ブルーバード – P910【FRの最後を飾った、変革前夜の集大成】

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ブルーバード – P910【FRの最後を飾った、変革前夜の集大成】

ブルーバードという名前は、日産の歴史そのものと言っていい。初代310から始まった系譜は、日本のモータリゼーションとともに育ち、トヨタ・コロナとの「BC戦争」で鍛えられてきました。

その長い歴史の中で、910型は少し特殊な立ち位置にいます。FRブルーバードの最終世代であり、同時に次のU11でFF化するという大転換の直前に置かれたモデルだからです。

つまり910は、「終わり」と「始まり」の両方を背負っていた。しかもそれを、ただの繋ぎではなく、商品として非常に高い完成度で成立させたところに、このクルマの面白さがあります。

1979年という時代の空気

910型が登場した1979年は、第二次オイルショックの真っ只中です。燃費性能への要求はますます厳しくなり、排ガス規制も強化の一途をたどっていました。日本の中型セダン市場は、「速さ」よりも「効率」と「実用性」が問われる時代に入りつつあった。

一方で、ライバルのトヨタ・コロナはすでにFF化の検討を進めていました。ホンダのアコードはFF+横置きエンジンという構成で着実に支持を広げていた。FRレイアウトのセダンは、室内空間や燃費の面でFFに対して構造的な不利を抱えていたのです。

日産もこの流れを当然把握していました。次期モデルでのFF転換はほぼ既定路線だったとされています。ただ、だからといって910を「消化試合」にするつもりはなかった。むしろ、FRでやれることをすべてやり切るという姿勢が、このモデルには色濃く出ています。

先代810の反省と、910の設計思想

910を語るうえで、先代の810型(通称「ブルU」)の存在は外せません。810は1976年に登場し、サーフィンラインと呼ばれた伝統的なデザインを捨て、角張ったスタイルに一新しました。ただ、商品としての評価は正直なところ芳しくなかった。

デザインの変化が急すぎたこと、そして肝心の走りの質感が価格に見合わないという声があったのです。コロナとの販売競争でも苦戦が続きました。日産としては、910で確実に巻き返す必要があった。

910の開発チームが重視したのは、基本性能の底上げです。ボディ剛性の向上、サスペンションジオメトリの見直し、そして軽量化。派手な新機軸よりも、走る・曲がる・止まるの地力を高めることに注力しました。

結果として910は、FR時代のブルーバードとしては最も洗練されたシャシーを持つクルマになりました。特にSSS系のグレードでは、4輪独立懸架の足回りがしっかり仕事をして、当時のオーナーからも「走りが素直」という評価を得ています。

ハッチバックとターボという新しい武器

910で見逃せないのが、ハッチバックモデルの追加です。ブルーバードといえばセダンというイメージが強いですが、910ではセダン、ハードトップに加えてハッチバックを新設しました。これは欧州市場を意識した判断でもあり、国内でも「セダンだけじゃない選択肢」を提示する狙いがありました。

当時、日本ではハッチバックという形式自体がまだ市民権を得きっていない時期です。シビックやファミリアが切り拓いた道はあったものの、中型車クラスでのハッチバックは冒険でした。910のハッチバックが爆発的に売れたわけではありませんが、「ブルーバードは保守的なクルマ」という印象を崩す一手にはなった。

そしてもうひとつ、1980年の追加で登場したターボモデル。Z18ET型エンジンを搭載したSSS-Sターボは、国産セダンにおけるターボ普及の先駆けのひとつです。当時のターボはまだ「速くするための飛び道具」という位置づけが強かったですが、910ターボはFRシャシーとの相性もあって、スポーティセダンとしてかなり楽しめる仕上がりでした。

ラリーでの活躍も見逃せません。910ブルーバードはサファリラリーをはじめとする国際ラリーに参戦し、実績を残しています。FRレイアウトのセダンがダートを駆け抜ける姿は、当時のモータースポーツファンに強い印象を与えました。この「SSSはラリーで走るクルマだ」というイメージは、ブルーバードのブランド価値を支える大きな柱だったのです。

売れた理由は「堅実さ」にある

910ブルーバードは、商業的にも成功したモデルです。先代810の苦戦を受けて、日産はデザインを奇をてらわない端正な方向にまとめました。直線基調でありながら品のあるプロポーションは、法人需要から個人ユーザーまで幅広く受け入れられた。

グレード構成も巧みでした。実用本位のベースグレードから、SSSのスポーティ路線、さらにターボまで。ひとつの車種で複数の顧客層をカバーする、いわゆる「フルライン戦略」がきちんと機能していたのです。

ただ、すべてが順風だったわけではありません。FRレイアウトゆえに室内空間、とくに後席の広さではFF勢に対して不利でした。燃費面でもFFの構造的な優位性には抗えない部分があった。910が「最後のFR」になったのは、こうした物理的な限界が背景にあります。

それでも910は、FRという制約の中で最大限の回答を出したモデルでした。走りの質、デザインのバランス、グレード展開の幅。どれをとっても「やれることはやった」と言える完成度です。

FF化への橋渡しとして

1983年、後継のU11型ブルーバードが登場します。駆動方式はFFに転換され、エンジンは横置きに。ブルーバードの歴史における最大の転換点です。このFF化は時代の必然ではありましたが、「ブルーバードらしさ」が薄れたという声も少なくなかった。

U11以降のブルーバードは、実用性や効率では確かに進化しました。しかし、SSSの名が持っていた「FRスポーツセダン」としての個性は、駆動方式の変更とともに変質していきます。910のSSSターボが持っていたあの走りの味は、FF化後には同じ形では再現できなかった。

だからこそ、910は単なる「旧世代の最終型」ではなく、ひとつの時代の到達点として記憶されるべきモデルです。FRブルーバードの技術的蓄積がすべて注ぎ込まれ、なおかつ次の時代を見据えたハッチバックやターボという要素も取り込んだ。過去と未来の両方に足をかけた、稀有な一台でした。

変革の前に、完成させること

クルマの世代交代において、「次で大きく変わるから、今回は手を抜く」という判断はありえます。実際、そういうモデルは歴史上少なくない。しかし910ブルーバードは、その逆を行きました。

次がFF化されることを分かっていながら、FRとしての完成度を限界まで追求した。ラリーで戦い、ターボを載せ、ハッチバックという新しい形も試した。「終わるからこそ全力を出す」という姿勢が、このクルマには確かにあります。

910型ブルーバードは、日産が本気で作った「FRセダンの答え」です。それは同時に、ブルーバードという車名が持っていた原初的な魅力——後輪で路面を蹴って走るセダンの楽しさ——の、最後の結晶でもありました。

ブルーバードの系譜

小鍛治康人(やすと)

 

ブルーバード – P910【FRの最後を飾った、変革前夜の集大成】

Nissan

小鍛治康人(やすと)

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hodzilla51

クルマの系譜を追ってたら、いつの間にかサイトになっていました

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