NAロードスターは70年代に一度ほぼ絶滅しかけたライトウェイトスポーツカーという文化を、80年代末に現代の技術で蘇らせたクルマでした。
マツダ自身も、60〜70年代の小型オープンスポーツが持っていた軽快なハンドリングと気軽なオープンエアモータリングを、当時の安全・品質基準で再提案するために開発したと説明しています。
つまりNAは、新型車というより「途絶えた系譜の復活」だったわけです。
「そんなものいまさら売れるのか」


ロードスター - NB6C/NB8C 【無邪気さを研ぎ澄ませた、NAの成熟形】
NBロードスターは、単なるキープコンセプトではないです。 初代NAが復活させたライトウェイトスポーツの価値を、時代に合わせてもう一度設計し直したモデルです。 1997年10月の東京モーターショーで公開され、1998年に登 […
開発の出発点も、いかにもロードスターらしい。
80年代前半、ライトウェイトスポーツは市場からほぼ消えており、社内でも本当に成立するのか半信半疑でした。
それでもマツダのエンジニアは「他社とは違う独自の商品が必要だ」と考え、企画を前へ進めていきます。
さらに駆動方式の候補にはFF、MR、FRが並んでいたものの、最終的には「軽快で素直な運転感覚」を得るにはFRしかないと判断。
コスト面では不利でも、理想を優先してFRオープンの道を選んでいます。
ロードスターの核は、最初から「人馬一体」だった

ロードスター - NC1/NC2/NC3 【大事なものを守るために、あえて大きくなった三代目】
NCロードスターについては見た目からもわかる通り、NA→NBのような正常進化ではありません。 これはNAとNBで守ってきた「軽量FRオープンの楽しさ」を、2000年代の安全性や快適性や商品性に合わせてもう一度成立させ直し […
このクルマを説明するうえで外せないのが、みなさんもお気づき「人馬一体」です。
FRとオープンボディが決まった段階で、開発陣はこのクルマの楽しさを「人馬一体」という言葉で共有したとマツダは記しています。後から付けた宣伝文句ではなく、そもそもの開発思想そのものだったわけですね。
GAZOOの開発者インタビューでも、貴島孝雄氏は初代ロードスターのコンセプトが「人馬一体」であり、運転して楽しいことを何より重視したと説明しています。
開発現場はかなり熱かった

ロードスター - ND5RC/NDERC 【もう一度、原点に戻ってきた四代目】
NDはNCで一度現代化したロードスターを、少しだけ原点側へ引き戻すためのモデルでした。 マツダ自身も四代目の開発テーマを「Innovate in order to preserve」と説明しており、環境性能や安全性能の要 […
このクルマが伝説化して現代でも愛される理由は、思想だけではなく作り手の熱量にもあります。
初期から開発に関わった貴島孝雄氏は、当時FC3S型RX-7を担当しながらもこのプロジェクトに加わりたくて参加し、「業務を終えた残業時間に手弁当で図面を書いていた」と振り返っています。
しかもサスペンションまわりでは、コストがかかるダブルウィッシュボーンにこだわり、さらにトランスミッション後端とデフを結ぶパワー・プラント・フレームまで導入。
生産現場の反発もあったそうですが、それでも「人馬一体」のために押し通した。NAロードスターの気持ちよさは、こういう面倒なことを面倒なままやった結果とも言えるでしょう。
アメリカで行われた市場調査

RX-7 – FD3S【ロータリーという幻想が、最も艶やかに咲いた瞬間】
マツダが社運を賭けて送り出したFD3S型RX-7。シーケンシャルツインターボと流麗なボディに込められた設計思想と、ロータリースポーツ最終章としての意味を読み解きます。
夢だけでは終わらせなかったのも面白いところです。
1987年にはアメリカでフルスケールの樹脂製プロトタイプを使った市場調査が行われ、220人の参加者のうち57人が「発売されたらぜひ買いたい」と回答。この結果が意思決定に強い影響を与え、開発継続を後押ししました。
そしてデザインはその年のうちに確定し、1989年に北米で発売。日本でも同年にユーノス・ロードスターとして登場します。理想だけでなく、市場性も確認した上で世に出てきたわけですね。
NA6Cは、軽さで走る1.6だった

