1992年、日本で月間販売台数1位になったのは、カローラではありませんでした。
ラダーフレームに大きなボディを載せた、三菱パジェロです。
年間でも8万3,000台以上を売り、月間販売ではカローラさえ抑えて1位になった。「乗用車のように使える四駆」という初代の提案が、2代目で国民的な商品になった瞬間でした。
ただし、単にブームの波に乗ったわけではありません。その売れ方には、初代で残った「本格四駆の面倒さ」を技術で消した、2代目なりの理由がありました。
初代の弱点から、スーパーセレクト4WDは生まれた

1991年1月に登場した2代目パジェロの核は、世界初の「スーパーセレクト4WD」でした。
従来のパートタイム4WDは、悪路で前後輪を直結すると強い反面、そのまま舗装路の急カーブを曲がると、クルマ自身がブレーキをかけたような状態になります。タイトコーナーブレーキング現象です。
雪道と乾いた舗装路が交互に現れるような場面では、ドライバーが駆動方式を意識し続けなければなりません。初代は快適な四駆でしたが、まだ四駆の知識をドライバーに求めるクルマでした。
2代目は、2WDの「2H」、センターデフを使う4WDの「4H」、センターデフをロックする「4HLc」、さらに副変速機をローギヤにする「4LLc」を1本のレバーで選べるようにしました。時速100km以下なら走行中に2WDと4WDを切り替えられ、そのすべてのモードにマルチモードABSが対応しました。
これはメカニズムの多さを誇る装備ではありません。知識がなくても、まず4Hで走ればいい。本格四駆を日用品にするための技術でした。
「選べる」の意味が、用途から欲望へ変わった

ランドクルーザー – BJ60/FJ60/FJ62【「働くクルマ」が高級車になった転換点】
1980年登場の60系ランドクルーザーは、角型ヘッドライトと快適装備で「働くクルマ」から「乗るクルマ」へと転換を果たした。ランクルが高級SUVになる原点を読み解きます。
2代目は、メタルトップ、ミッドルーフ、屋根を一段高くしたキックアップルーフ、幌型のJトップと、4つのボディタイプを用意しました。ショートかロングか、ナローかワイドか、ガソリンかディーゼルか、MTかATか。時期によってはグレード数が30を超えました。
登場時のV6 3.0Lガソリンと2.5Lディーゼルターボに加え、1993年7月にはV6 3.5Lと2.8Lディーゼルターボも追加。ブームの間も、長距離での余裕を増やし続けました。
初代のバリエーションは、商用から家族用まで、必要な用途をカバーするためのものでした。しかし2代目では、どんな自分に見せたいかまで選べるようになります。
なかでも時代を象徴したのが、ワイドフェンダーでした。張り出したフェンダー、大きなタイヤ、サイドステップ、ツートンカラー。必要だから大きいのではなく、大きく見えることそのものが価値になっていました。
1989年の税制改正で、3ナンバー車の自動車税が排気量を中心とする仕組みに改められ、従来の割高感が薄れたことも追い風でした。ワイドボディは、贅沢な見た目と手が届く現実性を同時に持てたのです。
スキー場からお茶の間まで、パジェロだった

ランドクルーザー – FJ80/FZJ80/HDJ80【泥から高速道路へ、ランクルが「高級車」になった瞬間】
80系ランドクルーザーは、リーフスプリングからコイルスプリングへの転換により本格クロカン四駆を高級SUVへと進化させた。なぜトヨタはこのタイミングで快適性に舵を切ったのか、その背景と意味を読み解きます。
1990年代初頭、スキー板を積んだパジェロは、週末の高速道路や雪山の駐車場にあふれました。バンパーガードにフォグランプ、ルーフラック、背面スペアタイヤ。本当に必要かどうかより、それらが「この週末にどこかへ行く人」の記号になっていました。
当時のRVは、実用性だけで売れたのではありません。セダンのトランクには入らない道具を積めること、家族や友人と遠くへ行けること、そしてそういう生活をしている人に見えること。実用と自己表現が、ひとつの大きなボディの中で重なっていました。
その知名度を決定的にしたのが、テレビ番組『東京フレンドパーク』です。最後のダーツの賞品としてパジェロが登場し、観客が「パジェロ! パジェロ!」と連呼する。クルマ好きでなくても、パジェロは「当たったら嬉しい高級品」として毎週のようにお茶の間に届きました。
自動車の車名が、あそこまで全国の子どもにまで知られた時代は、そう多くありません。
カローラを抜いたのは、四駆の勝利だけではない

