「デートカー」という言葉に、少しバカにしたニュアンスを感じる人は多いかもしれません。
でも1987年に登場した3代目プレリュードは、その称号を背負いながら、世界初の量産4WS(四輪操舵)を市販車に載せてきた車です。
見た目で売れた車が、なぜそこまで技術に踏み込んだのか。この世代のプレリュードには、バブル期のホンダが持っていた独特の野心が詰まっています。
バブルの空気と、プレリュードの立ち位置
3代目プレリュード(BA4/BA5型、後期追加のBA7型)が世に出たのは1987年4月。日本経済はまさにバブルの上昇気流のまっただ中で、若者がクルマに求めるものは「速さ」だけではなく、「スタイル」と「先進性」の両方でした。プレリュードはその空気を完璧に読み取った1台です。
初代・2代目で築いた「ホンダのスペシャルティクーペ」という立ち位置を、この3代目は一気に押し上げました。2代目(AB/BA1型)がリトラクタブルヘッドライトの低いノーズで人気を博していたところに、3代目はさらに低く、さらにワイドに、そしてさらに洗練されたデザインで登場します。全高はわずか1,295mm。当時の日本車としては異例の低さで、これは「低いことが正義」だった時代の価値観をストレートに反映しています。
競合はシルビア(S13)、セリカ(ST160系からST180系へ移行する時期)といったスペシャルティクーペ群。ただ、プレリュードが他と違ったのは、FFでありながらスポーツ性を追求し、しかもそこに世界初の技術を惜しげもなく投入してきた点です。
4WSという賭け
3代目プレリュードを語るうえで、4WS(機械式四輪操舵)は絶対に外せません。ホンダはこの車で、世界で初めて量産車に舵角応動型の4WSを搭載しました。正式名称は「ホンダ・4WS」。前輪の操舵角に応じて後輪も同位相・逆位相に転舵する、純粋に機械式のシステムです。
仕組みを簡単に言えば、低速域ではハンドルを大きく切ると後輪が前輪と逆方向に切れて小回りが利き、高速域ではハンドルを小さく切ると後輪が前輪と同じ方向に切れて安定性が増す、というものです。電子制御ではなく、ステアリングギアボックスからの機械的なリンケージで後輪を動かしていたのが当時としては画期的でした。
なぜホンダがこの技術をプレリュードに載せたのか。ひとつには、FFスペシャルティクーペという商品の弱点を技術で克服しようとした意図があります。FFは構造上、フロントヘビーになりやすく、高速コーナリングではアンダーステア(前輪が外に逃げる傾向)が出やすい。4WSはその弱点を補い、FF車でありながら旋回性能を高める手段として合理的でした。
もうひとつは、当時のホンダが持っていた「技術で驚かせたい」という企業体質です。F1で連勝を重ねていた時代のホンダにとって、市販車に世界初の技術を載せることは、ブランドの説得力を高める最良の方法でした。プレリュードはその発信装置として最適だったわけです。
エンジンと走りの中身
搭載エンジンは、主にB20A型の2.0L直列4気筒。グレードによってキャブレター仕様(BA4型、110ps)とPGM-FI(電子制御燃料噴射)仕様(BA5型、145ps)に分かれます。上級グレードのSiやSi 4WSに載るPGM-FI仕様のB20A型は、DOHC16バルブで最高出力145ps。リッターあたり72.5psは、当時のNAエンジンとしてはなかなかの水準です。
1989年のマイナーチェンジでは、Si系のエンジンが改良されて最高出力が150psに引き上げられました。さらに注目すべきは、後期型で追加されたBA7型の存在です。BA7にはB21A型の2.1Lエンジンが搭載され、排気量アップによってトルク特性が改善されています。これは北米市場を意識した展開でもありましたが、国内でも「Si VTEC」としてラインナップされ、後のVTEC時代を予感させる布石になりました。
足回りはフロントがダブルウィッシュボーン、リアもダブルウィッシュボーン。当時のホンダが全車種に展開しつつあった4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションを、プレリュードでも惜しみなく採用しています。この足回りの質の高さは、FF車とは思えないコーナリングの素直さにつながっていました。
