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1シリーズMクーペ – E82【最後のFR直6コンパクトが纏った、Mの暴力】

BMWのMモデルといえば、M3やM5のように既存モデルの頂点として君臨する存在が思い浮かびます。

ところが2011年に登場した1シリーズMクーペ(通称1M)は、その図式からやや外れた車でした。

正式な「M1」ではなく「1シリーズMクーペ」。

ネーミングからして、どこか間に合わせのような、あるいは確信犯的な匂いがする。

実際、この車の成り立ちをたどると、計画的に生まれたというよりは「やれる条件が揃ったから、やった」という空気が見えてきます。

E82という器が先にあった

まず前提として、1シリーズMクーペのベースとなったE82型1シリーズクーペの立ち位置を押さえておく必要があります。

E87系の1シリーズは2004年に登場したBMWのエントリーモデルでしたが、そのクーペ版であるE82は2007年にデビューしています。

ここで重要なのは、E82がFR(後輪駆動)レイアウトを採用していたことです。BMWにとってFRは伝統ですが、コンパクトセグメントでFRを維持するのは、パッケージング的にもコスト的にも楽ではありません。実際、次世代の2シリーズ以降ではFFベースに移行するモデルも出てきます。つまりE82は、BMWがコンパクトクラスでFRを貫いた最後の世代のひとつだったわけです。

ホイールベースはおよそ2,660mm。3シリーズ(E90)より短く、車重も軽い。この「小さくて軽いFRクーペ」という器が、後にMディビジョンの手に渡ることになります。

M3のエンジンを積まなかった理由

1シリーズMクーペの心臓は、N54型3.0L直列6気筒ツインターボです。

最高出力340ps、最大トルク450Nm。これは当時のM3(E90/E92)に搭載されていたS65型4.0L V8自然吸気とはまったく別のエンジンです。

なぜM3のエンジンを載せなかったのか。理由はいくつかあります。

まずS65型V8は物理的にE82のエンジンベイに収めるのが困難でした。さらに、専用エンジンの搭載は開発コストを跳ね上げます。1シリーズベースの限定的な生産台数では、その投資を回収しにくい。

そこで白羽の矢が立ったのが、135iにも搭載されていたN54型でした。このエンジンは「Ward's 10 Best Engines」を3年連続で受賞した名機で、チューニングの伸びしろも十分。Mディビジョンはこのエンジンに専用のチューニングを施し、出力を340psまで引き上げました。135iの306psからの上乗せ幅は数字だけ見ると控えめですが、トルク特性の味付けやレスポンスの改善が効いています。

要するに、既存の量産エンジンをベースにしながら、Mらしい走りの質を成立させるという、ある種の「やりくり」がこの車の出発点でした。ただ、この制約がむしろ結果的に車の性格を際立たせることになります。

足回りとボディの仕立て

エンジンだけでなく、シャシーにも既存パーツの流用と専用設計の組み合わせが見られます。フロントサスペンションのナックルやアクスルにはM3(E92)の部品が使われ、トラック幅はベースの1シリーズクーペより明確に広げられました。リアにはM3用のディファレンシャルが収まっています。

結果として、前後トレッドが拡大され、ワイドフェンダーが与えられました。あの独特の張り出したリアフェンダーは、見た目のためだけではなく、M3のサスペンションジオメトリを成立させるために必要だったわけです。機能が形を決めた、という順番です。

トランスミッションは6速MTのみ。DCTやATの設定はありません。これもコスト的な判断が大きかったとされていますが、結果としてMT限定という割り切りが、この車のキャラクターを決定づけました。340psを右足と左足で御す、という体験が1Mの核です。

車重は約1,495kg。同時代のM3クーペ(E92)が約1,655kgだったことを考えると、150kg以上軽い。パワーウェイトレシオではM3に及びませんが、コンパクトなボディに十分すぎるトルクを詰め込んだことで、体感的な速さ、というよりも「暴れ感」はむしろ1Mのほうが強烈だったという声が多いです。

限定生産という現実と熱狂

1シリーズMクーペの生産台数は、全世界で約6,309台とされています。当初BMWは限定台数を明確にアナウンスしていませんでしたが、E82自体のモデルライフが終盤に差しかかっていたため、生産期間は2011年から2012年のごく短い期間に限られました。

日本への正規導入台数はさらに少なく、新車価格は約635万円。当時のM3クーペが約900万円台だったことを考えると、Mの走りをより手頃な価格で手に入れられるという訴求がありました。ただ「手頃」とはいっても、ベースの135iクーペからは大幅に高い。この価格差に見合う価値があるかどうかは、当時も議論がありました。

結果的に、中古市場での評価がその答えを出しています。1Mの中古価格は年々上昇し、現在では新車価格を大きく上回る取引が珍しくありません。生産台数の少なさ、MT限定、FR直6ターボ、コンパクトボディ——これらの要素がすべて「もう二度と出ない」方向に作用しているからです。

Mディビジョンの実験、あるいは本気の遊び

1シリーズMクーペの開発を主導したのは、当時Mディビジョンの責任者だったルートヴィヒ・ヴィリッシュ氏だったとされています。彼自身がモータースポーツ畑の出身で、「小さくて軽くて速い車」への信念を持っていた人物です。

この車が正式に「M1」と名乗らなかったのは、かつてのBMW M1(1978年のミッドシップスーパーカー)との混同を避けるためという説明がされています。ただ、それだけではなく、M3やM5のような「フルスペックのMモデル」とは開発プロセスが異なっていたことも関係しているでしょう。既存パーツの組み合わせで成立させた車であり、ゼロから専用設計したわけではない。その出自を正直に反映したネーミングだったとも読めます。

しかし、だからこそ面白い。制約の中で最大限の走りを引き出すという姿勢は、むしろ古典的なホモロゲーションモデルや、少量生産のスペシャルモデルに通じるものがあります。すべてが専用設計である必要はない。手持ちの武器を最良の組み合わせで投入する、という発想です。

系譜の中の1M、その後の行方

1シリーズMクーペの後継は、2016年に登場したM2(F87)です。M2はより正式なMモデルとして開発され、専用チューニングの度合いも深まりました。エンジンもN55型、後にS55型へと進化し、最終的にはM2 CS、M2コンペティションといった派生モデルも展開されています。

つまり1Mは、BMWが「M3の下にもうひとつMモデルを置く」という商品戦略を本格化させるきっかけになった車です。市場の反応が良かったからこそ、M2という正式な後継が生まれた。1Mがなければ、M2の企画は通らなかったかもしれません。

ただし、1MとM2は似ているようで性格が違います。1Mは「ありもので組んだ、荒削りだけど濃い車」。M2は「最初からMモデルとして設計された、完成度の高い車」。どちらが良いかは好みの問題ですが、1Mにしかない生々しさがあるのは確かです。

FR、直列6気筒、マニュアルトランスミッション、コンパクトボディ。

これらの要素がすべて揃う車は、電動化とダウンサイジングが進む現在、ほぼ絶滅危惧種です。

1シリーズMクーペは、その最後の組み合わせが偶然のように成立した一台でした。計画的な傑作というよりは、条件が揃った瞬間に生まれた幸運な車。

だからこそ、時間が経つほどにその存在感が増しているのだと思います。

M2の系譜

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2011年〜
小鍛治康人(やすと)

 

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小鍛治康人(やすと)

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hodzilla51

クルマの系譜を追ってたら、いつの間にかサイトになっていました

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