シルビア – S14太った、と言われ続けた不遇の正常進化

「太った」「デカくなった」「S13のほうがよかった」
S14シルビアの話をすると、だいたいこの3つのどれかが出てきます。1993年の登場以来、このクルマはずっとそう言われ続けてきました。
でも、本当にそれだけのクルマだったのか。冷静に見ると、S14はシルビア史上もっとも「ちゃんと作られた」世代だったりします。
S13の大成功が生んだプレッシャー

シルビア – S13【デートカーという仮面をかぶったFRスポーツ】
1988年登場の5代目シルビアS13は、スタイリッシュな外観でデートカーと呼ばれながら、FRレイアウトとSR20DETを武器にスポーツカー文化の中核を担った異色の存在です。
S14を語るには、まず先代S13の存在を避けて通れません。
1988年に登場したS13シルビアは、デートカーブームの象徴であり、同時にドリフト文化の起点にもなった、日産の大ヒットモデルです。スタイリッシュな外観、FR駆動、手頃な価格。若者がこぞって買い、中古市場でも引っ張りだこでした。
つまりS14は、「何を出しても比較される」という、後継車としてはかなり厳しいポジションからのスタートだったわけです。しかもS13がヒットした時代はバブル真っ只中。S14が出た1993年は、バブルが弾けて景気が急速に冷え込んでいた時期です。市場の空気そのものが変わっていました。
大型化には理由があった

シルビア – S15【最後のシルビアが背負ったもの】
日産シルビアS15は、シリーズ最後のモデルとして1999年に登場。3ナンバー化したS14の反省を踏まえた5ナンバーサイズ回帰と、熟成されたSR20DETの搭載。終わりゆくFRスポーツの時代に、なぜこの形で送り出されたのかを読み解きます。
S14最大の批判点は、ボディサイズの拡大です。全幅は1730mmとなり、S13の1690mmから40mm広がりました。全長も伸び、3ナンバーサイズに。当時の感覚では「シルビアが3ナンバーになった」というだけで、かなりのインパクトがありました。
ただ、この大型化には明確な理由があります。ひとつは衝突安全性の強化。1990年代に入ると、世界的に安全基準が厳しくなり、ボディの潰れしろを確保する必要がありました。もうひとつは居住性の改善です。S13は後席が極端に狭く、実質2シーターに近い使い勝手でした。日産としては、デートカーとしての商品力を維持するために、もう少し「使えるクルマ」にしたかったのです。
要するに、太ったのではなく、太らざるを得なかった。時代の要請とマーケットの要求を真面目に受け止めた結果が、あのサイズだったわけです。
シャシーとエンジンの正常進化

シルビア – S12【北米を向いて生まれた異端のシルビア】
日産シルビアS12型は、北米市場を強く意識した設計と角張ったデザインで歴代シルビアの中でも異質な存在。リトラクタブルライトの裏にある開発意図を読み解きます。
見た目の議論ばかりが先行しがちなS14ですが、中身の進化はかなり本格的でした。プラットフォームはS13から大幅に手が入り、ボディ剛性は約50%向上したとされています。これはカタログ上の数字ではなく、実際にサーキットやストリートで走らせた人たちが口を揃えて認めるポイントです。
エンジンはSR20DE(自然吸気・160ps)とSR20DET(ターボ・220ps)の2本立て。S13後期から引き続きSR20系を搭載しましたが、S14ではターボモデルが220psに引き上げられました。S13後期のSR20DETが205psだったので、15psの上乗せです。数字だけ見ると地味に思えるかもしれませんが、トルク特性の改善やレスポンスの向上も含めた総合的なチューニングが施されています。
足まわりも見直されました。フロントがマルチリンク、リアもマルチリンクという構成はS13後期から継承していますが、ジオメトリーの最適化が進み、限界域でのコントロール性が格段に向上しています。ボディ剛性が上がったことで、サスペンションが本来の仕事をしやすくなった、という相乗効果もあります。
前期と後期で変わった顔つき

