ブルーバード – U14名門の看板を下ろした最後の一台

「ブルーバード」という名前に、どれくらいの重みを感じるかは世代によってかなり違うはずです。1959年の初代310型から数えれば、日産の屋台骨を支え続けた看板車種。トヨタ・コロナとの「BC戦争」は日本の自動車史そのものでした。そのブルーバードが、最後に名乗りを上げたのが1996年登場のU14型です。
ただ、この最終型は華々しいフィナーレとはちょっと違いました。むしろ静かに、粛々と、次の時代への橋渡しを済ませて退場していった。その経緯を追うと、1990年代後半の日産が置かれた状況がよく見えてきます。
1990年代後半、日産が抱えていた事情

ブルーバード – U13【バブルの余熱が生んだ最も上質なブルーバード】
1991年登場のU13ブルーバードは、バブル期に企画された豊かさの結晶。丸みを帯びたデザインと上質な内装で歴代最高の質感を手に入れたが、時代の変わり目に立たされた一台でもあった。
U14型が登場した1996年は、日産にとって非常に厳しい時期でした。バブル崩壊後の販売不振に加え、車種の乱立による開発コストの肥大化が経営を圧迫していた時代です。プリメーラ、ブルーバード、セフィーロ、ローレルといったミドルセダンが社内で食い合いを起こしている状態で、「そもそもこんなに似たクラスの車を何車種も抱えて大丈夫なのか」という問いが、すでに社内でも避けられなくなっていました。
結果的に1999年にはルノーとの資本提携、カルロス・ゴーンの着任という大きな転機を迎えます。U14型ブルーバードは、まさにその「嵐の前」に生まれた車です。名門の名を冠してはいるものの、開発の自由度や投入できるリソースは、かつてのブルーバードとは比べものにならなかったはずです。
先代U13からの継承と変化

ブルーバード – U12【SR20を手にした、走るブルーバードの到達点】
1987年登場のU12型ブルーバードは、名機SR20エンジンを初搭載しスポーツグレードを充実させた7代目。走りのブルーバード路線がもっとも色濃く結実した一台を読み解きます。
U14型は、先代U13型のプラットフォームを引き継いで開発されています。U13型は1991年に登場し、丸みを帯びたデザインで当時の日産デザインの方向性を示したモデルでした。ただ、そのデザインが保守的なブルーバードユーザー層にはやや不評だったという声もあり、U14型では全体的に落ち着いた、端正な方向へ軌道修正されています。
エンジンラインナップは直列4気筒のSR18DE(1.8L)とSR20DE(2.0L)が中心で、SR20DETのターボモデルは設定されませんでした。先代U13にはターボのSSS系があったことを考えると、U14ではスポーティ路線を明確に縮小しています。
これは単にコストの問題だけではなく、市場の変化も大きかったと考えられます。1990年代後半のミドルセダン市場では、走りの刺激よりも快適性や経済性が重視されるようになっていました。ブルーバードSSSの「走れるセダン」というキャラクターは、もはやこのクラスの主流ではなくなりつつあったのです。
「名門」の看板が重荷になるとき

ブルーバード – U11【FFブルーバードが「普通」になった世代】
1983年登場のU11型ブルーバードは、先代U11で始まったFF化の衝撃を消化し、実用車としての完成度を高めた世代。CA型エンジンの熟成とともに、ブルーバードは静かに変質していった。
U14型のポジションを考えるうえで重要なのは、同時期のプリメーラ(P11型)との関係です。P11プリメーラは欧州市場を強く意識した走行性能と質感を持ち、日産のミドルセダンとしてはむしろこちらが「本命」に近い扱いを受けていました。
一方のブルーバードは、国内の既存顧客層、とくに法人需要や年配のリピーターを受け止める役割が色濃くなっていました。つまり、攻めの商品企画ではなく、守りの商品企画です。これは悪い意味ではなく、当時の日産にとっては確実に売れる台数を確保するための現実的な判断でした。
ただ、その結果として「ブルーバードらしさとは何か」がぼやけてしまったのも事実です。かつてのBC戦争時代には、ブルーバードは技術的な挑戦の象徴でもありました。510型のサスペンション設計しかり、910型の直線基調デザインしかり。U14型にはそうした「これがブルーバードだ」と言い切れる強い個性が見当たりません。
名門であるがゆえに存続させなければならない。でも、そこに注ぎ込めるリソースは限られている。この矛盾が、U14型の佇まいをどこか控えめなものにしていたように思えます。
実用車としての完成度

