ランドクルーザー – BJ/FJ20【警察予備隊が生んだトヨタの原点四駆】

  • hodzilla51
  • 7分で系譜を理解
ランドクルーザー – BJ/FJ20【警察予備隊が生んだトヨタの原点四駆】

ランドクルーザーという名前を聞けば、多くの人が頭に浮かべるのは、世界中の過酷な大地を走る大型SUVの姿でしょう。

けれど、この車の出発点はSUVどころか「乗用車」ですらありませんでした。

始まりは、敗戦から間もない日本で、トヨタが生き残りをかけて作った軍用四輪駆動車です。

ジープではなく「トヨタの四駆」だった理由

1950年、朝鮮戦争の勃発を受けて日本では警察予備隊(のちの自衛隊)が発足します。

この新組織には当然、移動手段が必要でした。当時すでに日本国内には米軍払い下げのウイリス・ジープが大量にありましたが、それらは老朽化が進んでおり、新たな調達が求められていたのです。

ここにトヨタが目をつけました。ただし、これは単なるビジネスチャンスの話ではありません。1950年のトヨタは、経営危機と大規模なリストラを経験した直後でした。朝鮮戦争に伴う特需がなければ、会社そのものが危うかったとさえ言われています。つまり、警察予備隊への四駆納入は、トヨタにとって経営の命綱のひとつだったわけです。

ここで重要なのは、トヨタがジープをそのままコピーしたわけではないという点です。もちろんウイリス・ジープの設計思想は大いに参考にされています。しかし、エンジンやシャシーの設計にはトヨタ自身の既存技術が投入されました。結果として生まれたのが、1951年に試作が完成した「トヨタ・ジープ BJ型」です。

BJ型の中身──トラック用エンジンを積んだ理由

BJ型の最大の特徴は、トヨタのトラック「SB型」に搭載されていたB型エンジンを流用したことです。排気量3.4リッターの直列6気筒OHV。出力は約85馬力。当時のジープ系車両としては、かなり大きなエンジンでした。

なぜトラック用エンジンだったのか。答えはシンプルで、トヨタが当時量産できるエンジンの中で、四駆に求められるトルクと耐久性を満たせるものがそれしかなかったからです。専用エンジンを新規開発する余裕は、当時のトヨタにはありません。手持ちの部品で最善の組み合わせを作る。これは制約の産物ですが、結果的にBJ型に頑丈さと実用性をもたらしました。

シャシーもトラック系のラダーフレームをベースとしており、ボディは鉄板を叩いて作ったような簡素なもの。快適性など考慮の外です。あくまで「悪路を走れる実用車」であり、そこに一切の妥協はありませんでした。

富士山六合目と「ランドクルーザー」の命名

BJ型の性能を証明するエピソードとして有名なのが、1951年に行われた富士山登山道の走行テストです。当時、自動車で富士山を登れたのは米軍のジープだけとされていた中、BJ型は六合目まで自力で到達しました。この実績は、BJ型の走破性を示す象徴的な出来事として語り継がれています。

ただし、警察予備隊の制式採用という本来の目的は、完全には達成できませんでした。最終的に制式採用されたのは三菱のジープ(ウイリス・ジープのライセンス生産車)であり、トヨタは少数の納入にとどまったとされています。軍用車両としてはライセンス品の信頼性が優先された、という事情もあったようです。

それでも、トヨタはBJ型の民間向け販売と官公庁向け納入を続けます。そして1954年、「ジープ」の商標がウイリス・オーバーランド社の登録商標であったため、トヨタは自社の四駆に新しい名前を与えます。それが「ランドクルーザー」でした。「陸の巡洋艦」。競合であるランドローバーを意識した命名とも言われますが、この名前が後に70年以上続くブランドの起点になるとは、当時誰も思わなかったでしょう。

FJ20系への進化──輸出を見据えた改良

BJ型は1955年頃からFJ20系へと発展します。最大の変更点はエンジンで、B型に代わってF型エンジン(3.9リッター直列6気筒OHV)が搭載されました。出力は約105馬力に向上しています。

F型エンジンへの換装は、単なるパワーアップではありません。この時期、トヨタはランドクルーザーの海外輸出を本格的に見据え始めていました。特に東南アジアや中東、南米など、道路インフラが未整備な地域での需要が見込まれていたのです。そうした市場では、壊れにくさと整備のしやすさが何よりも重要でした。F型エンジンは、その要求に応えるための進化だったと言えます。

ボディバリエーションもこの時期に広がりを見せます。ショートボディだけでなく、荷台付きのピックアップやロングホイールベース仕様が追加され、「働く四駆」としての幅が広がっていきました。まだ「SUV」という概念が存在しない時代です。ランドクルーザーはあくまで道具であり、その道具としての完成度を高める方向に進化していたのです。

なぜこの車が「系譜の始点」なのか

BJ/FJ20系が後のランドクルーザーに残した最大の遺産は、技術ではなく思想です。「どんな場所でも壊れずに走り、帰ってこられる車を作る」。この設計哲学は、40系、60系、70系、80系、100系、200系、そして現行の300系に至るまで、一貫してランドクルーザーの根幹にあります。

もちろん、BJ型の設計そのものが直接受け継がれているわけではありません。ラダーフレームの構造も、エンジンの系統も、世代ごとに刷新されています。しかし、「過剰なほどの頑丈さ」を最優先にするという判断基準は、BJ型の時代から変わっていません。それは、この車が快適性やスタイルではなく、「生き残るための道具」として生まれたことに起因しています。

そしてもうひとつ。ランドクルーザーは、トヨタという会社にとって「海外で信頼を勝ち取る最初の武器」でもありました。乗用車の輸出が本格化するよりも前に、ランドクルーザーは世界各地の過酷な現場で使われ、トヨタの名前を広めていたのです。

経営危機から生まれた「世界車」の原型

BJ/FJ20系ランドクルーザーは、華やかな車ではありません。デザインの洗練もなければ、乗り心地の快適さもない。カタログスペックで語れるような派手な数字もほとんどありません。

しかし、この車にはトヨタの生存本能が詰まっています。経営危機の中で、手持ちの技術を総動員して作った四駆。軍用採用こそ逃しましたが、民間市場と海外市場で地道に実績を積み、やがて世界中から「壊れない車」として信頼されるブランドへと育っていきました。

ランドクルーザーの系譜を語るなら、ここから始めるしかありません。

すべての始まりは、敗戦後の日本で、トヨタが必死に作った一台の四駆だったのです。

ランドクルーザーの系譜

小鍛治康人(やすと)

 

ランドクルーザー – BJ/FJ20【警察予備隊が生んだトヨタの原点四駆】

Toyota

小鍛治康人(やすと)

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hodzilla51

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