エボVIまでのランエボというと、軽くて尖っていて、いかにも競技ベースの荒々しいセダンという印象が強いと思います。
ただ、エボVIIはそこが少し違う。2001年2月に登場したこのモデルは、ランサーセディアへのフルモデルチェンジに合わせて生まれ変わり、ホイールベースを延ばし、トレッドを広げ、タイヤも大型化。
つまり、従来の延長線上というより、土台から少し性格を変えてきました。
エボIV、V、VIが「熟成しながら勝ち方を磨いてきた世代」なら、エボVIIは「車体そのものが変わったので、速さの作り方も変えた世代」と言えるでしょう。
同じ4G63ターボ、同じAYC系譜でも、中身は別物です。
三菱公式ヒストリーでも、エボ7の進化点としてロングホイールベース化、ワイドトレッド化、4G63の改良、そしてACD採用がはっきり挙げられています。
「軽さと鋭さ」だけでは通用しなくなった
エボVIIの開発でまず大きかったのは、ベース車がランサーセディアに変わったことです。
これによってボディは先代より大きくなり、ホイールベースも延長されました。もちろん、ただ重く大きくなっただけではランエボとして成立しません。
だから三菱は、新しいボディに合わせて、曲がり方そのものを作り直す必要がありました。
曲げ方における思想の転換
当時の開発インタビューでは、操安試験担当の松井孝夫氏が、先代まではリアを動かしてスリップアングルを作り、フロントの回頭性に余裕を持たせる方向だったのに対し、エボVIIでは車体が長く大きくなったため、リアはしっかりグリップさせ、曲がりは他の要素が担う方向へ変えたと説明しています。
要するに、曲げ方の思想が変わった。リアを使って曲げるというより、電子制御四駆を前提に、安定を高めながら向きを変える方向へ振ったわけですね。
ランエボに搭載された新技術「ACD」
その中核が、ランエボ初採用となったACD(アクティブ・センター・デフ)だったのです。
従来のビスカス式センターデフに代わり、電子制御油圧多板クラッチ式のACDを搭載。さらにAYCと統合制御することで、加速時のトラクションと旋回中の応答性を両立させる狙いがありました。
三菱公式も、ACDとAYCの統合制御により、別々に動かすより優れた加速性能と操縦安定性を実現したとしています。
「戦闘力」より「曲がりの質」が上がった
エボVIIの強みを一言でいえば、四駆ターボの速さを、より高いレベルで制御できるようになったことです。
4G63インタークーラーターボは、ターボチャージャー改良や大型化されたインタークーラー、マグネシウム製ロッカーカバー、中空カムシャフト、ステンレス製エキゾーストパイプなどで手が入れられ、最大トルクは39.0kg-m/3500rpmへ向上。とくに中速域のトルク特性が改善されていました。
現代的なシャシー設計への転換
でも、エボVIIの本質はエンジン単体よりシャシーにあります。
ロングホイールベース化は普通なら鈍さにもつながりかねないが、エボ7はそこをACDとAYCの統合制御で埋めてきた。
Responseの当時記事では、減速から旋回、立ち上がり加速までをACDとAYCが連携して支え、直結4WD並みの駆動力と高い操縦応答性を両立したと説明されています。
つまりエボ7は、「力でねじ伏せる四駆」から「一連の挙動を制御して速く走る四駆」へ踏み込んだモデルだったのです。
しかも、この方向性は後のランエボの基礎になった。
2004年の試乗記事でも、エボ7以降のランエボが「世界でもっともよく曲がるAWD」として注目された背景に、ACD、スーパーAYC、スポーツABSの統合思想があったと振り返られています。
表現はメディア側のものですが、少なくともエボ7が「旋回性能の質を一段引き上げた起点」と見なされていたことは確かでしょう。
開発側も「新しい曲がり方」を自覚していた
エボ7の開発インタビューで面白いのは、単に「性能が上がりました」では終わっていないことです。
松井氏は、ACDの採用によって、これまでのVCU式に比べてより大きな作動制限力ときめ細かな制御が可能になったと説明しています。
また、車体大型化に合わせてリアを安定方向へ振り、回頭性はACDやAYCなど他の要素が担うセットに変えたとも語っています。
これはつまり、エボ7がただの出力競争車ではなく、制御思想の転換点だったことを開発側自身が示しているのです。
このあたりが、エボVIIを「ただ大きくなったエボ」で終わらせない理由でしょう。ボディ拡大は一見するとネガに見えますが、三菱はそれを電子制御四駆とシャシー再設計で、別の速さへ変換してみせた。
ランエボという名前を守るために、ランエボの作り方そのものを更新したわけですね。
ラリーの現場はまだ過渡期だった
ここは少しややこしい話になります。
市販車としてのエボVIIは2001年に登場しましたが、WRCの現場では2001年前半までグループA仕様のエボ6系がまだ戦っていました。
三菱公式WRCヒストリーでも、2001年の勝利の多くはグループAランサーエボリューションVIによるものとされ、ランサーエボリューションWRCの本格投入はシーズン後半となります。
つまりエボVIIは、競技で即タイトルを総なめにしたというより、三菱が「市販ランエボを次世代へ進めるための土台」として大きく意味を持つモデルでした。
WRCそのものも、すでにグループAの時代からWRカー本格時代へ移っており、ランエボも単純なホモロゲモデルの延長ではいられなくなっていました。
エボ7は、そうした変化の中で市販車側が先に新世代へ踏み出した一台とも言えます。
エボVII世代を語るうえで外せないGT-A
エボ7が「速さの作り方を変えた世代」だとすれば、GT-Aはそこに「乗り手の間口を広げる」という別の進化を加えた存在です。
硬派なRSやGSRが本流なのは間違いないが、GT-AがあったことでエボVII世代は、競技ベースの尖った四駆ターボで終わらず、高性能セダンとしての広がりまで手にした。
ここからも、2000年を越してきたタイミングでの各社による商戦略が伺えます。
頭のいい名車になったランエボ
エボVIIは、エボVIまでのファンから見ると少し異質かもしれません。
車体は大きいし、思想もやや洗練されている。昔ながらの「じゃじゃ馬感」を期待すると、むしろ薄まったようにも見えます。ですが、それは退化ではなく進化の向きの違いにあります。
4G63の太い中速トルク、ワイド化されたシャシー、そしてACDとAYCの統合制御。
エボVIIは、ランエボを「ただ速い四駆ターボ」から「狙って曲げ、狙って立ち上がれる四駆ターボ」へ進めたのです。
後のエボVIII、IXへつながる核は、もうこの時点でかなり出来上がっていました。
