スカイラインの歴史を語るとき、R31はどうしても微妙な扱いを受けがちです。「迷走」「らしくない」「都会派に振りすぎた」。
当時のファンからも、後年の評価でも、そういう言葉がつきまといます。でも、このクルマが積んだエンジンが、その後のスカイラインの命脈そのものになった。そこに目を向けると、R31の見え方はだいぶ変わってきます。
1985年、スカイラインは何を求められていたのか
R31が登場した1985年は、日本車が急速に高級化・高性能化へ舵を切り始めた時期です。トヨタはソアラで高級パーソナルクーペの市場を切り開き、マークIIは「ハイソカー」ブームの中心にいました。日産もこの流れに乗らないわけにはいかなかった。
先代のR30は、鉄仮面の愛称で知られるように、硬派なスポーツセダンとしての存在感がありました。ポール・ニューマンを起用した広告も印象的で、スカイラインのスポーティイメージを強く打ち出した世代です。ところが日産の社内では、スカイラインをもう少し上質な方向へ持っていきたいという意向が強まっていました。
当時の日産は、国内販売でトヨタに大きく水をあけられていた時期でもあります。スカイラインはブランドの象徴であると同時に、量販車種として台数を稼がなければならない存在でもありました。つまり、「走り好きだけに売れていればいい」では済まない立場だったわけです。
「7th SKYLINE」が目指した方向転換
R31の開発コンセプトは、端的に言えば「都会的で洗練されたスカイライン」でした。日産は「7th SKYLINE」というキャッチコピーを掲げ、世代の刷新を強く打ち出します。デザインは直線基調で端正にまとめられ、先代R30の武骨さとは明確に異なるものでした。
ボディは大型化し、全幅も広がりました。インテリアにはデジタルメーターが採用され、当時の先端技術を積極的に取り入れています。4輪操舵システム「HICAS」を世界で初めて量産車に搭載したのもこのR31です。後輪がわずかに操舵されることで、高速域での安定性を高めるという狙いでした。
ただ、この方向転換はスカイラインの伝統的なファン層とは噛み合わなかった。端的に言えば、走りの尖りが丸くなったと受け取られたのです。車体が大きく重くなったこと、デザインが大人しくなったことへの不満は根強く、「これはスカイラインじゃない」という声が少なからず上がりました。
もっとも、日産がスポーツ性を完全に捨てたわけではありません。2ドアクーペのGTS系にはしっかりスポーティグレードが用意されていましたし、後に追加されるGTS-Rは、グループAレース参戦を見据えた本格的なホモロゲーションモデルでした。ただ、車種全体のイメージとして「高級志向に寄った」という印象が先行してしまったのは否めません。
RB20型エンジンという最大の遺産
R31を語るうえで絶対に外せないのが、RB型エンジンの初搭載です。先代まで使われていたL型直列6気筒に代わり、新開発のRB20DE/RB20DETが載りました。これはスカイラインの歴史において、エンジン系譜の大きな転換点です。
RB20型は、2.0リッター直列6気筒DOHCという基本構成。自然吸気のRB20DEが150馬力、ターボのRB20DETが180馬力を発生しました。数字だけ見れば当時としては突出した値ではありませんが、重要なのは性能そのものよりも、このエンジンが持つ発展性です。
RB型はここから排気量を拡大し、RB25、そしてRB26へと進化していきます。R32 GT-Rに搭載されて伝説となるRB26DETTは、まさにこのRB20型の延長線上に生まれたエンジンです。つまりR31は、後のGT-R復活を技術的に準備した世代だったと言えます。
L型からRB型への切り替えは、単なるモデルチェンジの一環ではありません。日産がこの時期に直列6気筒の新しい基幹エンジンを開発し、それをスカイラインに最初に積んだという判断には、明確な意思があります。スカイラインは日産にとって、直6を載せるべきクルマであり続けなければならない。その系譜を途切れさせないための投資だったわけです。
GTS-Rという回答
R31の評価を語るとき、1987年に追加されたGTS-Rの存在は見逃せません。グループAレースへの参戦を前提としたホモロゲーションモデルで、生産台数はわずか800台程度とされています。
RB20DET-Rと呼ばれる専用チューンのエンジンは、大型のギャレットT04タービンを装着し、210馬力を発生しました。当時の自主規制枠が意識される中での数字ですが、実際のポテンシャルはカタログ値を大きく超えていたと言われています。エンジン以外にも、等長エキゾーストマニホールドや大容量インタークーラーなど、レース直系の装備が奢られていました。
GTS-Rは、「R31はスポーツカーではない」という批判に対する日産なりの回答です。ただし、これが限定モデルでしか実現できなかったという事実は、R31の標準的なキャラクターがどこにあったかを逆に示してもいます。
レースの現場では、R31はグループAで苦戦を強いられました。シエラRS500を擁するフォード勢や、トヨタ・スープラとの競争の中で、車重の重さが足かせになったのは事実です。しかし、この経験がR32の開発において「次は絶対に勝てるクルマを作る」という強い動機になったことは、後に開発陣が繰り返し語っています。
不遇の評価と、系譜上の本当の意味
R31は商業的にも評価的にも、スカイラインの歴史の中では苦しい世代です。販売台数は先代R30を下回り、後継のR32が圧倒的な評価を得たことで、余計に「谷間の世代」という印象が固定されてしまいました。
ただ、冷静に振り返ると、R31がやったことの意味は小さくありません。RBエンジンの投入、HICASの実用化、そしてGTS-Rでのレース参戦。これらはすべて、R32 GT-Rという「回答」に直結する布石です。
R32が名車になれたのは、R31が失敗から学んだからでもあります。「スカイラインを高級に振ったらファンが離れた」「車重が重いとレースで勝てない」「スポーツイメージを薄めると求心力を失う」。これらの教訓は、すべてR31の時代に得られたものです。
もうひとつ見落とせないのは、R31が4ドアセダンとしてのスカイラインの可能性を模索した世代でもあるということです。走りだけでなく、日常の快適性や質感を求めるユーザーに応えようとした姿勢は、後のV35以降のスカイラインの方向性と重なる部分があります。早すぎた、と言ってしまえばそれまでですが、間違った方向を向いていたわけではなかった。
R31が残したもの
R31スカイラインは、華やかなヒーローではありません。R32やR34のような熱狂的な支持を集めることもなく、中古車市場でも長らく不人気車種の扱いでした。
しかし、このクルマがなければRBエンジンは生まれず、RBエンジンがなければGT-Rの復活もなかった。HICASの技術蓄積がなければ、R32のアテーサE-TSへの展開もまた違った形になっていたかもしれません。
系譜というのは、成功作だけで成り立つものではありません。次の世代に何を渡したか。その視点で見れば、R31はスカイラインの未来を技術で準備した世代です。地味で、叩かれて、それでも確実に次へつないだ。
そういうクルマの存在を、系譜の中できちんと位置づけておくことには意味があると思います。
スカイラインの系譜


スカイライン – R31【RBエンジンが静かに始まった世代】
Nissan

この記事を書いた人
hodzilla51
クルマの系譜を追ってたら、いつの間にかサイトになっていました




