BCNR33型スカイラインGT-Rは、1995年1月に登場した二代目「現代GT-R」です。
R32が16年ぶりにGT-Rを復活させ、圧倒的な戦績で名前を取り戻したのに対して、R33に課された仕事はもっと厄介だった。
あのR32のあとで、GT-Rをちゃんと次の時代へつなぐこと。
日産ヘリテージでもR33は、異次元の高性能で旋風を巻き起こしたR32に続くモデルとして紹介されており、まさに次も勝って当然という重圧の中で生まれたGT-Rだった。
「さらに速く、さらに安定して」

スカイライン GT-R - BNR34 【完成された最後のスカイラインGT-R】
BNR34型スカイラインGT-Rは、1999年1月に登場した「スカイラインGT-R」としての最終世代です。 10代目R34型スカイラインは1998年5月に登場し、その後1999年1月にGT-Rがデビュー。しかもR33より […
R33はただのR32の延長ではありません。
確かに基本文法はR32を継承していて、RB26DETT、アテーサE-TS、前後マルチリンクというGT-Rの核は変わらない。けれど日産はR33で、GT-Rをより高い速度域でも安定して速く走らせる方向へ進めている。
Vスペックの公式説明でも、ブレンボ製ブレーキや17インチタイヤ、専用セッティングの足まわりなど、R32時代に磨いた武器をさらに本格化させていたことがわかる。
R33はR32の焼き直しではなく、R32の勝ち方を、もっと太く確実なものにするGT-Rだった。
RB26DETTはそのまま。クルマが変わった

心臓部は引き続きRB26DETT。
2,568ccの直列6気筒DOHCツインターボで、カタログ値は280psと37.5kgm。数字だけ見ればR32と劇的に変わらないように見えるけど、R33の本質はそこじゃない。
ホイールベースは2,720mmへ延び、ボディも一回り大きくなり、車両全体の安定感と高速域での余裕が濃くなっている。R33は「もっと尖る」ではなく、「速さをより深いところで扱えるようにする」方向へ進んだGT-Rです。
大きさは弱点ではなく思想

スカイライン GT-R - BNR32 【16年の沈黙を破り、復活した不敗神話】
BNR32型スカイラインGT-Rは、1989年8月に登場した16年ぶりのGT-Rです。 R32型スカイライン自体は1989年5月発売ですが、その3か月後にGT-Rが追加され、日産自身もこれを「大きな話題を呼んだ16年ぶり […
R33でよく言われるのが「R32より大きい」「重い」という話です。
でもここを単に欠点扱いしてはいけません。
R33は、高速安定性や車体の落ち着き、限界域でのコントロール性まで含めて、GT-Rを「より速く、より深く走れるクルマ」にしようとしていた。
R32が荒々しい強さで勝ったとすれば、R33はその強さをもっと洗練し、もっと再現性の高いものにしようとした。
だからR33のサイズアップは、軟派になった証拠じゃなく、GT-Rを一段上の完成度へ押し上げるための代償として見るべきです。
「ニュルで速いGT-R」という新しい説得力

R33を語るうえで外せないのがニュルブルクリンクです。
日産ヘリテージには、1994年のニュルブルクリンク・タイムアタック用ファクトリーテストカーが収蔵されており、新型GT-Rは1993年東京モーターショーに参考出品されたのち、1995年に発売されたと説明されています。
R33は開発段階からニュルで鍛えられたGT-Rです。これは単なる宣伝文句じゃなく、GT-Rを国内最強級から世界の高速サーキットでも通じる量産スポーツへ押し広げる意味を持っていたのです。
VスペックでR33は研ぎ澄まされる

GT-R - R35 【スカイラインから解き放たれた革命機】
R35型GT-Rは、2007年12月に登場した新しい時代のGT-Rです。 日産自身も、2002年にR34型スカイラインGT-Rが生産終了して以来途絶えていた「GT-R」が、今度はスカイラインの冠を外したNISSAN GT […
1997年のVスペックは、R33の性格をかなりわかりやすく表しています。
ブレンボブレーキ、専用セッティング、245/45ZR17タイヤなどを備えたこの仕様は、GT-Rの運動性能をさらに濃くしたパッケージでした。
R32でもVスペックは存在したけれど、R33では“高速での安定感と強靭さ”がより前に出る。R32が軽さと鋭さで襲いかかるなら、R33 Vスペックはスケールを増したまま踏ん張って速い。ここにR33らしさがあります。
実戦でも、R33はちゃんとGT-Rだった

