四輪駆動車というのは、長いあいだ「我慢して乗るもの」でした。
悪路に強いかわりに、乗り心地は硬く、静粛性は期待できず、高速道路では落ち着かない。そういう乗り物です。三菱に至っては、そのど真ん中にいた会社でした。ウィリス・ジープのライセンス生産を1953年から続け、日本の四駆といえば三菱ジープ、という時代を作ってきたからです。
その会社が1982年5月に出したパジェロは、同じ悪路性能を持ちながら、まったく違う顔をしていました。
そして10年も経たないうちに、日本のスキー場の駐車場はこのクルマとその後継で埋まることになります。
ジープを作り続けた会社が、ジープを作らなかった

ランドクルーザー – BJ/FJ20【警察予備隊が生んだトヨタの原点四駆】
ランドクルーザーの始祖であるBJ/FJ20系は、警察予備隊向け納入を目指して開発されたトヨタ初の本格四駆。ジープの模倣ではなく、トヨタの生存戦略から生まれた一台の背景を読み解きます。
初代パジェロが登場した1982年、三菱はすでに30年近くジープを作っていました。四駆の作り方を知らなかったわけではありません。むしろ、知りすぎているくらいでした。
だからこそ興味深いのは、パジェロがジープの改良版として出てこなかったことです。
ラダーフレームという骨格は引き継ぎながら、ボディは2ボックスのワゴン。フロントサスペンションは独立懸架。乗用車の使い方を前提にした設計思想が最初から入っています。
三菱自身も、パジェロを「新世代の4WD」と位置づけて発表しました。ジープの後継ではなく、別のカテゴリーの提案だったわけです。
実際、この時期に民間向けジープの整理が進んでいたことを踏まえると、パジェロは置き換えでありながら、置き換えではありませんでした。同じ客に同じものを売り直すのではなく、四駆を買わなかった人に売るためのクルマだったからです。
フロント独立懸架という、賛否のある選択

ランドクルーザー – FJ40/BJ40/HJ40【世界が認めた「壊れない」という性能】
ランドクルーザー40系は、過酷な環境での堅牢性と信頼性によって世界中の市場を切り拓いた。なぜこの車は「壊れない」ことを最大の武器にできたのか、その背景と意味を読み解きます。
初代パジェロで最も語られるべきなのは、フロントに独立懸架を採用したことでしょう。
当時の本格四駆は、前後ともリジッドアクスルが常識でした。左右の車輪が1本の軸でつながっている方が、極端な凹凸でもタイヤを接地させやすく、構造も頑丈だからです。悪路だけを見れば、リジッドの方が有利な場面は確かにあります。
それでも三菱は独立懸架を選びました。舗装路での乗り心地と直進安定性を、悪路性能と同じ土俵に乗せるためです。
これは単なる快適装備の話ではありません。四駆をどこで使う乗り物と定義するか、という商品の根本に関わる判断でした。山に入る前後に、何時間も舗装路を走る。その時間を我慢の時間にしない。そう決めた設計です。
そしてこの判断は、当時のライバルと並べたときに効いてきます。ランドクルーザー60系、日産サファリ、いすゞビッグホーン。どれも本格派でしたが、乗用車としての感触ではパジェロが頭ひとつ抜けていました。
四駆を選ぶ理由が「悪路に行くから」だけではなくなった瞬間、この差は決定的になります。
屋根も長さも選ばせた、商品としての幅

ランドクルーザー – FJ55/FJ56【ランクルが初めて「家族」を乗せた日】
ランドクルーザー初のステーションワゴンボディを採用したFJ55/FJ56型。業務用四駆から脱却し、ファミリー層に向けて快適性を追求した異色のランクルの成り立ちと意味を読み解きます。
初代パジェロがうまかったのは、車体そのものだけではありません。
デビュー時からメタルトップとキャンバストップを用意し、1983年3月には5ナンバーのワゴンを追加。同年7月にはロングボディを加え、1985年にはオートマチックまで用意しました。
並べてみると、拡張の方向がはっきりしています。趣味の道具から、家族で使える道具へ。四駆に興味はあるが生活の中で無理なく使いたい、という層をひとつずつ拾いにいった動きです。
5ナンバー設定は税金と車幅の心配を消し、ATは運転のハードルを下げ、乗用車用ディーゼルは静かで扱いやすい加速をもたらしました。当時の本格四駆でATを選べること自体が、「毎日乗る人」を客として想定している証拠です。
道具として尖らせるのではなく、間口を広げる方向に手を入れ続けた。ここが初代パジェロの商品設計の芯でした。
パリ・ダカールが、カタログより雄弁だった

