SUVという言葉が世の中に定着するのは、1990年代に入ってからのことです。
では、その前史にあたる時代に「本格的な四輪駆動車を、もう少しスタイリッシュに、もう少し日常的に乗れるようにしよう」と考えたメーカーはどこだったのか。
答えは、ジープブランドを擁していたAMC(アメリカン・モーターズ・コーポレーション)でした。
1974年に登場したチェロキーSJは、その試みの最初の一手です。
ワゴニアの弟として生まれた2ドア
チェロキーSJの出自を理解するには、まずフルサイズ・ワゴニアの存在を知る必要があります。1963年に登場したワゴニアは、「高級な4WDワゴン」という当時としては異例のコンセプトを持つクルマでした。ウッドパネルの外装、エアコン、オートマチックトランスミッション。それまで作業車・軍用車のイメージが強かった四駆の世界に、初めて「快適さ」を持ち込んだモデルです。
ただ、ワゴニアはいかんせん大きかった。全長5メートル超、4ドアのフルサイズボディは堂々たるものでしたが、もう少し身軽に、もう少しスポーティに4WDを楽しみたいという層には重すぎたわけです。
そこで1974年、ワゴニアのプラットフォームをベースに2ドア化して登場したのがチェロキーSJです。基本的なシャシーやドライブトレインはワゴニアと共有しつつ、ドアを2枚にしてホイールベースはそのまま。見た目の印象はかなりスポーティになりました。ワゴニアが「紳士の4WD」なら、チェロキーは「少しやんちゃな弟」という位置づけです。
AMCという会社の事情
チェロキーSJが生まれた背景には、AMCの経営的な苦しさも無関係ではありません。1970年代のAMCは、ビッグ3(GM、フォード、クライスラー)に対して乗用車市場で劣勢を強いられていました。規模の経済で勝てない以上、ニッチを攻めるしかない。その最大の武器が、1970年にカイザー・ジープ社から買収したジープブランドだったのです。
つまりAMCにとって、ジープ系のラインナップを広げることは生存戦略そのものでした。ワゴニアという成功モデルがある以上、そこから派生車種を作って市場を広げるのは合理的な判断です。チェロキーSJは、いわば「持てるカードで最大限の手を打つ」という発想から生まれたクルマでもあります。
中身はまぎれもない本格派
2ドアでスポーティな見た目とはいえ、チェロキーSJの中身はまぎれもないフルフレーム構造の本格4WDです。ラダーフレームにリーフスプリングのリジッドアクスル、パートタイム4WDのトランスファーケース。このあたりの基本構成は、当時のジープ車に共通するものでした。
エンジンは時代とともに変遷しますが、初期にはAMC製の直列6気筒やV8が搭載されています。特にAMC製の360cu.in.(5.9リッター)V8は、トルクフルで悪路走破性を支える心臓部として信頼を集めました。高速道路でもそれなりに走れて、ダートでもしっかり仕事をする。そのバランスが、チェロキーSJの持ち味だったと言えます。
足まわりは決して洗練されたものではありません。リーフスプリングのリジッドアクスルですから、舗装路での乗り心地は現代の基準で言えばかなり硬い。ただ、それは当時の四駆としてはごく標準的な仕様であり、むしろオフロードでの耐久性と整備性を優先した結果です。
「SUV以前」の時代が求めたもの
1974年という登場年は、ちょうど第一次オイルショックの直後にあたります。ガソリン価格が高騰し、燃費の悪い大型車には逆風が吹いていた時代です。フルサイズのV8を積んだ4WDなど、本来なら売りにくいはずでした。
しかしチェロキーSJは、そこそこ堅調に売れ続けます。理由はシンプルで、このクルマを必要としていた層は「燃費で選ぶ人たち」ではなかったからです。農場や牧場のオーナー、雪深い地域の住民、アウトドア愛好家。彼らにとって4WDは趣味ではなく実用であり、代替手段がそもそも少なかった。
加えて、チェロキーSJには「ワゴニアほど高くない」という価格面のメリットもありました。ワゴニアが高級路線に振っていた分、チェロキーはもう少し手の届きやすい存在だったのです。本格4WDの走破性は欲しいけれど、ウッドパネルやフル装備までは要らない。そういう実直な需要に応えたモデルでした。
長寿モデルとしてのSJ世代
チェロキーSJは、1974年の登場から1983年まで、約10年にわたって生産されました。途中で4ドアモデルが追加されたり、エンジンラインナップが整理されたり、細かなフェイスリフトは受けていますが、基本設計は大きく変わっていません。
この「長く作り続けた」という事実自体が、SJ世代の性格をよく表しています。革新的な技術で世代交代を繰り返すタイプのクルマではなく、堅実な基本設計を時代に合わせて微調整しながら使い続ける。ジープというブランドが持つ「道具としての信頼性」が、そのまま商品寿命の長さにつながったわけです。
ただし、1980年代に入ると状況は変わります。燃費規制の強化、ダウンサイジングの潮流、そして何より消費者の嗜好の変化。フルフレームのフルサイズ4WDは、さすがに時代遅れになりつつありました。
XJへの橋渡し、そして系譜の意味
1984年、チェロキーはXJ型へとフルモデルチェンジします。このXJこそが、ユニボディ構造を採用した画期的なコンパクトSUVとして歴史に名を残すモデルです。ラダーフレームを捨て、車体を一回り以上小さくし、乗用車的な乗り味を実現した。まさに「SUVの原型」と呼ばれるにふさわしい一台でした。
では、SJ世代は単なる「古い前任者」だったのかというと、そうではありません。SJが証明したのは、「本格4WDにも、もっと幅広い顧客がいる」という市場の存在です。ワゴニアの高級路線とは別に、もう少しカジュアルに、もう少し手軽に四駆を楽しみたい層がいる。その仮説を実証したのがSJ世代のチェロキーでした。
XJが大胆な設計革新に踏み切れたのは、SJが「四駆=作業車」というイメージを少しずつ崩し、一般ユーザーへの間口を広げていたからです。いきなりユニボディの四駆を出しても、市場が受け入れる土壌がなければ意味がない。SJは、その土壌を耕した世代だったと言えます。
初代チェロキーSJは、派手な革新者ではありません。しかし、SUVという巨大な市場が生まれる前夜に、「四駆をもっと身近に」という方向性を静かに、しかし確実に示した一台です。
その地味な功績は、もう少し語られてもいいのではないでしょうか。
チェロキーの系譜


チェロキー – SJ【SUVという言葉が生まれる前の本格派】
ジープ

この記事を書いた人
hodzilla51
クルマの系譜を追ってたら、いつの間にかサイトになっていました




