M3にワゴンはない。それは長らく、BMWファンにとって「そういうもの」でした。初代E30から数えて30年以上、M3は常にセダンとクーペだけの世界で生きてきた。ところが2022年、ついにその常識が崩れます。G81型M3 Competition Touring。M3史上初の、正規のワゴンボディです。
なぜ30年間、M3にワゴンは存在しなかったのか
理由はシンプルで、「M3はサーキットを見据えたスポーツセダンだから」という思想が根っこにあったからです。ワゴンボディは重くなる。リアの剛性バランスも変わる。Mの開発陣にとって、それはパフォーマンスの妥協を意味していました。
実際、E46世代あたりからファンの間では「M3ツーリングが欲しい」という声がずっとありました。しかしBMW Mはそのたびに首を横に振り続けてきた。少量生産でペイしないという事業的な理由もあったとされますが、それ以上に「Mの名にふさわしいかどうか」という哲学的な判断が大きかったようです。
では、なぜG80/G81世代でそれが変わったのか。ここが面白いところです。
M3ツーリングを可能にした構造と時代の変化
最大の技術的な転機は、G80世代のM3が最初から4WD(M xDrive)を前提に設計されたことです。歴代M3は基本的にFR(後輪駆動)でしたが、G80では全輪駆動システムが標準的に組み込まれました。これにより、ワゴンボディの重量増やリア荷重の変化を、駆動配分で吸収しやすくなったわけです。
もうひとつは市場の空気です。2020年前後、欧州ではメルセデスAMGがC63にワゴンを用意し、アウディRS4アバントは「速いワゴン」の代名詞として確固たる地位を築いていました。BMW Mだけがこのセグメントに不在だった。ファンの声だけでなく、競合環境がようやくMの背中を押した格好です。
BMW M社の開発責任者だったフランク・ファン・ミール氏は、G81の発表に際して「ようやくこの車を世に出せることを誇りに思う」と語っています。この「ようやく」という言葉に、長年の葛藤がにじんでいます。単に作れなかったのではなく、作るべきタイミングを待っていた、という意味合いです。
Competition Touringの中身──セダンとどこが違うのか
G81のパワートレインは、セダンのG80 M3 Competitionとほぼ共通です。3.0リッター直列6気筒ツインターボ(S58型)で、最高出力510PS、最大トルク650Nm。トランスミッションは8速ATのみで、MTの設定はありません。駆動方式はM xDriveの4WDが標準です。
ただし「ほぼ共通」と書いたのには理由があります。ツーリング専用のチューニングがリアサスペンションに施されています。ワゴンボディはリアオーバーハングが長くなり、荷室の荷重変動も大きい。そのため、リアのアダプティブダンパーやスプリングレートはセダンとは異なるセッティングが与えられています。
車両重量はセダン比で約75kg増の1,910kg前後。この数字だけ見ると「やっぱり重いじゃないか」と思うかもしれません。しかし510PSと650Nmの前では、この差は実用上ほとんど体感できないレベルです。0-100km/h加速は3.6秒で、セダンの3.4秒と比べてもわずか0.2秒差。数字上の差よりも、実際の走りの仕上がりで勝負している車です。
荷室容量は通常時500リッター、後席を倒せば1,510リッター。M3のバッジを付けた車に、ベビーカーもゴルフバッグも犬も載る。これがG81の最大の価値です。
CS Touring──さらに研ぎ澄ませた存在
2024年には、そのG81にさらにCS(Competition Sport)グレードが追加されました。M3 CS Touringです。CSはMモデルの中でも「通常のCompetitionよりさらに一段上、ただしGTSほど割り切っていない」という立ち位置のグレードで、歴代M3でもセダンには設定されてきましたが、ツーリングに与えられたのはもちろん初めてです。
エンジンは同じS58型ですが、出力は550PSまで引き上げられています。40PSの上乗せは、主にブースト圧の最適化とECUのリマッピングによるもの。最大トルクは650Nmで据え置きですが、トルクの立ち上がりがより鋭くなっています。
軽量化にも手が入っています。カーボン製のフロントバケットシート、ボンネット、リアディフューザーなどを採用し、Competitionツーリングから約20〜30kgの軽量化を実現。さらに足回りはCSセダンと同様のチューニングが施され、リアのスタビリティがより高められています。
ここで注目すべきは、CS Touringが単なる「パワーアップ版」ではないという点です。BMWは内装の一部を簡素化し、遮音材も一部削っている。つまり快適性をわずかに削ってでも、走りの純度を上げる方向に振っている。ワゴンなのに、です。この矛盾こそがCS Touringの面白さであり、Mの本気度を示すポイントでもあります。
速いワゴンの系譜における立ち位置
「速いワゴン」というジャンルは、欧州では長い歴史を持っています。アウディRS2アバント(1994年)が切り拓き、RS4アバント、RS6アバント、メルセデスAMG Cクラスワゴン、Eクラスワゴンが続いた。BMWだけが、このフィールドに長く不在だったのです。
M5ツーリング(E34/E61)という前例はありましたが、M3ではなかった。M3はBMW Mのアイデンティティそのものであり、「M3にワゴンを出す」ことは、「Mの哲学をどこまで広げるか」という問いに直結していました。
G81はその問いに対する、ひとつの明確な回答です。パフォーマンスを犠牲にしない。ただし実用性は加える。その両立を、xDriveの技術とS58エンジンの余裕、そしてプラットフォームの進化が可能にした。つまりG81は「妥協の産物」ではなく、「技術が追いついた結果」として生まれた車です。
M3ツーリングが意味するもの
G81の存在は、M3という車の定義を静かに、しかし確実に書き換えました。M3はもはや「サーキットを目指すセダン」だけではない。家族を乗せて高速道路を走り、週末にはワインディングを楽しみ、必要なら大きな荷物も運べる。そういう車にもなれる、ということを証明したのがG81です。
しかも、それを「M3の名前を借りただけの別物」ではなく、セダンと同等の走行性能を維持したまま実現している。ここにBMW Mの意地と技術力が凝縮されています。
さらにCS Touringの追加は、「ワゴンだから少しマイルドに」という発想を完全に否定しました。ワゴンでもCSを名乗れる。ワゴンでも走りの純度を追求できる。G81とそのCS版は、M3の系譜において「初めてのツーリング」であると同時に、「ワゴンボディの可能性を証明した実験」でもあります。
30年越しの答えは、待った甲斐のある仕上がりでした。
M3の系譜


M3 Competition Touring / CS Touring – G81【ついに実現した、M3初のワゴン】
BMW

この記事を書いた人
hodzilla51
クルマの系譜を追ってたら、いつの間にかサイトになっていました