1992年にパジェロが記録した年間8万3,000台以上という販売台数は、現在のSUV市場から見ても大きな数字です。しかも当時、新車販売の中心はまだセダンでした。
つまりパジェロは、ランドクルーザーやサファリとの四駆対決に勝っただけではありません。ファミリーカーの座をセダンから奪ったのです。
「乗り心地も積載性も、セダンで足りる」という常識に対し、「休日の可能性が広がる方がいい」という価値観が上回った。いまSUVが日本の乗用車の主流にいることを考えれば、この月間1位は一時的な珍事ではなく、市場が向かう方向を先に見せたのだと思います。
パジェロが、一台のクルマではなくなった

本家の成功は、そのまま新しい家族を生みました。1994年にパジェロミニ、1995年にパジェロジュニア、1996年にチャレンジャー、1998年にパジェロイオ。大きさも価格も異なるクルマが、パジェロの名前と雰囲気を分け合いました。
この時期の三菱にとって、パジェロは車種である以上にブランドでした。小さいクルマにも、家族向けのクルマにも、「パジェロのような生活」を移植できたからです。
最後の反論は、市販車ベースの1–4位独占だった

ランサーエボリューションV - CP9A 【WRカーにグループAのまま殴り合う本気のエボ】
ランサーエボリューションVは、1998年1月に登場した五代目ランエボです。 三菱公式の車史では、1997年にFIAがより広範囲な改造を認めるWRカー規定を導入した中でも、三菱は従来のグループA参戦を継続し、「性能向上に必 […
日常に近づき、豪華になり、社会現象になるほど、「もう本格四駆ではない」という疑いは強くなります。
その反論は、1997年のダカールラリーで出ました。レギュレーション変更によりメーカーのプロトタイプ車が出場できなくなり、三菱は2代目パジェロをベースにしたT2仕様を急造します。結果は篠塚建次郎の日本人初となる総合優勝。三菱車が史上初の総合1–4位独占を果たしました。
同年9月には、3.5L MIVECエンジンと4輪独立懸架を持つパジェロエボリューションが市販されます。快適な人気車と砂漠で勝つクルマを、最後まで別々の存在にしなかったわけです。
売れすぎたパジェロが、次に残した難題

チェロキー – XJ【SUVの常識を壊したモノコックの異端児】
ラダーフレームが当然だった時代に、モノコック構造でSUVを作り直したジープ・チェロキーXJ。軽く、低く、速い。その革新がSUVというジャンルそのものを変えた。
2代目パジェロは、初代が始めた「四駆を日常に持ち込む」という仕事を完成させました。スーパーセレクト4WDが操作の不安を消し、多彩なボディとグレードが買う理由を増やし、ダカールが本物であることを保証した。そして時代が、スキーとアウトドアとテレビでそれを増幅しました。
一方で、パジェロが市場の真ん中に来たことで、四駆の常識そのものが変わります。ラダーフレームを持つことより、セダンより快適であることを求める人が増えていきました。
自分が開いた市場に、自分の設計が古く見え始める。この成功者ならではの難題に答えるのが、1999年の3代目です。
パジェロの系譜


パジェロ – V20/V40【カローラを抜いた四駆】
Mitsubishi

この記事を書いた人
hodzilla51
クルマの系譜を追っていたら、いつの間にかサイトになっていました