ただし、4WSについては評価が割れたのも事実です。高速レーンチェンジでの安定感は確かに印象的でしたが、低速での逆位相転舵に慣れないドライバーからは「動きが唐突に感じる」という声もありました。技術としては正しいのに、人間の感覚との擦り合わせが完全ではなかった。この経験は、次世代の4代目プレリュード(BB1/BB4型)で電子制御式に進化する際の重要な教訓になっています。
デザインという武器
3代目プレリュードの商品力を語るとき、走りの話だけでは片手落ちです。この車が圧倒的に売れた最大の理由は、やはりデザインでした。
ロー&ワイドなプロポーション、フラッシュサーフェス化されたボディ、リトラクタブルヘッドライト。2代目で確立された「低くてカッコいいホンダクーペ」の文法を、3代目はさらに洗練させています。特にサイドビューのウェッジシェイプは、当時の日本車デザインの中でも群を抜いて美しいと評価されました。
インテリアも凝っています。運転席まわりのデザインは、コクピット感を強調しつつも上質さを両立。当時としては珍しいデジタルメーターの採用や、助手席側まで回り込むダッシュボードのデザインなど、「乗る人を特別な気分にさせる」ことへの執着が随所に見えます。
この「見た目の良さ」と「中身の先進性」の組み合わせが、バブル期の若者に刺さりました。月販1万台を超えるヒットを記録し、プレリュードはホンダの中でもアコードに次ぐ重要な収益源になっています。デートカーと呼ばれたことを揶揄する向きもありますが、あの時代に若い層を大量にホンダに引き込んだ功績は、冷静に見れば非常に大きいものです。
系譜の中での意味
3代目プレリュードが残したものは、販売台数だけではありません。この世代で実用化された4WSは、ホンダにとって四輪操舵技術の原点になりました。4代目では電子制御化され、さらに洗練された形で継承されています。そして現在、ホンダが電動化時代に向けて再び四輪操舵に注目していることを考えると、BA4/BA5世代の挑戦は決して一過性のものではなかったと言えます。
また、4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションによるFF車の走りの質の追求は、同時期のアコード(CA型)やシビック(EF型)とも共鳴するホンダ全体の設計思想でした。プレリュードはその旗艦的な役割を担い、「FFでもここまで走れる」という証明をスペシャルティクーペの形で世に示したわけです。
一方で、この世代の成功があまりに大きかったことが、次の4代目に過大な期待をかける原因にもなりました。4代目BB1/BB4型は技術的にはさらに進化しましたが、バブル崩壊後の市場環境の変化もあり、3代目ほどの商業的成功は収められていません。つまり3代目は、プレリュードというモデルの頂点であると同時に、スペシャルティクーペ市場そのものの頂点でもあったのです。
技術と色気の両立した遺産
3代目プレリュードを一言で表すなら、「色気のある技術実験車」でしょう。世界初の4WSを載せ、4輪ダブルウィッシュボーンで足回りを固め、DOHCエンジンで走りを担保する。それでいて、見た目は文句なしにカッコいい。技術と商品性を高い次元で両立させた、バブル期ホンダの理想形のような車です。
デートカーという呼び名は、ある意味ではこの車の本質を矮小化しています。確かにデートに使われたでしょう。でもその裏側には、FFの限界を技術で押し広げようとしたエンジニアの意地と、世界初を市販車に載せるというホンダの企業としての覚悟がありました。見た目だけの車なら、わざわざ4WSなんて開発しません。
BA4/BA5/BA7型プレリュードは、あの時代の空気を吸って生まれた車です。ただ、その中身は時代に流されたのではなく、時代を利用して技術を世に問うた車でした。そこがこの世代のプレリュードの、いちばん面白いところだと思います。
