ホンダという会社は、長いあいだ「実用」と「技術」の会社でした。シビック、アコード、ライフ。
どれも真面目で、合理的で、道具として優秀。
けれど1970年代後半、ホンダはひとつの問いに直面します。「技術だけで、人はクルマに惚れるのか?」。
その答えとして生まれたのが、1978年登場の初代プレリュード、SN型です。
ホンダに「スペシャルティ」がなかった時代

プレリュード – AB/BA1【"デートカー"の原点にして、ホンダの技術実験場】
1982年登場の2代目プレリュード。リトラクタブルライトと低いボンネットで"デートカー"の代名詞となったが、その中身はFF用ダブルウィッシュボーンや日本初4輪ABS、B20A型DOHCなど、ホンダの先端技術を惜しみなく注いだ意欲作だった。
1970年代のホンダは、まだ四輪メーカーとしての歴史が浅い会社でした。軽自動車のN360で市場に食い込み、シビックで世界に名を売り、アコードで北米市場を切り拓いた。けれどそのラインナップは、どこまでいっても「暮らしの道具」の域を出ていなかったんです。
同じ時代、トヨタにはセリカがあり、日産にはシルビアがありました。いわゆるスペシャルティカー、つまり「実用性よりも雰囲気やスタイルで選ばれるクーペ」という市場が、1970年代の日本では確実に育っていた。ホンダにはそれがなかった。技術屋としての信頼は得ていたけれど、「カッコいいから欲しい」と言わせるクルマがなかったわけです。
アコードの上に載せた「もうひとつの意味」

プレリュード – BA4/BA5/BA7【デートカーの王が本気で走りを仕込んだ世代】
3代目プレリュードBA4/BA5型は、デートカーブームの頂点に立ちながら4WSという先進技術を量産化した異色の存在。見た目だけでは終わらなかったホンダの本気を読み解きます。
初代プレリュードの開発は、アコードのプラットフォームを活用する形で進められました。型式はSN型。エンジンはアコードと共通のEK型1.8L直列4気筒SOHCで、出力は90馬力。スペックだけを見れば、特別に速い車ではありません。
ただ、このクルマの本質はスペックにはありません。ホンダが初めて「スタイルで選ばれること」を設計の中心に据えた、という事実にあります。低く構えたノーズ、リトラクタブルヘッドライト、ロングノーズ・ショートデッキのプロポーション。当時のホンダ車にはなかった色気が、このクルマには意図的に込められていました。
リトラクタブルヘッドライトは、日本車としてはかなり早い採用例です。これは空力的な合理性もありますが、それ以上に「見た目のインパクト」として効いていた。ホンダが機能だけでなく、情緒的な魅力を設計要素として真正面から扱った最初の証拠と言っていいでしょう。
走りよりも「佇まい」で勝負した理由

プレリュード – BA8/BA9/BB1/BB4【バブルの全部入りが、時代に届かなかった4代目】
1991年登場の4代目プレリュードは、バブル絶頂期に開発されたホンダ渾身のスポーティクーペ。H22A VTECエンジン、電子制御4WS、ワイド&ローボディ。全部載せの贅沢が、崩壊後の市場に放たれた皮肉を読み解く。
SN型プレリュードの走行性能は、正直に言えば突出したものではありませんでした。1.8LのSOHCエンジンに、トランスミッションは5速MTまたはホンダマチック(2速AT)。車重は約1,000kg前後で、軽快さはあったものの、スポーツカーと呼ぶには少し穏やかです。
でも、それはおそらく意図的な選択でした。ホンダがこのクルマで狙ったのは、セリカやシルビアのような「走りのクーペ」ではなく、もう少し大人びた、パーソナルクーペとしてのポジションです。デートカーという言葉が定着するのはもう少し先ですが、SN型はその原型に近い空気をすでに持っていました。
インテリアにも、その意図は表れています。当時としては上質な仕立てで、運転席まわりの造形にも「見せる」意識がある。実用車の延長ではなく、「この車に乗っている自分」を演出するための空間設計が、SN型にはすでに存在していたんです。
北米市場という隠れた主戦場

プレリュード – BB5/BB6/BB7/BB8【最後のプレリュードが背負った、デートカーの終焉】
5代目にして最終型となったプレリュードBB5〜BB8系。ATTS搭載の意欲作でありながら、時代の潮目に呑まれたスペシャルティクーペの意味を読み解きます。
SN型プレリュードを語るうえで見落とせないのが、北米市場の存在です。1970年代後半のホンダは、アコードの成功によって北米での地盤を急速に固めていた時期でした。プレリュードは、その北米市場で「ホンダにもスタイリッシュなクーペがある」と示すための戦略的な一手でもあったんです。
実際、北米ではアコードのユーザー層よりやや若い、あるいはライフスタイル志向の強い層にプレリュードは受け入れられました。日本国内だけを見ると販売台数は控えめでしたが、北米での評価がこのモデルの存続を支え、後の2代目・3代目へとつながる道を開いたと言えます。
「速さ」ではなく「在り方」を提示した初代

PRELUDE – BF1【24年ぶりの前奏曲は、ハイブリッドで何を語るか】
24年の沈黙を破り2025年に復活した6代目プレリュード(BF1)。ハイブリッド専用のスペシャリティクーペとして生まれた背景、S+ Shiftの意味、そしてシビックタイプR譲りの足回りを持つこの車が担う役割を読み解きます。
SN型プレリュードは、1982年に2代目(AB/BA型)へバトンを渡します。2代目以降、プレリュードは世界初の4WS(四輪操舵)を搭載するなど、技術的なトピックで語られることが増えていきます。けれど、初代が果たした役割はそれとは少し違います。
初代がやったのは、「ホンダにもこういうクルマが作れる」という宣言です。技術で勝つのではなく、存在の仕方そのもので市場にメッセージを送った。それまで実用車メーカーとして見られていたホンダが、「感性に訴えるクルマ」を自分たちの手で形にできると証明した。それがSN型の最大の功績です。
プレリュードという名前は「前奏曲」を意味します。初代SN型は、まさにその名の通り、ホンダのスペシャルティカーの歴史における序曲でした。派手なスペックはなくとも、この一台がなければ、後のプレリュード神話も、ホンダのデートカー文化も、おそらく存在しなかった。静かに、しかし確実に、ホンダの四輪史に新しい回路を開いた車です。
プレリュードの系譜


プレリュード – SN 【ホンダが初めて「色気」を設計した車】
Honda

この記事を書いた人
hodzilla51
クルマの系譜を追っていたら、いつの間にかサイトになっていました
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煽りだけで、クルマがわかるか。