スカイライン 2000GT-R - KPGC110 【勝つはずが、時代に封じられた幻のGT-R】
ケンメリGT-RことKPGC110型スカイライン2000GT-Rは、1973年1月に登場した二代目GT-Rです。 ベースは「ケンとメリーのスカイライン」の愛称で大ヒットした4代目C110型スカイライン。そのトップモデルと […
R33は「R32ほどレースで神話化されていない」というだけで、競技の世界でも十分に濃い。
日産のル・マン短編ストーリーでは、1995年にNISMOがR33ベースのGTカーでル・マン24時間へ挑み、総合10位・クラス5位を獲得したことが紹介されています。
さらに1998年の全日本GT選手権では、ペンズオイルNISMO GT-Rがシリーズを制しています。
つまりR33は、R32ほど「全部勝った」という派手さはないけど、GT-Rの名を世界と国内の両方できちんと戦わせ続けた世代だったわけですね。
LMロードカーが示していたもの

R33世代のおもしろさは、派生の濃さにも出ています。
NISMO GT-R LMロードカーは、よりワイドな1,880mmボディ、ダブルウィッシュボーン、305psのRB26DETTを備えた公認用ロードカーとして残されている。
要するにR33は、量産GT-Rとして完成度を高める一方で、競技へ踏み込んだ特別な回答まで用意できるだけの素地を持っていた。R32が復活そのものなら、R33はGT-Rという器がどこまで広げられるかを見せ始めた世代でもあるでしょう。
オーテック4ドアという世界観

スカイライン 2000GT-R - PGC10/KPGC10 【Rに勝利の義務を与えた始祖】
スカイライン2000GT-Rは、ただの高性能版スカイラインではありません。 これは後のR32やR34へ続く「GT-R」という名を、最初に特別なものへ変えたクルマでした。 日産自身も、1969年2月に登場したPGC10型を […
1998年のオーテックバージョン40th ANNIVERSARYも、R33の懐の深さをよく表しています。
約400台が生産されたこの4ドアGT-Rは、RB26DETTとGT-Rのメカニズムを4ドアボディへ載せた特別な存在でした。ハコスカGT-Rの原点を思わせる4ドアGT-Rを、R33の時代に成立させてしまいました。
R33は標準車だけで完成している世代ではなく、GT-Rの世界観を複数の形で成立させられるくらい、土台が太かったのです。
R33が目指した「速さの再現性」

セドリック – Y33【守ることを選んだ日産の良心】
1995年登場のY33セドリックは、バブル崩壊後の日産が「変えないこと」を選んだ一台。保守的と呼ばれたその判断の裏には、顧客の現実と向き合うメーカーの覚悟がありました。
R33 GT-Rの強みを一言で言えば、
一発の派手さより、速さを安定して出し続けられることです。
RB26DETTの余裕。
アテーサE-TSのトラクション。
長めのホイールベースが生む落ち着き。
強化されたブレーキとタイヤ。
R32が復活した怪物なら、R33は怪物を毎回ちゃんと速く走らせるための熟成版だったわけです。
だから派手さ比較されて損しやすいですが、走りの完成度で見ればやっぱりいいクルマです。
難しい仕事をやった世代

R33が過小評価されやすいのは、前にR32、後ろにR34がいるからです。
R32は復活の英雄で、R34は完成形として神格化されやすい。その間に挟まれたR33は、どうしても地味に見える。
でも実際には、R32の奇跡を一発屋で終わらせず、GT-Rを継続して勝てるブランドへ育て、さらにニュルやル・マンといった文脈まで押し広げた。
R33は、GT-Rを「本当に続く名前」にした熟成の世代なのです。
まとめ

ブルーバード – U14【名門の看板を下ろした最後の一台】
1996年登場のU14型は、40年以上続いたブルーバードの名を冠する最後のモデル。名門セダンはなぜここで終わり、シルフィへと姿を変えたのか。最終型が背負った時代と役割を読み解きます。
BCNR33スカイラインGT-Rを一言でいえば、
復活の奇跡を、継続できる実力へ変えた熟成のGT-Rです。
RB26DETTは継承。
Vスペックは強化。
ニュルは世界基準。
ル・マンとJGTCは実戦の証明。
R32みたいな衝撃の復活劇ではない。
でも、GT-Rを一過性で終わらせなかった仕事として見ると、R33はかなり偉い。
R34が完成の象徴になれたのも、間にこのR33がいたからです。
GT-Rの系譜


スカイライン GT-R - BCNR33 【奇跡を実力へ変えたGT-R】
GT-R

この記事を書いた人
hodzilla51
クルマの系譜を追っていたら、いつの間にかサイトになっていました
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