「日本車は安いだけ」。1960年代のアメリカでは、それが常識でした。その空気を変えた一台があります。日産ブルーバード510。日本では堅実なファミリーセダンとして売られたこの車が、海を渡った先でまったく別の評価を受けることになります。
先代の挫折と、設計思想の転換
510を語るには、まずその前に何があったかを知る必要があります。先代の410型ブルーバードは、ピニンファリーナによるデザインを採用したものの、日本市場では賛否が割れました。とくに尖ったテールまわりのデザインは「鯨」と呼ばれ、販売面でトヨタ・コロナに大きく水をあけられた世代です。
日産にとって410の苦戦は深刻でした。ブルーバードはダットサンブランドの屋台骨であり、ここでの敗北はそのまま会社の体力に直結します。次のモデルでは、見た目の冒険よりも中身の実力で勝負するという方向に舵が切られました。
四輪独立懸架という選択
510型の最大の特徴は、このクラスとしては異例だった四輪独立懸架サスペンションの採用です。フロントにストラット、リアにセミトレーリングアームという構成は、当時のBMW 1600や2002といった欧州スポーツセダンと同じ考え方でした。
これは偶然ではありません。開発を主導したエンジニアたちは、欧州車の走行性能を明確にベンチマークとしていたとされています。要するに、「安くて壊れにくい日本車」ではなく、「ちゃんと走る日本車」を作ろうとした。その意志がサスペンション形式に表れています。
リジッドアクスルが当たり前だったこの価格帯で、四輪独立懸架を量産車に載せるのは簡単な判断ではありません。コストは上がるし、生産の難度も上がる。それでもやったのは、410で負けた悔しさと、ブルーバードという看板を立て直すという強い意志があったからでしょう。
L型エンジンとパッケージの合理性
エンジンもこの世代で一新されました。搭載されたのは新開発のL13型 1.3L SOHCエンジン、そして上位グレードにはL16型の1.6Lが用意されています。OHVからSOHCへの転換は、高回転域での効率と出力向上を狙ったものです。
このL型エンジンは、後に日産の主力ユニットとして長く使われることになります。つまり510は、日産のエンジン戦略においても転換点だったわけです。単にブルーバード一車種の話ではなく、メーカー全体の技術基盤を切り替えるタイミングでもありました。
ボディは先代より全長がやや短くなり、全幅もコンパクトにまとまっています。ただし室内空間は犠牲にしていない。直線基調のシンプルなデザインは、410のような好き嫌いを生みにくく、どの市場にも受け入れられやすいものでした。見た目で冒険せず、中身で攻める。その設計思想が外観にもはっきり出ています。
北米での「Datsun 510」という衝撃
510ブルーバードの真価が発揮されたのは、むしろ日本の外でした。北米では「Datsun 510」の名前で販売され、ここで予想を超えるヒットとなります。
理由は明快です。四輪独立懸架による安定した走り、SOHCエンジンの軽快な回転フィール、そして欧州スポーツセダンの半額以下という価格。BMW 2002に匹敵する走りが、はるかに安く手に入る。アメリカの自動車メディアはこの事実に驚き、高い評価を与えました。
とくに重要だったのは、510が単に「安い代替品」として評価されたのではなく、「この価格でこの走りは本物だ」という認められ方をしたことです。日本車が価格以外の理由で選ばれる。それは1960年代においては画期的なことでした。
さらにSCCA(スポーツカー・クラブ・オブ・アメリカ)のレースでも510は活躍します。ピーター・ブロックが率いるBREレーシングのDatsun 510は、トランザムシリーズの2.5Lクラスで圧倒的な強さを見せました。レースでの実績は、510の走行性能が看板倒れではないことを証明し、ブランドイメージを大きく押し上げています。
日本市場での評価と、もうひとつの顔
一方、日本国内での510ブルーバードは、もう少し地味な存在でした。コロナとの販売競争は続いていましたし、日本のユーザーにとっては「よくできたファミリーセダン」という認識が主だったはずです。
ただ、SSSグレードの存在は見逃せません。SUツインキャブ仕様のエンジンにクロスレシオのミッション、そして四輪独立懸架。SSSは国内のラリーシーンでも結果を残しており、とくにサファリラリーでの活躍は日産のモータースポーツ史において重要なエピソードです。
つまり510は、日本では「堅実なセダン」、北米では「驚異のバリューカー」、モータースポーツでは「本格的な競技車両」と、市場によってまったく異なる顔を持っていた。ひとつの車がこれだけ多面的に評価されること自体が、設計の懐の深さを物語っています。
510が残したもの
510ブルーバードの最大の遺産は、「日本車は走りでも勝負できる」という事実を世界に示したことです。それまでの日本車は、耐久性や経済性で評価されることはあっても、ハンドリングや走行性能で欧州車と比較されることはほとんどありませんでした。
510の成功がなければ、後のフェアレディZの北米でのブレイクも、違う形になっていたかもしれません。Datsun 510が築いた「日産は走れるメーカーだ」という信頼が、Z432やS30フェアレディZを受け入れる土壌を作ったと見るのは、決して大げさな話ではないでしょう。
後継の610型は、より大きく、より豪華な方向に進みました。それは時代の要請でもありましたが、510が持っていた「小さくて、軽くて、よく走る」という美点は薄れていきます。だからこそ、510は今なお特別な存在として語られるのです。
派手なスーパーカーでもなく、革新的なメカニズムの塊でもない。けれど、正しい設計思想を正しい価格で提供した。
510ブルーバードは、日本の自動車産業が「世界で戦える」と初めて胸を張れた車だったのだと思います。
ブルーバードの系譜


ブルーバード – P510【日本車が世界で通用すると証明した一台】
Nissan

この記事を書いた人
hodzilla51
クルマの系譜を追ってたら、いつの間にかサイトになっていました




