スイフトスポーツという車名を聞いて、「安いわりに楽しい車」というイメージを持つ人は多いと思います。
でもZC32Sは、そこからもう一歩踏み込んだ存在でした。楽しいだけじゃなく、ちゃんと速い。しかもそれを、自然吸気の1.6Lエンジンでやってのけた。ターボに頼る前の、最後のNAスイスポです。
3代目ベースが変えた前提条件
ZC32Sが登場したのは2011年12月。ベースとなったのは3代目スイフト(ZC72S/ZD72S)で、2010年にフルモデルチェンジしたばかりの新世代プラットフォームです。この土台が、先代スイスポ(ZC31S)から大きく進化していました。
まず車体剛性。スズキは3代目スイフトの開発にあたって、欧州市場での評価を強く意識していました。高速域での直進安定性やNVH(騒音・振動・ハーシュネス)の改善が重点項目に挙げられ、構造接着剤の使用範囲拡大やスポット溶接の打点増加といった地道な手法でボディ剛性を引き上げています。
つまりZC32Sは、スポーツモデル専用に何か特別な補強をしたというよりも、ベース車の素性がそもそも良くなったことの恩恵を大きく受けた世代です。スポーツグレードを仕立てるうえで、土台の出来は何より重要ですから。
M16Aという「回すエンジン」の到達点
搭載されたエンジンはM16A型。排気量1,586ccの直列4気筒自然吸気で、最高出力136馬力/6,900rpm、最大トルク16.3kgf·m/4,400rpmを発生します。先代ZC31Sも同じM16A型でしたが、ZC32Sではポート形状の見直しやバルブタイミングの最適化、吸排気系の改良が施されました。
注目すべきはリッターあたり約85.7馬力という数値です。自然吸気エンジンとして見ると、これはかなり高い水準にあります。ホンダのVTECエンジンほど極端な高回転型ではないものの、VVT(可変バルブタイミング)を使って中回転域のトルクを確保しながら、上まで気持ちよく回る特性に仕上げられていました。
先代ZC31SのM16Aが125馬力だったことを考えると、同じ型式名で11馬力の上乗せ。排気量を変えずに出力を上げるというのは、吸排気効率や燃焼効率を細かく詰めていかないとできないことです。派手な技術トピックはありませんが、エンジニアリングとしては堅実で密度の高い仕事でした。
軽さという最大の武器
ZC32Sの車両重量は6速MT車で1,040kg。これは同時代のライバルと比較すると、明確なアドバンテージです。たとえば当時のヴィッツRS(NCP131)が約1,050kg、フィットRS(GE8)が約1,090kgですから、同クラスの中でも軽い部類に入ります。
パワーウェイトレシオに換算すると約7.6kg/ps。絶対的な数値としてはそこまで驚異的ではありませんが、1.6LのNAエンジンでこの数字を出しているところがポイントです。ターボのような瞬発力はないけれど、軽い車体をNAで回し切る気持ちよさがある。これがZC32Sの走りの核心でした。
スズキは軽量化について、単に部品を削るのではなく、素材の見直しや構造の合理化で対応しています。たとえばリアサスペンションのトーションビームは形状を最適化して軽量化と剛性を両立させており、こうした細部の積み重ねが1トンちょっとという車重に結実しています。
足回りと6速MTの仕上がり
サスペンションはフロントがマクファーソンストラット、リアがトーションビーム。形式だけ見ると凡庸に思えますが、スイフトスポーツはこの基本レイアウトのまま、ダンパーの減衰力やスプリングレート、スタビライザー径を専用チューニングしています。
特にリアのトーションビームは、スイフトスポーツ専用の設計が入っています。ビームの断面形状を変更し、ロール剛性を高めつつ乗り心地を大きく犠牲にしない、という絶妙なバランスを狙ったものです。欧州のBセグメントホットハッチと比較されることを前提に、ハンガリーの工場で生産される欧州仕様と基本的に同じ足回りが日本仕様にも採用されていました。
トランスミッションは6速MTとCVTの2本立て。ただ、このモデルの本領はやはりMTにあります。ショートストロークのシフトフィールは先代から定評がありましたが、ZC32Sではさらにシフトリンケージの剛性感が向上しており、操作の正確さが増しています。ギア比もクロスレシオ寄りで、NAエンジンのパワーバンドを使い切りやすい設定でした。
170万円台という価格が意味したこと
ZC32Sの新車価格は6速MT車で168万円(税込、発売当時)。これは当時としても、スポーツモデルとしては破格の設定でした。
2011年という時期を思い出してください。リーマンショック後の景気低迷が続き、国内のスポーツカー市場は縮小の一途をたどっていました。86/BRZの登場は2012年、ホンダS660は2015年。つまりZC32Sが出た時点では、手頃な価格で買える新車のスポーツモデルがほとんど存在しなかった。
そこに170万円を切る価格で、6速MT・専用エンジンチューン・専用サスペンション・レカロシートのオプション設定まで揃えたモデルが出てきた。これは単に「安い」という話ではなく、スポーツカーを買うという選択肢そのものを維持したという意味があります。
スズキの四輪事業は軽自動車が主力であり、スイフトスポーツは販売台数で会社を支えるような車種ではありません。それでもこのモデルを継続し、しかも手を抜かずに仕上げてきたことは、メーカーとしての姿勢が問われる部分です。
NAスイスポ、最後の世代として
ZC32Sの後継となるZC33S(2017年〜)は、1.4Lターボエンジンに切り替わりました。140馬力・23.4kgf·mというスペックは、特にトルクの面でZC32Sを大きく上回ります。時代の流れとして、ダウンサイジングターボへの移行は避けられないものでした。
だからこそ、ZC32SはNAエンジンで勝負した最後のスイフトスポーツとして、独特の位置づけを持っています。回転数を上げていくと比例して力が湧いてくる、あのリニアなフィーリングは、ターボでは再現しにくいものです。速さの絶対値ではZC33Sに譲りますが、エンジンとの対話感という点ではZC32Sに軍配を上げる声が根強くあります。
モータースポーツの世界でも、ZC32Sはジムカーナやダートトライアルの入門カテゴリで広く使われました。軽量・コンパクト・安価という三拍子が揃っていたことで、競技ベース車両としての適性が高かったのです。中古市場でも競技用途の個体が多く流通しており、それ自体がこの車の性格を物語っています。
ZC32Sは、派手なスペックや革新的な技術で語られる車ではありません。でも、限られたリソースの中で「速くて楽しい車」をきちんと成立させたという点で、エンジニアリングの誠実さが詰まったモデルです。自然吸気の1.6Lで、1トンちょっとのボディを、170万円以下で。この方程式が成り立った最後の時代を、ZC32Sは記録しています。
