スカイライン – V35【GT-Rを失い、世界基準を得た転換点】

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スカイライン – V35【GT-Rを失い、世界基準を得た転換点】

スカイラインの歴史の中で、もっとも激しく賛否が割れた世代はどれか。

その問いに対して、多くのファンがまず思い浮かべるのがV35型ではないでしょうか。

2001年に登場したこの9代目は、直列6気筒を捨て、GT-Rの設定をなくし、丸型テールランプすら廃止しました。それまでのスカイライン像を知る人にとっては、ほとんど別の車に見えたはずです。

ただ、この車の背景を丁寧に追っていくと、単なる「裏切り」では片付けられない、日産というメーカーの生存戦略が見えてきます。

日産が瀕死だった時代のスカイライン

V35型を語るには、まず当時の日産の状況を知っておく必要があります。

1999年、日産はルノーとの資本提携を結び、カルロス・ゴーンがCOOとして着任しました。いわゆる「日産リバイバルプラン」の真っ只中です。2兆円を超える有利子負債を抱え、国内工場の閉鎖やプラットフォームの大幅削減が進められていた時期でした。

つまりV35型は、日産が自力では立ち行かなくなった直後に世に出た車です。開発自体はゴーン着任前から進んでいましたが、商品としての最終判断はリバイバルプランの影響を色濃く受けています。「聖域なき改革」の空気の中で、スカイラインもまた、従来の延長線上に留まることを許されなかったわけです。

インフィニティG35という出自

V35型を理解するうえで最も重要なのは、この車が最初からインフィニティG35として企画されたという事実です。日産の北米向け高級ブランド「インフィニティ」のミドルセダンとして開発され、日本ではスカイラインの名を冠して販売される──という順番でした。従来のスカイラインが日本市場を起点に設計されていたのとは、根本的に出発点が違います。

この構造転換には明確な理由があります。日産にとって北米市場は最大の収益源であり、インフィニティブランドの立て直しは経営再建の柱のひとつでした。BMW 3シリーズやメルセデスCクラスと正面から戦える後輪駆動セダンが必要だった。その要求に応えるために生まれたのがFMプラットフォーム(フロントミッドシップ)であり、V35型スカイラインの骨格です。

要するに、V35型は「日本のスカイラインを世界に出した」のではなく、「世界向けの車にスカイラインの名前を載せた」のです。この順番の違いが、ファンの間に深い溝を生みました。

直6を捨て、VQを載せた理由

V35型で最も象徴的な変化は、スカイライン伝統の直列6気筒エンジンが消えたことです。代わりに搭載されたのは、VQ35DE型3.5リッターV型6気筒。排気量は先代R34型の2.5リッター直6から大幅に拡大され、最高出力は260馬力を発生しました。

なぜ直6を捨てたのか。理由はいくつかありますが、最大のポイントはパッケージングです。FMプラットフォームはエンジンをフロントアクスルの後方に搭載する設計で、前後重量配分の最適化を狙っていました。直列6気筒は全長が長く、このレイアウトとの相性が悪い。V6であればエンジンを短くコンパクトに収められ、重心位置も有利になります。

加えて、VQ型エンジンは当時すでに北米市場で高い評価を得ていました。Ward's誌の「10ベストエンジン」に何度も選出されており、インフィニティの看板として申し分ない実績があった。日産としては、グローバルで通用するパワートレインを優先した形です。

ただ、スカイラインにとって直列6気筒は単なるエンジン形式ではありませんでした。初代S50型のG7エンジンに始まり、L型、RB型と受け継がれてきた直6は、スカイラインのアイデンティティそのものだった。それを合理性の名のもとに切り替えたことが、多くのファンにとって受け入れがたかったのは当然のことです。

GT-Rなきスカイラインの意味

もうひとつ、V35型で大きな議論を呼んだのがGT-Rの設定がなかったことです。R32以降、スカイラインGT-Rは日産のスポーツイメージを牽引する存在でした。そのGT-Rが、V35型では設定されなかった。