シルビア – S110【量産スペシャルティへと舵を切った3代目】
1979年登場の3代目シルビアS110は、初代・2代目の少量生産路線を捨て、北米市場と国内若年層を同時に狙った量産スペシャルティカーへの転換点だった。その設計思想と時代背景を読み解く。
S14には前期型(1993年〜)と後期型(1996年〜)があり、この2つはフロントフェイスがかなり違います。前期型は丸みを帯びたヘッドライトで、当時「たれ目」と呼ばれました。柔和で上品な印象ですが、スポーツカーとしてはやや迫力に欠けるという声もありました。
後期型ではヘッドライトが吊り目に変更され、一気にシャープな顔つきになります。バンパーやグリルのデザインも変わり、全体的に引き締まった印象に。この後期フェイスは市場でも好評で、中古車相場でも後期型のほうが高値をつける傾向が長く続きました。
ターボモデルも後期型で出力が220psから250psに引き上げられています。可変バルブタイミング機構の採用やタービンの変更によるもので、これによりライバルだったホンダ・プレリュードやトヨタ・セリカとの差別化がより明確になりました。FRターボで250ps。この時代のスペシャルティカーとしては、かなり戦闘力のある数字です。
不遇だったのは時代のせいでもある

シルビア – S10【大衆スペシャルティの出発点】
1975年登場の2代目シルビアS10型。初代CSP311とはまるで別物として生まれたこの車は、日産が「手の届くスペシャルティカー」という市場を本気で狙い始めた最初の一台でした。
S14が正当に評価されにくかった背景には、時代の空気があります。バブル崩壊後、若者のクルマ離れが始まりつつあり、スペシャルティカー市場そのものが縮小していました。S13時代のような「FRクーペが飛ぶように売れる」という状況は、もう存在しなかったのです。
加えて、S13の中古車がまだ大量に市場に残っていたことも痛手でした。新車のS14を買わなくても、安くて軽いS13が手に入る。チューニングパーツも豊富。ドリフトをやるならS13で十分。そういう空気が、S14の販売を圧迫しました。
日産自身の経営状態も厳しくなっていた時期です。のちにルノーとの提携に至る経営危機の前夜であり、新型車の広告宣伝に十分な予算を割ける状況ではありませんでした。クルマの出来とは関係のないところで、S14は不利な戦いを強いられていたわけです。
再評価と系譜の中での位置づけ

シルビア – CSP311【日産が本気で作った、たった554台の手作りクーペ】
1965年登場の初代シルビアCSP311は、日産が少量生産で挑んだスペシャリティクーペ。クリスプカットと呼ばれた美しいボディに込められた狙いと、わずか554台で終わった背景を読み解きます。
近年、S14の評価は確実に上がっています。ドリフト競技の世界では、ボディ剛性の高さとホイールベースの長さからくる安定感が評価され、S13よりS14を好むドライバーも少なくありません。海外、特に北米やオーストラリアでは、S14はS13と同等かそれ以上の人気を持つ存在です。
チューニングベースとしてのポテンシャルも高く、SR20DETの信頼性と拡張性はS14世代でさらに熟成されています。ボディが大きいぶん、エンジンルームにも余裕があり、タービン交換やインタークーラーの大型化といった定番メニューがやりやすいという実利もあります。
シルビアの系譜において、S14は「S13で確立した路線を、真面目に磨き上げた世代」です。そして後継のS15は、S14の反省を踏まえてコンパクト化に回帰しました。つまりS15の美点の多くは、S14が「やりすぎた」とされたことへの応答として生まれたものです。S14がなければ、S15のあの絶妙なサイズ感は存在しなかったかもしれません。
不遇だった、とよく言われます。
でもそれは、クルマの出来が悪かったからではありません。時代と先代の影が大きすぎただけです。
S14シルビアは、正しく進化したのに正しく報われなかった、そういうクルマです。
だからこそ、今になって「実はS14が一番よくできていた」と語る人が増えているのは、ある意味で当然のことなのかもしれません。


シルビア – S14【太った、と言われ続けた不遇の正常進化】
Nissan
クルマのかるた
煽りだけで、クルマがわかるか。



