プレリュードという名前を聞いて、何を思い浮かべるかは世代で分かれます。3代目のリトラクタブルライトを思い出す人もいれば、4代目の4WSを語る人もいる。ただ、5代目──BB5/BB6/BB7/BB8型のことを語ろうとすると、少し空気が変わります。「あれ、最後のやつだよね」という一言が、たいてい先に出てくるからです。
1996年に登場したこの5代目は、ホンダが持てる技術を惜しみなく投入した意欲作でした。にもかかわらず、販売は振るわず、2001年に生産終了。プレリュードという車名は、ここで途絶えます。なぜこの車は「最後」になったのか。それはクルマの出来とは別の次元で、時代が大きく動いていたからです。
スペシャルティクーペの黄昏
5代目プレリュードが世に出た1996年という年は、日本の自動車市場にとって明確な転換点でした。RVブームが本格化し、ミニバンやSUVが売れ筋の主役に躍り出ていた時期です。2ドアクーペ、とりわけ「デートカー」と呼ばれたスペシャルティクーペの市場は、急速にしぼんでいました。
プレリュードが全盛だったのは3代目(BA系)から4代目(BA8/BB1〜BB4)にかけてです。特に3代目は月販1万台を超えるヒットを記録し、デートカーの代名詞とまで言われました。しかし4代目の時点ですでに販売は下降線をたどっており、5代目はその流れを覆さなければならない──という、かなり厳しい立場で開発がスタートしています。
同時期のライバルを見ても状況は似ていました。トヨタ・セリカは同じく苦戦し、日産・シルビアも次世代を模索していた時代です。スペシャルティクーペというジャンルそのものが、存続を問われていたわけです。
ATTSという回答
そんな逆風の中でホンダが出した答えが、ATTS(アクティブ・トルク・トランスファー・システム)でした。これは前輪の左右にトルク配分を可変させる機構で、要するに「曲がるときに外側の前輪へ多くの駆動力を送ることで、FF車の限界を引き上げる」という技術です。
FF車はその構造上、アンダーステア──つまりハンドルを切っても外へ膨らみやすい傾向を持っています。ATTSはこの弱点を機械的に抑え込もうとしたもので、当時としてはかなり先進的な発想でした。SH-AWDへとつながるホンダの左右トルク配分技術の原点は、まさにここにあります。
搭載されたのはBB6型(SiR系のATTS仕様)とBB8型(Type S)で、エンジンは2.2LのH22A型DOHC VTEC。最高出力は220ps(Type S)に達し、FFスペシャルティとしてはかなりの高出力でした。BB5型には2.2LのH22A(200ps仕様)、BB7型には2.0LのF20Bが搭載され、グレード構成はそれなりに幅を持たせていました。
走りの評価と、売れなかった理由
走りの評価は、当時のメディアでも高いものでした。ATTSの効果は明確で、コーナーでのノーズの入り方がFF車の常識を超えていると評されています。ダブルウィッシュボーンの4輪独立懸架も健在で、足回りの質感は歴代プレリュードの中でも最上とする声がありました。
ただ、走りが良いことと売れることは、この時代においてはまったく別の話でした。5代目プレリュードのデザインは、先代のシャープさからやや丸みを帯びた方向へシフトしています。これは好みの分かれるところで、「プレリュードらしくない」という意見も少なくありませんでした。
さらに言えば、ホンダ自身がこの時期インテグラ・タイプRという強烈なFFスポーツを持っていたことも、プレリュードの立ち位置を難しくしていました。スポーツ性を求めるならインテグラ、ラグジュアリー寄りのクーペならアコードクーペがある。では、プレリュードは何なのか。この問いに対する明確な答えを、5代目は最後まで打ち出しきれなかったように見えます。
ボディ設計の真面目さ
売れなかったからといって、手を抜いたクルマだったわけではありません。むしろ5代目プレリュードは、ホンダらしい真面目さが随所に出ています。
ボディ剛性は先代比で大幅に向上しており、衝突安全性も当時の基準を高いレベルでクリアしていました。全幅は1,740mmとやや拡大されましたが、全高は1,315mmに抑えられ、低く構えたプロポーションは維持されています。ホイールベースは2,585mmで、2ドアクーペとしては余裕のある数値です。
室内も、スペシャルティクーペとしては実用的な広さが確保されていました。後席はさすがに大人が長時間座るには厳しいものの、2ドアであることを考えれば十分なレベルです。トランク容量も日常使いに不便のない水準でした。
つまり、このクルマは「走り」「技術」「パッケージング」のどれをとっても破綻がない。ただ、それだけでは時代の空気に勝てなかった。そこにこの世代のプレリュードの悲劇があります。
1998年のマイナーチェンジ
1998年にはマイナーチェンジが実施されています。外観ではフロントバンパーやリアコンビランプのデザインが変更され、やや精悍な印象になりました。内装の質感も向上し、装備面でも細かな改良が加えられています。
ただ、このマイナーチェンジで販売が大きく回復することはありませんでした。市場全体がクーペから離れていく流れは、一車種の改良で止められるものではなかったのです。
Type Sの220psという出力は維持され、ATTSも継続搭載。走りの方向性はブレていません。しかし、ホンダ社内でもプレリュードの後継開発は事実上凍結されていたとされ、このマイナーチェンジが実質的な最終仕様となりました。
プレリュードが残したもの
2001年、プレリュードは生産を終了します。1978年の初代から数えて23年、5世代にわたる歴史に幕が下りました。後継車は出ていません。
ただ、技術的な遺産は確実に残っています。ATTSの左右トルク配分という考え方は、その後レジェンドやインスパイアに搭載されたSH-AWDへと発展しました。FFの限界を機構で超えるというアプローチは、5代目プレリュードが市販車として最初に実証したものです。この技術的な系譜を考えると、BB5〜BB8型は単なる「売れなかった最終型」ではなく、ホンダの駆動技術における重要な実験場だったと言えます。
プレリュードという車名は、音楽用語で「前奏曲」を意味します。皮肉なことに、5代目は何かの前奏ではなく、ひとつの時代の終奏になりました。けれども、その終奏の中にこそ、次の時代の技術が仕込まれていた。そう考えると、最後のプレリュードは、名前の意味を別の形でまっとうしていたのかもしれません。
