ブルーバード – U13バブルの余熱が生んだ最も上質なブルーバード

ブルーバードという名前に、どんな印象を持つでしょうか。
堅実、実直、サラリーマンの足。おそらくそんなイメージが多いはずです。
ところが1991年に登場したU13型は、その「堅実な日産のセダン」が最も華やかだった瞬間を切り取ったようなクルマでした。
バブル経済の余熱をたっぷり吸い込んで企画・開発されたこの世代は、歴代ブルーバードの中でもっとも上質で、もっとも野心的で、そしてもっとも時代に翻弄された存在だったと言えます。
バブルが企画書に残した痕跡

ブルーバード – U12【SR20を手にした、走るブルーバードの到達点】
1987年登場のU12型ブルーバードは、名機SR20エンジンを初搭載しスポーツグレードを充実させた7代目。走りのブルーバード路線がもっとも色濃く結実した一台を読み解きます。
U13型の開発が本格化したのは1980年代後半、まさにバブル経済の絶頂期です。この時期の日産は、あらゆる車種で「もう一段上」を目指す空気に満ちていました。セフィーロ、プリメーラ、インフィニティQ45。ラインナップ全体が高級化・高品質化へと舵を切っていた時代です。
ブルーバードもその流れの中にいました。先代のU12型は直線基調の端正なデザインと、アテーサ(ATTESA)と呼ばれるフルタイム4WDシステムで一定の評価を得ていました。SSS系のスポーティグレードも人気があり、商品としてのバランスは悪くなかった。ただ、時代が求めていたのは「もっと上質に、もっと滑らかに」という方向でした。
U13型の企画意図を一言でまとめるなら、ブルーバードを「ミドルセダンの上限」まで引き上げること。それはバブル期ならではの、潤沢な開発予算と高い目標設定があってこそ可能だった挑戦です。
丸くなったのには理由がある

ブルーバード – U14【名門の看板を下ろした最後の一台】
1996年登場のU14型は、40年以上続いたブルーバードの名を冠する最後のモデル。名門セダンはなぜここで終わり、シルフィへと姿を変えたのか。最終型が背負った時代と役割を読み解きます。
U13型を見てまず気づくのは、先代までとはまるで違う丸みを帯びたボディラインです。U12型の角張ったシルエットから一転して、曲面で構成された流麗なフォルムに変わりました。この変化には、ちゃんとした背景があります。
1990年前後、自動車デザインの世界ではエアロダイナミクスへの関心が急速に高まっていました。空気抵抗係数(Cd値)を下げることが燃費改善にも走行安定性にも効くという認識が広がり、各社が競うように曲面デザインを採用し始めた時期です。U13型のCd値は0.30を切る水準に達しており、当時のセダンとしてはかなり優秀な数字でした。
ただし、デザインの狙いは空力だけではありません。丸みのあるフォルムは「柔らかさ」「上品さ」を視覚的に伝える手段でもありました。角張ったクルマが「硬派」「実用的」に見えるのに対して、曲面は「余裕」「豊かさ」を暗示します。バブル期の空気を反映するなら、この方向は必然だったとも言えます。
ただ、この大胆なデザイン変更は賛否を分けました。従来のブルーバードユーザーの中には「らしくない」と感じた人も少なくなかったようです。堅実さを美徳としてきたブランドにとって、上質さへの振り切りは諸刃の剣でした。
中身に注がれたバブルの恩恵

ブルーバード – U11【FFブルーバードが「普通」になった世代】
1983年登場のU11型ブルーバードは、先代U11で始まったFF化の衝撃を消化し、実用車としての完成度を高めた世代。CA型エンジンの熟成とともに、ブルーバードは静かに変質していった。
U13型の真価は、むしろ走らせてみたときに感じる質感の高さにあります。プラットフォームは先代から大幅に改良され、ボディ剛性が引き上げられました。サスペンションはフロントがストラット、リアがマルチリンクという構成で、乗り心地と操縦安定性の両立が図られています。
エンジンは直列4気筒のSR18DE(1.8L)とSR20DE(2.0L)を中心にラインナップ。SR20DEは自然吸気で140馬力を発生し、日常域のトルク感と回転フィールのバランスに優れたユニットでした。スポーティグレードのSSS系にはSR20DETターボも用意され、こちらは200馬力オーバー。アテーサ4WDとの組み合わせも継続されました。
特筆すべきは内装の仕上げです。ソフトパッドの質感、シートの座り心地、スイッチ類の操作感。当時のこのクラスとしては明らかにワンランク上の作り込みがされていました。これは開発時期がバブル真っ只中だったからこそ実現できた贅沢です。コストダウンの圧力がまだ本格化する前に、やれることを全部やった。そういう世代のクルマです。
また、静粛性への配慮も丁寧でした。遮音材の追加やボディの制振処理が施され、高速巡航時の快適性は先代から明確に向上しています。このあたりの地道な積み上げが、U13型の「乗ると違いがわかる」という評価につながっていました。
時代の変わり目に立たされた不運

