1990年代のホットハッチを語るとき、プジョー205 GTiの名前はほぼ確実に出てきます。
では、その次の世代を引き継いだのは誰だったのか。
答えのひとつが、ルノー・クリオ 16Sであり、その究極形がクリオ・ウィリアムズです。
型式で言えばX57系。
フランスのBセグメントから生まれた、ちょっと信じがたいほど本気のスポーツモデルでした。
205 GTiの後を誰が継ぐのか
1980年代後半から1990年代初頭にかけて、ヨーロッパのホットハッチ市場はひとつの転換期を迎えていました。
プジョー205 GTiが築いた「小さくて速くて楽しい」という価値観は広く浸透していたものの、205自体はモデル末期に差しかかっていました。後継の306は少しサイズアップし、ゴルフGTIもMk3世代で重厚路線に舵を切りつつあった時期です。
つまり、Bセグメントの「軽くて切れ味のいいスポーツハッチ」というポジションに、ぽっかり空席ができかけていた。
ルノーがそこに送り込んだのが、初代クリオをベースにした16Sでした。
16Sという出発点
クリオ 16S(16 soupapes=16バルブの意)は、1991年に登場しています。ベースとなった初代クリオ(X57型)は1990年デビューで、先代のシュペール5から大幅に質感を上げたコンパクトカーでした。欧州カー・オブ・ザ・イヤーも受賞しており、ルノーにとっては量販の柱です。
その量販車に、1.8リッター直4の16バルブエンジン(F7P型)を載せたのが16Sです。最高出力は137馬力。今の基準で見れば控えめに聞こえますが、車両重量がおよそ980〜1,000kg程度ですから、パワーウェイトレシオはかなり優秀でした。
足回りにはルノースポールの手が入り、ブレーキも強化されています。ただ、16Sの本質はエンジンパワーだけではありません。初代クリオのシャシーがもともと持っていた素性の良さ——軽さ、コンパクトさ、そしてフランス車らしいしなやかな足——を、高回転型エンジンで引き出すという構成に意味がありました。
要するに、ベース車両の設計が良かったからこそ成立したホットバージョンです。ここが重要なポイントで、後のウィリアムズにもそのまま繋がっていきます。
ウィリアムズという「事件」
クリオ・ウィリアムズが発表されたのは1993年。名前の由来は、当時ルノーがエンジンを供給していたF1チーム、ウィリアムズ・ルノーです。1992年にはナイジェル・マンセルがFW14Bでドライバーズチャンピオンを獲得し、ルノーのF1エンジンは黄金期を迎えていました。
このタイミングでF1の栄光を市販車に結びつけようとしたのは、マーケティングとしては当然の判断です。ただ、ルノーが偉かったのは、単なる記念バッジモデルで終わらせなかったことです。
エンジンは16Sと同じF7P型ベースですが、排気量を2.0リッターに拡大したF7R型に換装されています。最高出力は150馬力。たった13馬力の上乗せに聞こえるかもしれませんが、重要なのはトルク特性の変化です。排気量拡大によって中回転域のトルクが太くなり、日常域での扱いやすさとワインディングでの力強さが両立しました。
足回りの変更はさらに徹底しています。トレッドの拡大、専用スプリングとダンパー、15インチのスピードライン製アルミホイール。フロントのトレッドを広げるために、フェンダーにはわずかに膨らみが加えられています。外観上の変化は控えめですが、走りに関わる部分は本気で手が入っていました。
限定のはずが3回作られた理由
ウィリアムズは当初、限定3,800台の予定でした。ところが、あまりの人気に追加生産が決定します。最終的にはフェーズ1、フェーズ2、フェーズ3と3回にわたって生産され、総生産台数は約12,100台に達しました。
限定車を3回も追加生産するというのは、メーカーとしてはやや異例です。裏を返せば、それだけ市場の反応が予想を超えていたということでしょう。当時のヨーロッパでは、ウィリアムズの割り当てを確保するためにディーラーに行列ができたという話も残っています。
フェーズ2以降では細部の仕様変更はありましたが、基本的な成り立ちは変わっていません。ゴールドのスピードラインホイールに、ブルーのボディカラー(スポーツブルー)という組み合わせが、このクルマのアイコンになりました。ただし、フェーズ2以降では他のボディカラーも選べるようになっています。
なぜウィリアムズはここまで評価されたのか
クリオ・ウィリアムズの評価が高い理由は、突き詰めると「バランス」の一語に集約されます。150馬力という数字は、同時代のインテグラーレやコスワースと比べれば控えめです。でも、このクルマの本領はそこではありません。
車重は約1,035kg。ホイールベースは短く、トレッドは広い。エンジンは高回転まで気持ちよく回るけれど、中間トルクも十分にある。ステアリングはダイレクトで、サスペンションはフランス車らしくしなやかに動く。つまり、すべての要素が「ちょうどいい」ところで揃っているのです。
これは偶然ではありません。ルノースポール(当時はルノー・スポール・テクノロジーズ)が、ベース車両の素性を理解した上で、過剰にならない範囲でチューニングを施した結果です。パワーを盛るのではなく、シャシーとエンジンの対話がもっとも豊かになるポイントを探った、という表現が近いかもしれません。
実際、英国の自動車メディアでは繰り返し「史上最高のホットハッチのひとつ」として名前が挙がります。EVO誌やAutocar誌のベストホットハッチ企画では常連で、205 GTiと並んで語られる存在です。
系譜の中での意味
クリオ 16S/ウィリアムズが残したものは、ルノースポールというブランドの方向性そのものだったと言えます。このクルマの成功があったからこそ、ルノーは「コンパクトカーベースの高性能モデル」という路線に確信を持てたはずです。
後継となるクリオ2世代のルノースポール(172/182)は、さらに洗練された形でこの思想を受け継ぎました。軽量で、バランスが良く、サーキットでもワインディングでも楽しい。その原型は、まちがいなくX57世代のウィリアムズにあります。
さらに言えば、メガーヌRSシリーズがニュルブルクリンクでFF最速タイムを競うようになる流れも、元をたどればこのクルマが起点です。ルノースポールが「速さとは何か」を考えるとき、パワーよりもシャシーバランスを重視するという姿勢は、ウィリアムズの時代にすでに確立されていました。
クリオ・ウィリアムズは、F1の名前を借りた記念モデルとして生まれました。しかし実態は、ルノーが自社のスポーツカー哲学を初めて明確に形にしたクルマです。
だからこそ30年以上経った今も、ホットハッチの歴史を語るときに必ず名前が出てくる。
それは、バッジの力ではなく、走りの説得力が残した結果です。




