三菱のスポーツカーといえば、多くの人がランサーエボリューションを思い浮かべるでしょう。あるいはGTOかもしれません。けれど1994年、三菱はもうひとつ、かなり本気のスポーツカーを世に出しています。それがFTOです。日本カー・オブ・ザ・イヤーまで受賞しておきながら、今ではすっかり語られる機会が減ってしまった。なぜこの車は生まれ、なぜ埋もれたのか。そこには三菱というメーカーの事情と、1990年代という時代の空気が絡んでいます。
FTOという名前の来歴
FTOという車名には、実は前史があります。1971年に登場した初代ギャランFTOがそれです。「フレッシュ・ツーリング・オリジナル」の頭文字を取ったこの名前は、若者向けのスポーティクーペとして一時代を築きました。ただし初代FTOと1994年のFTOの間には20年以上のブランクがあり、車としての直接的な血縁関係はほとんどありません。
つまり1994年のFTOは、名前こそ復活ですが、中身はまったくの新規開発車です。三菱がこのタイミングで「FTO」の名を引っ張り出してきたこと自体に、ある種の意思表示が読み取れます。ランエボやGTOとは違う路線で、もう一本スポーツの柱を立てたかった。そういう企画意図です。
なぜ三菱はFFスポーツを作ったのか
1990年代前半の三菱は、スポーツカーのラインナップがかなり偏っていました。GTOは3リッターV6ツインターボの4WDで、重量級グランドツアラー。ランエボはラリーベースの4WDセダン。どちらもハイパワー・ハイコストで、気軽に手を出せる存在ではありません。
一方、当時の市場にはインテグラやプレリュード、セリカといったFFクーペが元気よく走り回っていました。手頃な価格で、日常使いもでき、それでいてスポーツ走行もしっかり楽しめる。このゾーンに三菱は空白を抱えていたわけです。
FTOはまさにその穴を埋めるために企画されました。プラットフォームはギャラン系のものをベースとしつつ、ホイールベースを切り詰め、全長を抑えたコンパクトなクーペに仕立てています。駆動方式はFF。4WDに強いイメージの三菱が、あえてFFで勝負に出たところに、このプロジェクトの性格がよく表れています。
V6エンジンという選択の意味
FTOの最大の特徴は、トップグレードに搭載された6A12 MIVECエンジンです。2.0リッターV6のDOHC24バルブで、自然吸気ながら200馬力を発生しました。型式でいえばDE3Aがこの2.0リッターV6搭載モデルにあたります。
MIVECは三菱の可変バルブタイミング&リフト機構で、ホンダのVTECに対する三菱なりの回答でした。低回転域ではおとなしく、高回転に入ると一気にカムが切り替わって吹け上がる。この「変身感」は当時のスポーツエンジンの醍醐味そのものです。リッターあたり100馬力という数字は、1994年の自然吸気2リッターとしてはトップクラスでした。
一方、エントリーグレードのDE2Aには1.8リッター直4の4G93エンジンが搭載されています。こちらは125馬力と控えめですが、車両重量が1,100kg台に収まっていたため、日常の足としては十分以上の動力性能を持っていました。
ここで注目すべきは、三菱がFFクーペにわざわざV6を載せたという判断です。直4のほうがコスト的にもレイアウト的にもシンプルなのに、あえてV6を選んだ。これはFTOをただの廉価スポーツではなく、質感のある上級FFクーペとして位置づけたかったからでしょう。V6特有の滑らかな回転フィールは、直4では出せない味です。
INVECS-IIという飛び道具
FTOを語るうえで外せないのが、INVECS-IIと呼ばれたスポーツモード付きATの存在です。これはドライバーの運転パターンを学習し、シフトスケジュールを自動的に最適化するファジー制御のオートマチックでした。さらにマニュアルモード付きで、ステアリングから手を離さずにシフト操作ができる。
1994年という時点でこの機構を量産車に載せたのは、かなり先進的でした。今でこそパドルシフトやマニュアルモード付きATは珍しくありませんが、当時はATといえば「スポーツカーには不向き」という認識が根強かった時代です。FTOのINVECS-IIは、ATでもスポーツ走行を楽しめるという提案を、かなり早い段階で市場に投げかけていたことになります。
もちろん5速MTも設定されており、走りを突き詰めたいユーザーはそちらを選びました。ただ、FTOの販売台数においてAT比率が高かったのは、INVECS-IIの出来が良かったことの裏返しでもあります。
カー・オブ・ザ・イヤー、そして静かな退場
FTOは1994-1995年の日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞しています。三菱車としては初の受賞であり、しかもスポーツクーペがこの賞を取ること自体が珍しい。審査員が評価したのは、V6 MIVECの動力性能、INVECS-IIの先進性、そしてFFクーペとしてのトータルバランスでした。
デザインも当時としてはかなり評価が高かった。丸みを帯びたボディラインは、角張ったデザインが主流だった三菱車の中では異質で、欧州的な色気がありました。実際、イギリスなど海外市場でも一定の人気を得ています。
しかし、FTOの商業的な寿命は長くありませんでした。1990年代後半に入ると、クーペ市場そのものが急速に縮小していきます。ミニバンやSUVへの需要シフトが加速し、2ドアクーペは「実用性がない」と敬遠されるようになった。FTOは2000年に生産を終了しています。フルモデルチェンジはなく、一代限りで姿を消しました。
三菱自身も、この時期は経営的に余裕がなくなっていきます。リコール隠し問題が表面化する前夜であり、スポーツカーの開発に資源を割く体力が失われつつあった。FTOの後継が生まれなかったのは、車の出来が悪かったからではなく、メーカーと市場の両方が別の方向を向いてしまったからです。
FFスポーツ史における立ち位置
1990年代のFFスポーツクーペといえば、ホンダ・インテグラタイプRが圧倒的な存在感を持っています。あるいはトヨタ・セリカ、日産・シルビアのFR勢も含めれば、FTOの競合環境はかなり厳しかった。その中でFTOが独自のポジションを確保できたのは、V6エンジンの質感とATの先進性という、他にはない武器を持っていたからです。
インテグラタイプRが「FFの限界をMTで突き詰める」方向に振り切ったのに対し、FTOは「FFスポーツをもう少し大人っぽく、幅広い層に届ける」という方向を選びました。どちらが正解かという話ではなく、アプローチが根本的に違う。FTOは硬派なスポーツカーというよりも、スポーティなパーソナルクーペとしての完成度が高かった車です。
中古車市場では長らく手頃な価格で流通していましたが、近年は90年代スポーツカーの再評価の波を受けて、程度の良い個体は値上がり傾向にあります。特にV6 MIVEC搭載のGPX系グレードは、走行距離の少ない個体が減りつつあります。
三菱が一瞬だけ見せた、もうひとつの可能性
FTOは、三菱がランエボやパジェロとは別の文脈で、スポーツカーを作れるメーカーだったことを証明した一台です。V6 MIVECの官能性、INVECS-IIの先見性、デザインの洗練。どれも「三菱らしくない」と言われがちですが、むしろ「三菱にもこういう引き出しがあった」と読むべきでしょう。
一代限りで終わったことを惜しむ声は、今でも少なくありません。ただ、だからこそFTOには独特の純度があります。後継モデルとの比較も、マイナーチェンジの繰り返しによる薄まりもない。1994年に三菱が「こういうスポーツカーを作りたい」と思った、その一発の結晶がそのまま残っている。それがFTOという車の、少し切なくて、でも確かに魅力的なところです。
(30年越しに、もう一度だけFTO出してみませんか?)