ブルーバード – P910【FRの最後を飾った、変革前夜の集大成】
910型ブルーバードは、長く続いたFR時代の最終モデルでありながら、ハッチバック追加やターボ搭載など次世代への布石を打った一台。変革前夜の日産が見せた本気の集大成を読み解きます。
U13型が市場に出た1991年は、バブル崩壊が始まった年でもあります。企画・開発はバブルの空気の中で進められましたが、販売はバブル後の冷え込んだ市場で戦わなければなりませんでした。この時間差が、U13型の商業的な運命を大きく左右します。
景気が後退すると、消費者の目は一気にシビアになります。「上質なセダン」に対する需要そのものが縮小し、代わりに求められたのはコストパフォーマンスや実用性でした。さらに1990年代前半はRVブーム(レクリエーショナル・ビークル)の台頭期でもあり、セダン市場全体が縮小に向かい始めていた時期です。
加えて、日産社内での立ち位置も微妙でした。同時期に存在したプリメーラ(P10型)がヨーロッパ仕込みのシャープなハンドリングで高い評価を得ており、「走りの日産」を体現する役割はプリメーラに持っていかれた感があります。ブルーバードは「プリメーラほど尖っていないが、ローレルほど上級でもない」という、やや中途半端なポジションに置かれてしまいました。
販売台数は先代U12型を下回り、ブルーバードの存在感は徐々に薄れていきます。クルマの出来が悪かったわけではない。むしろ質感では歴代最高と言ってもいい。ただ、時代がそれを正当に評価する余裕を失っていたのです。
SSS-Zという最後の輝き

ブルーバード – P710【角型ヘッドライトが告げた「脱・質実」宣言】
1976年登場の6代目ブルーバード810型。角型ヘッドライトとモダンなスタイリングで、バイオレットとの差別化を図りながら「ブルーバード」の名にふさわしい存在感を取り戻そうとした一台を読み解きます。
U13型を語るうえで外せないのが、スポーツグレードのSSS系、とりわけ後期に追加されたSSS-Zの存在です。SR20DETターボエンジンに5速マニュアル、ビスカスLSD、専用サスペンション。このあたりの装備を見ると、日産がブルーバードのスポーツ性を最後まで諦めていなかったことがわかります。
SSS(スーパー・スポーツ・セダン)というグレード名は、1960年代の410型ブルーバードから続く由緒ある名前です。U13型のSSSは、その系譜の中でも最も洗練されたパッケージだったと言えるでしょう。先代のようなラリーイメージの荒々しさは薄れましたが、代わりに日常の中で楽しめるスポーツセダンとしての完成度は高かった。
ただ、この時期のスポーツセダン市場はシビックSiRやランサー、インプレッサWRXといった強力なライバルが台頭してきた時期でもあります。U13型SSSは「大人のスポーツセダン」としての魅力はあったものの、話題性という点では新興勢力に押され気味でした。
ブルーバードが最も豊かだった時代

ブルーバード – P610【ブルーバードが「大きくなる」と決めた世代】
1971年登場のP610型ブルーバードは、L型エンジン搭載と車体の大型化で高級路線へ舵を切った転換点。なぜブルーバードは「上」を目指したのか、その背景と意味を読み解きます。
U13型の後継であるU14型を最後に、ブルーバードという車名は単独では消滅します。2000年に登場したブルーバードシルフィへと名前は引き継がれましたが、それはもはや別のクルマ、別のコンセプトでした。ブルーバードという「日産の基幹セダン」としての役割は、実質的にU13〜U14型の時代に終わりを迎えたと見るのが自然です。
U13型は、ブルーバードの長い歴史の中で最も贅沢に作られた世代です。バブルという特殊な時代の空気が、開発陣に「妥協しなくていい」という自由を与えた。その結果、デザインも質感も走りも、従来のブルーバード像を超えるものが生まれました。
しかし、その豊かさが市場に届いたとき、受け手の側はすでに豊かさを手放し始めていた。U13型ブルーバードとは、バブルが自動車に残した最良の遺産と、その遺産が報われなかった現実の両方を体現するクルマです。だからこそ、今振り返ると妙に味わい深い。
時代を映す鏡としてのセダンの姿が、ここにはっきりと残っています。


ブルーバード – U13【バブルの余熱が生んだ最も上質なブルーバード】
Nissan
クルマのかるた
煽りだけで、クルマがわかるか。