ブルーバード – P910【FRの最後を飾った、変革前夜の集大成】
910型ブルーバードは、長く続いたFR時代の最終モデルでありながら、ハッチバック追加やターボ搭載など次世代への布石を打った一台。変革前夜の日産が見せた本気の集大成を読み解きます。
とはいえ、U14型が悪い車だったかというと、そんなことはありません。むしろ実用セダンとしての完成度は高く、SR20DEエンジンの信頼性、取り回しのよいボディサイズ、そつのない乗り心地は、日常の道具として十分以上の水準でした。
室内空間もこのクラスとしては十分に確保されており、後席の居住性やトランク容量に不満を覚えることはほとんどなかったはずです。CVT(無段変速機)の設定もあり、燃費面での配慮も見られました。1990年代後半のCVTはまだ発展途上でしたが、日産はこの時期から積極的にCVTを展開しており、U14型もその流れの中にあります。
要するに、地味だけど真面目に作られた車だったのです。ただ、真面目さだけでは車の名前を語り継ぐ理由にはなりません。それが、この車の宿命でもありました。
シルフィへの橋渡し、そしてブルーバードの終焉

ブルーバード – P710【角型ヘッドライトが告げた「脱・質実」宣言】
1976年登場の6代目ブルーバード810型。角型ヘッドライトとモダンなスタイリングで、バイオレットとの差別化を図りながら「ブルーバード」の名にふさわしい存在感を取り戻そうとした一台を読み解きます。
U14型ブルーバードは2001年に生産を終了し、後継として登場したのがブルーバード シルフィ(G10型)です。車名にはまだ「ブルーバード」が残されていましたが、実質的には新しいブランドへの移行でした。そして2012年のモデルチェンジでは「ブルーバード」の名が完全に外れ、ただの「シルフィ」になります。
この流れは、日産がゴーン体制のもとで進めた車種整理の一環でもありました。リバイバルプランの中で、重複する車種は統廃合され、ブランドの選択と集中が進められた。ブルーバードという名前は、その過程で静かに役目を終えたのです。
ただ、U14型の存在がなければ、シルフィへの移行はもっと唐突なものになっていたかもしれません。U14型は「ブルーバードの顧客を次の時代に受け渡す」という、地味だけれど欠かせない仕事をこなしていた。その意味では、最終型にふさわしい実直さを持った車だったと言えます。
名前が消えることの意味

ブルーバード – P610【ブルーバードが「大きくなる」と決めた世代】
1971年登場のP610型ブルーバードは、L型エンジン搭載と車体の大型化で高級路線へ舵を切った転換点。なぜブルーバードは「上」を目指したのか、その背景と意味を読み解きます。
40年以上にわたって続いた車名が消えるというのは、単なるモデルチェンジとはまったく違う出来事です。ブルーバードという名前には、日産の成長期の記憶、日本のモータリゼーションの記憶、そして「セダンが主役だった時代」の記憶が染みついています。
U14型は、その記憶の最後の器でした。派手さはなく、語り継がれるような伝説もありません。でも、名門が名門として終わるためには、こういう車が必要だったのだと思います。暴れて退場するのではなく、きちんと後始末をして、次の世代にバトンを渡す。
ブルーバードU14は、そういう仕事を黙々とやり遂げた、最後の一台でした。


ブルーバード – U14【名門の看板を下ろした最後の一台】
Nissan
クルマのかるた
煽りだけで、クルマがわかるか。


