チェロキー – XJ【SUVの常識を壊したモノコックの異端児】

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チェロキー – XJ【SUVの常識を壊したモノコックの異端児】

SUVにモノコックボディを持ち込んだのは、トヨタでもメルセデスでもありません。

1984年、ジープ・チェロキーXJがそれをやりました。ラダーフレームにボディを載せるのが当たり前だった時代に、ボディそのものを構造体にするという発想。

これがどれほど異端だったか、当時のオフロード業界の空気を知るほどに驚かされます。

ラダーフレームが正義だった時代

1980年代初頭、四輪駆動車といえばラダーフレーム構造が大前提でした。頑丈なはしご型フレームの上にボディを載せる。悪路走破性と耐久性を最優先にした設計で、ジープもランドクルーザーもランドローバーも、基本的にはこの思想の上にありました。

ただ、この構造には明確な弱点があります。重いのです。フレームとボディが別体なぶん車両重量はかさみ、重心も高くなる。舗装路での乗り心地やハンドリングは犠牲になりがちで、燃費も悪い。オフロードでの信頼性と引き換えに、日常の使い勝手を差し出していたわけです。

1970年代のオイルショックを経て、アメリカ市場でも燃費への関心は確実に高まっていました。大排気量・大重量のトラックベースSUVは、時代の風向きと少しずつずれ始めていた。その空気の中で、AMC(アメリカン・モーターズ)が仕掛けたのがチェロキーXJでした。

AMCとルノーが生んだ異端の設計

チェロキーXJの開発背景を語るには、AMCという会社の立ち位置を知る必要があります。ビッグスリー(GM、フォード、クライスラー)に次ぐ第四のメーカーでありながら、経営は常に苦しかった。1970年代末にはフランスのルノーと資本提携し、技術と資金の両面で支援を受けていました。

XJの設計にはこのルノーの影響が色濃く出ています。開発を主導したのはAMCのエンジニアたちですが、モノコック構造の採用という判断には、乗用車設計に長けたルノーの知見が背景にあったとされています。当時のAMC単独では、ここまで大胆な構造転換に踏み切れたかどうか。

デザインを手がけたのは、後にクライスラーでも活躍するAMCのチーフデザイナーたち。特筆すべきはそのプロポーションです。従来のSUVより明らかに車高が低く、全幅もコンパクト。見た目からして「これはトラックではない」と主張していました。

モノコックが変えたもの

XJが採用したユニボディ(モノコック)構造は、フレームとボディを一体化させたものです。乗用車では当たり前の手法ですが、本格的な四輪駆動車に使うのは当時としては極めて異例でした。

この構造がもたらした最大の恩恵は軽量化です。ラダーフレームを廃したことで、同クラスのSUVと比べて数百ポンド(100kg以上)軽くなりました。軽いということは、加速がいい。燃費がいい。ブレーキが効く。舗装路でのハンドリングが素直になる。つまり、日常の道で普通に気持ちよく走れるSUVになったということです。

しかも、オフロード性能を大きく犠牲にしたわけではありません。ジープの伝統であるパートタイム4WDシステム(コマンドトラック)を搭載し、悪路での走破性もしっかり確保していました。後に追加されたフルタイム4WDの「セレクトラック」も含め、用途に応じた駆動系の選択肢が用意されていたのも見逃せません。

要するにXJは、「オフロード車だから舗装路はガマンしてください」という従来の常識を拒否した車です。両方やる、という宣言でした。

直6・4.0Lという心臓

XJの長い生産期間を通じて、最も重要なパワートレインはAMC製の直列6気筒4.0Lエンジンです。初期には2.5L直4や2.8L V6(GM製)も設定されていましたが、1987年に登場した4.0L直6こそがXJの本質を定義したエンジンでした。

190馬力前後の出力は、数字だけ見れば控えめに映るかもしれません。しかしこのエンジンの真価はトルク特性にあります。低回転域から太いトルクが立ち上がり、街中でも山道でも扱いやすい。直列6気筒ならではの振動の少なさと滑らかさも相まって、日常使いの快適さに大きく貢献していました。

このエンジンは驚くほど頑丈だったことでも知られています。20万マイル(約32万km)を超えても平気で走る個体が珍しくなく、整備性の良さも含めて北米のジープファンからは伝説的な評価を受けています。AMCがクライスラーに吸収された後も、この4.0Lはしばらく生産が続きました。それ自体が、このエンジンの完成度を物語っています。

17年間という異例の長寿

XJは1984年に登場し、2001年まで生産されました。17年間です。途中でフェイスリフトは受けていますが、基本骨格は最後まで変わっていません。これは自動車の世界では異例の長さです。

なぜこれほど長く作られたのか。理由はいくつかあります。まず、設計の基本が優れていたこと。モノコック+直6+コンパクトなボディという組み合わせは、年月を経ても古びにくいパッケージでした。

もうひとつは、後継車の開発が難航したことです。1993年にグランドチェロキー(ZJ)が登場しましたが、これはXJの上位モデルという位置づけであり、XJの直接的な後継ではありませんでした。XJのポジションを正式に引き継ぐリバティ(KJ)が出たのは2002年。つまり、後を継ぐ車がなかなか現れなかったのです。

結果として、XJは1990年代のSUVブーム全体をその身で駆け抜けることになりました。RAV4やCR-Vといった乗用車ベースのSUV(いわゆるクロスオーバー)が台頭する時代まで、第一線にいたわけです。

SUVの地殻変動はここから始まった

XJチェロキーの歴史的な意義は、「SUVを日常の乗り物にした」という一点に集約されます。それまでSUVは、悪路を走る人のための道具でした。XJはそこに「普通の道を普通に走る快適さ」を持ち込んだ。

この発想は、後のSUV市場全体を方向づけています。トヨタ・ハリアー(1997年)が「高級クロスオーバー」という概念を打ち出したとき、あるいはポルシェ・カイエン(2002年)がスポーツカーメーカーのSUVとして登場したとき、その根底にあるのは「SUVは舗装路でも快適であるべきだ」という思想です。XJがその最初の大きな一歩だったと言っていいでしょう。

もちろん、XJひとりで世界が変わったわけではありません。しかし、ラダーフレームの呪縛を最初に断ち切り、「SUVとはこういうものだ」という固定観念に風穴を開けたのは、まぎれもなくこの車です。

モノコックのジープ。それは1984年には異端でした。しかし今、世界中のSUVの大半がモノコック構造を採用しています。

異端は、いつの間にか標準になっていた。それを切り拓いた一台なのです。

チェロキーの系譜

小鍛治康人(やすと)

 

チェロキー – XJ【SUVの常識を壊したモノコックの異端児】

ジープ

小鍛治康人(やすと)

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hodzilla51

クルマの系譜を追ってたら、いつの間にかサイトになっていました

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