これは後にGT-Rがスカイラインから独立し、R35型として単独車種になる布石でもありました。日産社内では、GT-Rをスカイラインの一グレードに留めておくべきか、独立したスーパースポーツとして展開すべきかという議論がR34の時代から続いていたとされています。V35型でGT-Rが設定されなかったのは、その結論が出る前の「空白期」だったとも言えます。

ただ、当時のユーザーからすれば、GT-Rのないスカイラインは「抜け殻」に見えた。スカイラインという名前が持つスポーツ性の象徴がごっそり抜け落ちたわけですから、その喪失感は相当なものだったでしょう。

走りの実力は本物だった

賛否が渦巻く中で、V35型の走行性能そのものは高く評価されていました。FMプラットフォームによる前後重量配分はほぼ52:48。フロントミッドシップの恩恵で、ノーズの入りが自然で、FR車としての素性は先代R34型と比べても明確に進化していました。

VQ35DEの3.5リッターは、低回転からトルクが豊かで、高回転まで気持ちよく回るエンジンでした。先代の直6RB25DETがターボの過給特性に頼る部分があったのに対し、V35型は自然吸気の大排気量で余裕のある走りを提供しています。北米市場が求める「速くて快適」という要件に対しては、非常に高い完成度だったと言えます。

実際、インフィニティG35として北米に投入された際の評価は上々でした。Motor Trend誌の2003年カー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、BMW 3シリーズの対抗馬として初めて本気で語られるようになった。日産が狙った「世界基準のFRスポーツセダン」という目標は、少なくとも北米市場では達成されていたのです。

デザインという断絶

V35型の外観デザインも、議論の的になりました。先代R34型までの直線基調から一転し、V35型は曲面を多用した流麗なフォルムを採用しています。丸型4灯テールランプも廃止され、見た目の連続性はほぼ断たれました。

これもインフィニティとしてのブランド戦略が背景にあります。北米の高級車市場で戦うには、日本のスポーツセダンの文法ではなく、欧州プレミアムセダンに通じるエレガンスが求められた。デザインディレクターの中村史郎氏が推進した新しいデザイン言語は、日産全体のブランド刷新の一環でもありました。

冷静に見れば、V35型のプロポーションはFRセダンとして美しい。ロングノーズ・ショートデッキの古典的なFRシルエットを現代的に仕上げており、デザイン単体の完成度は高いものでした。ただ、それが「スカイラインに見えるかどうか」は、まったく別の問題です。

断絶か、再定義か

V35型スカイラインは、日産の経営危機という外圧と、グローバル市場への本格参入という戦略転換が重なった時代の産物です。直6を捨て、GT-Rを切り離し、デザインの連続性を断った。スカイラインの歴史において、これほど大きな断絶はありません。

しかし同時に、V35型はスカイラインにFRスポーツセダンとしての新しい骨格を与えた世代でもあります。FMプラットフォームはその後V36型、V37型へと受け継がれ、スカイラインの基本構造として定着しました。VQ型エンジンもV36型でVQ37VHRへと進化し、スカイラインの心臓として長く使われることになります。

つまりV35型は、「スカイラインとは何か」を問い直すことで、結果的にスカイラインの次の20年を規定した車です。ファンが求めた「あのスカイライン」ではなかったかもしれない。でも、日産が生き残るために必要だった車であり、スカイラインが世界と戦うための土台を作った車でもあった。

愛されたかと問われれば、複雑な答えになるでしょう。ただ、必要だったかと問われれば、答えは明確にイエスです。

V35型は、スカイラインが「日本の名車」から「グローバルなスポーツセダン」へと変わるために通らなければならなかった、痛みを伴う転換点だったのです。

スカイラインの系譜

小鍛治康人(やすと)

 

スカイライン – V35【GT-Rを失い、世界基準を得た転換点】

Nissan

小鍛治康人(やすと)

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hodzilla51

クルマの系譜を追ってたら、いつの間にかサイトになっていました

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