1990年代、日本車が世界のラリーシーンを席巻していた時代があります。
三菱のランサーエボリューション、トヨタのセリカGT-FOUR。そしてその中心にいたのが、スバル・インプレッサWRX──型式で言えばGC8です。
ただ、この車は最初から完成されたヒーローだったわけではありません。むしろ「勝つために変わり続けた」ことにこそ、GC8の本質があります。
レガシィの限界から始まった
GC8の話をするには、まずレガシィの話をしないといけません。スバルが本格的にWRC(世界ラリー選手権)へ参戦したのは1990年、初代レガシィRS(BC5)でのことでした。
水平対向ターボと4WDという組み合わせは戦闘力がありましたが、レガシィにはひとつ明確な弱点がありました。車体が大きすぎるのです。
ラリーカーにとってボディサイズは死活問題です。
狭い林道を全開で駆け抜ける競技では、ホイールベースが長いほど取り回しが悪くなる。レガシィのホイールベースは2,580mm。
当時の競合と比べても明らかに不利でした。スバルはWRCで勝つために、もっとコンパクトな車体を必要としていたのです。
そこで1992年に登場したのがインプレッサ、つまりGC型です。
ホイールベースは2,520mmに短縮され、車両重量もレガシィより軽い。要するにインプレッサとは、スバルがラリーで勝つために「レガシィを小さくした」車だった、と言ってもいい。
もちろん市販車としてのファミリーセダン需要も狙っていましたが、WRXグレードの存在意義は最初からモータースポーツ直結でした。
水平対向ターボ+4WDという方程式
GC8の心臓部は、スバル伝統のEJ20型水平対向4気筒ターボエンジンです。初期型のWRXで240ps、STiバージョンでは280ps。
当時の自主規制上限である280馬力に、STiは早い段階で到達しています。
水平対向エンジンの最大の利点は、重心の低さです。シリンダーが左右に寝ているぶん、エンジン全高が低くなる。これは直列4気筒を縦置きする他メーカーのレイアウトに対して、物理的に有利なポイントでした。
ラリーのように路面がめまぐるしく変わる環境では、低重心がもたらす安定性は数字以上の意味を持ちます。
駆動方式はフルタイム4WD。GC8のSTiグレードにはドライバーズコントロールセンターデフ(DCCD)が搭載され、前後のトルク配分をドライバーが手動で調整できました。
これはラリーでのセッティング自由度を高めるための装備であり、市販車にこれを載せてくるあたりに、スバルの本気が見えます。
WRCでの戦績が、市販車を変えた
GC8ベースのインプレッサ555がWRCに本格参戦したのは1993年。そしてわずか2年後の1995年、コリン・マクレーのドライブでスバルはマニュファクチャラーズタイトルを獲得します。マクレーはドライバーズタイトルも手にし、スバルは一躍ラリー界の主役に躍り出ました。
1996年、1997年にもマニュファクチャラーズタイトルを連覇。この3連覇が、GC8の市販車としてのブランド価値を決定的にしました。「WRCで勝っている車が買える」というストーリーは、スバルのマーケティングにとって何よりも強力な武器だったのです。
そして重要なのは、WRCでの知見が市販車にフィードバックされ続けたという事実です。GC8は1992年の登場から2000年の生産終了まで、実に細かくアップデートを重ねています。
A型からG型まで、年次改良のたびにエンジン、サスペンション、ボディ補強、制御系が見直されました。型式は同じGC8でも、初期型と最終型ではほとんど別の車と言っていいほど中身が違います。
年次改良という名の進化圧
GC8の年次改良は、単なるマイナーチェンジとは質が違いました。たとえばC型(1994年)ではSTiバージョンIIが登場し、ブレーキやサスペンションが大幅に強化されています。D型(1996年)のSTiバージョンIIIではエンジンの吸排気系が見直され、レスポンスが向上しました。
1997年のE型ではいわゆる「丸目前の最終形態」とも言える完成度に達し、STiバージョンIVはクロスミッションや等長エキマニこそまだでしたが、足回りのセッティングは一段と洗練されています。そして1998年のF型でフロントマスクが変更され、2ドアクーペにはいわゆる「22B」という伝説的な限定モデルも生まれました。
22B-STiバージョンは、WRC参戦3連覇を記念した400台限定のモデルです。ワイドボディにEJ22型2.2リッターエンジンを搭載し、280psを発生。現在ではオークションで数千万円の値がつくこともある、GC8の到達点のひとつです。ただ、22Bだけが特別なのではなく、毎年の改良を積み重ねた「普通のSTi」にも同じ思想が流れていた、というのがGC8の本質的な凄みでしょう。
ランエボという宿敵
GC8を語るうえで、三菱ランサーエボリューションの存在は避けて通れません。ランエボもまたWRC参戦を前提に開発されたセダンであり、直列4気筒ターボ+4WDという構成はインプレッサWRXと真っ向から競合していました。
両者の違いは、エンジンレイアウトに集約されます。スバルは水平対向の縦置き、三菱は直列4気筒の横置き(のちに縦置きも採用)。水平対向の低重心か、直列4気筒の整備性とパワーの出しやすさか。この構造的な差異が、走りの味付けにも影響していました。GC8は安定志向、ランエボは旋回性重視──大雑把に言えばそういう傾向がありました。
まあ、どちらが上かという議論は当時も今も尽きません。ただ確かなのは、この2台が互いを意識して進化し続けたことで、日本の4WDターボセダンというジャンルが世界的に見ても異常なレベルまで鍛え上げられた、ということです。
弱点がなかったわけではない
GC8は名車ですが、万能だったかと言えばそうでもありません。まず、内装の質感は正直なところ厳しい。同価格帯の他メーカー車と比べても、プラスチックの質や組み付けの精度は見劣りしました。スバルの開発リソースが走行性能に集中していたことの裏返しでもあります。
また、水平対向エンジン特有のオイル漏れやヘッドガスケットの問題は、経年車では避けて通れない持病です。EJ20は頑丈なエンジンですが、メンテナンスを怠ると痛い目を見る。これは設計上の弱点というより、構造的な特性と付き合う覚悟が要る、という話です。
ボディ剛性についても、年次改良で補強が入り続けたこと自体が、初期型の剛性が十分でなかったことを示唆しています。ただ、これは当時のコンパクトセダンとしては標準的な水準であり、GC8だけが特別に弱かったわけではありません。
GC8が残したもの
2000年、インプレッサはGD型へとフルモデルチェンジします。丸目、涙目、鷹目と変遷するGD系もまたWRCで戦い続けましたが、GC8時代の「毎年確実に速くなる」という進化の密度は、やはり特別なものでした。
GC8が確立したのは、「ラリーで勝てる4WDターボセダンを、一般ユーザーが買える価格で売る」というビジネスモデルです。STiバージョンでも新車価格は300万円台。WRCチャンピオンマシンのベース車両が、普通のサラリーマンの手に届く。この構図は、スバルというメーカーのブランドイメージを決定的に形作りました。
現在、WRXの名前はスバルのラインナップに残っていますが、WRC参戦はすでに過去のものとなっています。それでもWRXという名前に「速さ」のイメージが宿り続けているのは、GC8時代に築かれた記憶があるからです。あの時代のスバルには、勝つための車を作り、勝った結果を車に返す、という循環がありました。GC8とは、そのサイクルがもっとも濃密に回っていた時代の結晶です。