一方で、間口を広げたクルマには必ずこう言われます。軟弱になったのではないか、と。
その反論を、三菱は言葉ではなく結果で用意しました。パリ・ダカール・ラリーです。
パジェロは1983年に初参戦し、市販車無改造クラスで優勝します。翌1984年には改造クラスで優勝。そして1985年、ついに総合優勝を獲得しました。
ここで効いているのは、順番です。最初の勝利が「無改造クラス」だったという事実は、カタログのどんな文章よりも雄弁でした。売っているクルマと戦っているクルマが地続きである、という証明になったからです。
日本国内でパジェロが「本物」として受け止められた背景には、この時期のダカールが確実にあります。四駆ブームという言葉が広まるより前に、パジェロは実績で説得を済ませていました。
スキー場の駐車場で、パジェロは記号になった

ランドクルーザー – BJ60/FJ60/FJ62【「働くクルマ」が高級車になった転換点】
1980年登場の60系ランドクルーザーは、角型ヘッドライトと快適装備で「働くクルマ」から「乗るクルマ」へと転換を果たした。ランクルが高級SUVになる原点を読み解きます。
そして1980年代後半、時代の方がパジェロに追いついてきます。
バブル景気とスキーブームです。当時はSUVという言葉すら一般的ではなく、この手のクルマはクロスカントリー4WD、あるいはRVと呼ばれていました。週末に雪道を走って遊びに行く。その用途に、四駆はあまりに分かりやすく合致しました。
面白いのは、買った人の多くが本気の悪路になど行かなかったことです。行き先はスキー場であり、アウトドアであり、多くの場合は舗装された生活道路でした。
つまり市場が求めたのは、悪路を走る性能そのものではなく、悪路を走れるという事実だったわけです。そしてその需要に応えるには、悪路性能と日常の快適さを同時に持っている必要がありました。初代パジェロが1982年に選んだ設計が、そのまま答えになっていた形です。
ゴツいシルエットにパリダカの実績が乗り、しかも5ナンバーでATが選べて、雪道で強い。都市に住む人が週末のために買うクルマとして、これほど説明しやすい商品はそう多くありません。
パジェロは、四駆というジャンルを愛好家の手から解放しました。そして日本の若者にとって、四駆は我慢して乗る道具ではなく、乗っていること自体が態度表明になるクルマへ変わっていきます。
63万台が、次の世代へ渡したもの

ジムニー – LJ10 / LJ20【軽自動車枠で本格四駆を成立させた、無謀で正しい出発点】
1970年登場の初代ジムニーLJ10は、軽自動車で本格四駆という前代未聞の企画だった。ホープスターON型の技術を引き継ぎ、スズキが量産化に成功した経緯と、LJ20への進化を読み解く。
初代パジェロは、最終的に約63万台を売るヒットになりました。三菱の四駆が、専門的な道具から一般的な商品へ移った瞬間です。
そして1992年、2代目パジェロは月間の国内新車販売台数で1位を獲得します。カローラのような大衆車を、クロカン四駆が抜いたわけです。この異常事態の土壌を耕したのは、間違いなく初代でした。
この一台が定義したものは、その後もパジェロの背骨として残ります。悪路で本気であること。舗装路で我慢させないこと。用途に合わせて選ばせること。ダカールで証明し続けること。
三菱ジープを作り続けた会社が、ジープではないものを作った。そこで生まれた「悪路も走れる乗用車」という発想は、いま私たちがSUVと呼んでいるクルマたちの、かなり早い時期の原型だったと言っていいと思います。
パジェロの系譜


パジェロ – L040【「我慢して乗る」を終わらせた】
Mitsubishi

この記事を書いた人
hodzilla51
クルマの系譜を追っていたら、いつの間にかサイトになっていました




