マークII – JZX90【バブルの残り香を纏った、最後の「豊かなセダン」】

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マークII – JZX90【バブルの残り香を纏った、最後の「豊かなセダン」】

バブルが弾けたのに、クルマだけはまだ夢の続きを見ていた。JZX90型マークIIは、そういう時代の空気をそのまま閉じ込めたようなセダンです。

1992年に登場したこの7代目マークIIは、開発の大半がバブル景気のさなかに進められていました。つまり、企画も設計も「景気がいい時代」の価値観で固められている。それが世に出たときには、すでに日本経済は冷え込み始めていた。

この時間差が、JZX90というクルマの性格をかなり特殊なものにしています。

バブル崩壊直後に現れた「バブルの申し子」

先代のJZX81型(6代目)は、まさにバブル絶頂期のクルマでした。ハイソカーブームの真っ只中、マークII三兄弟(マークII、チェイサー、クレスタ)はトヨタの屋台骨を支える存在で、月販1万台を超えるような売れ方をしていた時期もあります。

JZX90はその成功体験を正統に引き継いだモデルです。ボディは丸みを帯びた流線型に変わり、内装の質感も一段上がった。「上質なセダンに乗ること」がまだステータスだった時代の最終形と言ってもいいかもしれません。

ただ、発売された1992年10月という時期がポイントです。バブル崩壊からおよそ1年半。消費マインドは急速に冷えていたのに、このクルマは「お金をかけて丁寧に作りました」という空気を全身から漂わせていた。結果として、先代ほどの爆発的な販売台数にはなりませんでした。

1JZ-GTE──ツインターボ直6の完成形

JZX90を語るうえで外せないのが、1JZ-GTE型エンジンです。2.5リッター直列6気筒ツインターボ、最高出力280馬力。当時の自主規制上限いっぱいの数値で、先代JZX81の後期型から搭載が始まったこのユニットが、JZX90でさらに熟成されました。

直6ターボを4ドアセダンに積むという構成自体は、日産のスカイラインやローレルも同じ路線を取っていました。ただ、マークIIの場合はFR(後輪駆動)レイアウトとの組み合わせが効いている。フロントに縦置きされた直6が後輪を駆動するという、いわば古典的だけれど素性のいいパッケージです。

この1JZ-GTEは、ノーマルでも十分に速い。しかしそれ以上に重要なのは、チューニングベースとしてのポテンシャルでした。タービン交換やブーストアップで400馬力、500馬力と引き上げていける懐の深さがあり、これが後にドリフトシーンでJZX90が重宝される最大の理由になります。

「走り」と「上質」の同居という企画

JZX90のグレード構成を見ると、トヨタがこのクルマに何を求めていたかがよく分かります。エントリーの「GL」から上級の「グランデ」、そしてスポーツグレードの「ツアラーV」まで、一台の車種で「落ち着いた大人のセダン」と「280馬力のFRスポーツ」を両立させようとしていました。

ツアラーVには1JZ-GTEに加えて、TEMS(電子制御サスペンション)やトルセンLSD、ビスカスLSDなどが奢られています。足回りもフロントがダブルウィッシュボーン、リアがセミトレーリングアームという構成で、当時のセダンとしてはかなり走りに振った仕様です。

一方で、ツアラーVであっても内装はきちんと「マークII」でした。ウッド調パネル、電動シート、オートエアコン。スポーツカーのような割り切りはなく、あくまで「速くて快適なセダン」という立ち位置を崩さなかった。この二面性こそがJZX90の本質であり、後にチューニングカーとして愛される理由でもあります。

要するに、走りたい人にとっては「普段使いできるベース車」であり、普通に乗りたい人にとっては「ちょっとだけ速い上質なセダン」だった。どちらの入口からも入れる間口の広さが、このクルマの強みでした。

ドリフト文化が見出した「セダンの可能性」

JZX90が現役だった1990年代半ば、日本のドリフトシーンは急速に盛り上がっていました。シルビアやRX-7といった2ドアクーペが主役の世界に、4ドアセダンのマークIIが割り込んでいったのは、冷静に考えるとかなり異例のことです。

なぜマークIIだったのか。理由はシンプルです。FRで、直6ターボで、パワーが出て、中古で安く買えた。バブル崩壊後の中古車市場では、かつての高級セダンが驚くほど安く流通していました。新車では手が届かなかった若い世代が、中古のツアラーVを手に入れてサーキットに持ち込む。そういう流れが自然に生まれたわけです。

ボディ剛性はスポーツカー専用設計には及びませんが、ホイールベースが長い分、挙動の変化が穏やかで扱いやすいという声もありました。4ドアだから仲間を乗せてサーキットに行ける、という実用的な理由もあったでしょう。こうしてJZX90は、メーカーが想定していなかったであろう「ドリフトベース」という第二の人生を歩み始めます。

三兄弟という構造と、その終わりの始まり

JZX90世代でも、マークII・チェイサー・クレスタの三兄弟体制は維持されていました。プラットフォームとエンジンを共有しながら、フロントマスクやリアまわりのデザインで差別化するという手法です。

この三兄弟戦略は、販売チャネルが複数存在したトヨタならではのやり方でした。マークIIはトヨペット店、チェイサーはトヨタオート店(現ネッツ店)、クレスタはトヨタビスタ店。同じクルマを別の顔で売り分けることで、チャネル間の競争を生み、結果として販売台数を最大化する。バブル期にはこの戦略が見事にハマっていました。

しかしJZX90の時代には、すでにこの構造にほころびが見え始めています。セダン離れが進み、三兄弟を維持するだけの販売規模が怪しくなってきた。次世代のJZX100ではまだ三兄弟が続きますが、その次のJZX110世代でクレスタは「ヴェロッサ」に改名され、チェイサーは消滅します。JZX90は、三兄弟が完全な形で成立していた最後から二番目の世代です。

「ちょうどよかった時代」の記録

JZX90型マークIIは、突出した革新性を持つクルマではありません。先代JZX81の正常進化であり、技術的なブレイクスルーがあったわけでもない。しかし、だからこそ完成度が高い。バブル期に投入された開発費と、トヨタの量産技術が噛み合った結果としての「よくできたセダン」です。

280馬力の直6ターボ、FRレイアウト、上質な内装、4ドアの実用性。これらが一台に収まっていたこと自体が、実は贅沢な話でした。この後、日本の自動車市場はミニバンとSUVの時代に移行し、「FRの直6セダン」という選択肢そのものが急速に細っていきます。

まだセダンが「普通の憧れ」だった時代。エンジンに手を入れれば際限なくパワーが出た時代。そしてクルマに夢を見ることが、まだ当たり前だった時代。JZX90は、そういう空気の最後のあたりを走っていた一台です。

バブルの残り香、と書きました。でもそれは決してネガティブな意味ではありません。あの時代の「クルマにお金をかけることは正しい」という空気が生んだ、ある種の豊かさの結晶。

それがJZX90型マークIIという存在なのだと思います。

マークIIの系譜

小鍛治康人(やすと)

 

マークII – JZX90【バブルの残り香を纏った、最後の「豊かなセダン」】

Toyota

小鍛治康人(やすと)

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hodzilla51

クルマの系譜を追ってたら、いつの間にかサイトになっていました

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