オートザム AZ-1 – PG6SA【軽に迷い込んだ一代限りのガルウイング】
マツダが1992年に送り出した軽ミッドシップスポーツ、AZ-1(PG6SA)。ガルウイングにFRP外装、ミッドシップレイアウト。なぜこんな車が軽自動車として成立したのか、その背景と意味を読み解きます。
最初のNA6Cは1.6LのB6-ZE型を積み、120psを発生。
数字だけ見ると今ではおとなしいですが、このクルマの本質は馬力ではなく、軽さとサイズと応答の良さにありました。
全長4m未満の小さなボディ、FRレイアウト、前後ダブルウィッシュボーン、そしてオープン2シーター。今となっては贅沢なくらいに「スポーツカーの基礎体力」を真面目に揃えています。
だからこそNA6Cは、速さそのものより、操ることがそのまま楽しさになるタイプのクルマでした。
NA8Cは、ただの排気量アップではない

RX-7 – FC3S【異形の心臓が初めて本気で研ぎ澄まされた】
1985年登場のFC3S型RX-7は、ロータリーエンジン搭載車を本格スポーツカーへ昇華させた転換点。ターボ化と車体設計の刷新がもたらした意味を読み解きます。
1993年には1.8LのBP型を積むNA8Cへ進化。
このタイミングで貴島孝雄氏が主査を引き継いだことも、系譜としてはかなり重要です。
NA8Cは130ps・16.0kgf-mとなり、NA6Cより明確にトルクが増しました。単なるパワー競争ではなく、ロードスターらしい軽快さを残しながら、より扱いやすく厚みのある走りに寄せた改良です。
NA6Cが「軽さの鮮烈さ」なら、NA8Cは「熟成と余裕」に振れた初代後期の完成形と言っていいでしょう。
強みは「全部がちょうどいい」こと

RX-7 – SA22C【ロータリースポーツカーという賭け】
1978年登場のSA22Cは、マツダが初めてロータリーエンジン専用設計で送り出したスポーツカー。サバンナの名を継ぎながら、その中身はまったく別物だった。
NAロードスターの強みは、何か一つが飛び抜けていることではありません。
ボディは小さい。重すぎない。FRである。オープンである。サスペンションは真面目。価格も当時としては手が届いた。
つまり、運転が楽しい理由を高価なメカや大出力に頼らず、全部のバランスで成立させていたわけです。
マツダも、以後のロードスターで一貫して軽量化と重量配分の最適化を続けてきたと説明しており、その原点がまさにNAでした。
だからNAは一代では終わらなかった

RX-8 – SE3P【最後のロータリーが選んだ、異端の正解】
マツダRX-8(SE3P)は、ロータリーエンジン搭載の最後の量産車。観音開きの4ドアにNAロータリーという異端な構成が、なぜ「正解」だったのかを開発背景から読み解きます。
NAロードスターはヒットしただけではなく、90年代のオープンスポーツ復権そのものを引き起こした存在でした。
マツダはこのクルマが、70年代末に消えたライトウェイトスポーツを90年代に復活させるきっかけになったと位置づけています。
実際、ロードスターの成功後には各社が小型オープンスポーツに再び目を向けるようになります。要するにNAロードスターは、1台の人気車ではなく、世界市場そのものを動かしてしまったんですね。
今日までロードスターが「世界でもっとも成功した2シーターオープンスポーツの系譜」として続いているのも、全部ここが始点でした。
まとめ

コスモスポーツ – L10A/L10B【世界初の量産ロータリーが背負ったもの】
1967年に登場したマツダ・コスモスポーツは、世界初の2ローター・ロータリーエンジン量産車。技術の証明と企業の存亡を同時に背負った、異形のスポーツカーの意味を読み解きます。
NA6C/NA8Cロードスターを一言でいえば、
失われたライトウェイトスポーツの理想を、現代の量産車として成立させた原点です。
NA6Cは軽さと素直さ。
NA8Cはそこに厚みと熟成を加えた完成形。
そして両方に共通するのは、スペックを眺めるためのクルマではなく、乗ればすぐ意味が分かるクルマだったこと。
ロードスターの伝説はここから始まったとも言えますが、ここで「伝説になる条件」がほぼ完成していた、と考える方がしっくりきますね。
ロードスターの系譜


ロードスター - NA6C/NA8C 【失われたライトウェイトの復権】
Mazda

この記事を書いた人
hodzilla51
クルマの系譜を追っていたら、いつの間にかサイトになっていました
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煽りだけで、クルマがわかるか。




