7代目 クラウン – S120系「いつかはクラウン」が生まれた世代

小鍛治康人(やすと)約7分

「いつかはクラウン」。日本の自動車CMの歴史において、これほど広く長く記憶されたコピーはそう多くありません。

このフレーズが生まれたのが、1983年に登場した7代目クラウン、S120系です。

ただ、この言葉がなぜこの世代で生まれたのかを考えると、単なる広告の話では済まない。

クラウンという車種が、日本の高級車市場のなかで自分の立ち位置を明確に定義し直した、そういう転換点だったからです。

バブル前夜、高級車の定義が変わりはじめた時代

クラウン – S140系【バブルが咲かせた最後の重厚長大】

1991年登場の9代目クラウンS140系は、バブル経済の余韻を纏いながらも時代の転換点に立たされた世代。豪華装備と保守的設計が同居した、クラウンらしさの臨界点を読み解きます。

S120系が登場した1983年は、日本経済がまさに上昇気流に乗りはじめた時期にあたります。プラザ合意は1985年ですから、まだ円高・バブルの本番は先。しかし、国内の消費意欲は確実に高まりつつあり、「いい車に乗ること」が社会的なステータスとして強い意味を持っていた時代です。

この頃、クラウンの競合環境も変わりつつありました。日産はセドリック/グロリアのY30系を同年に投入し、V6エンジンで攻勢をかけています。さらに輸入車の存在感も少しずつ増していた。クラウンは「日本の高級車の代名詞」であり続けるために、ただモデルチェンジするだけでは足りない。もう一段、格を上げる必要があったわけです。

先代の課題を引き受けた開発

クラウン – S60/70系【「白いクラウン」が壊した常識】

4代目クラウンS60/70系は、保守的だったクラウンの殻を破り「白いクラウン」で若返りを図った転換点。スピンドルシェイプの導入やペリメーターフレームの採用など、技術と商品企画の両面で大きな変革を成し遂げた一台です。

先代にあたる6代目・S110系は、クラウン史上でもやや評価が割れるモデルでした。4ドアピラードハードトップを新設するなど意欲的な試みはあったものの、デザイン面では保守的すぎるという声と、新しさが足りないという声が入り混じっていた。つまり、クラウンの伝統を守りながらどう新しさを出すかという永遠の課題が、7代目にはより切実に突きつけられていたのです。

トヨタがこの世代で選んだ方向性は、「品格の再定義」でした。外観は直線基調のシャープなラインで構成されつつも、押し出しの強さと端正さを両立させたデザインに仕上がっています。特に4ドアハードトップは、Bピラーを廃したすっきりとしたサイドビューが当時の高級車像にぴたりとはまり、大きな人気を集めました。

「ロイヤル」と「アスリート」の原型

クラウン – S180系【ゼロクラウンという名の全否定と再構築】

2003年登場の12代目クラウン・S180系、通称ゼロクラウン。「過去のクラウンを全否定する」という異例の開発宣言のもと、プラットフォームからエンジンまですべてを刷新した一台の意味を読み解きます。

S120系を語るうえで外せないのが、グレード体系の整理です。この世代でロイヤルサルーンというグレード名が確立され、クラウンの最上級仕様としての地位を明確にしました。後に「ロイヤル系」「アスリート系」という二本柱に発展していくクラウンのグレード戦略は、このS120系が出発点と言っていいでしょう。

つまり、「クラウンとはどういう車か」をグレード名の段階から定義しにいった世代なのです。それまでのクラウンは、上位グレードと下位グレードの差はあっても、キャラクターの方向性は基本的にひとつでした。ロイヤルサルーンという名前を冠することで、「フォーマルで上質な高級車」という軸を言語化した。これは商品企画として非常に大きな一歩です。

エンジンと技術の見どころ

クラウン – S210系【「いつかはクラウン」の最終形態】

14代目クラウン・S210系は、伝統のFRセダンとして最後の完成形を目指した一台。保守と革新の間で揺れ続けたクラウンが、この世代でたどり着いた答えを読み解きます。

パワートレインでは、直列6気筒の1G-GEU型(2.0L、ツインカム24バルブ)が話題を集めました。クラウンにツインカムという組み合わせは、当時としてはかなり攻めた選択です。高級車に走りの性能を持ち込むという発想は、のちのアスリート系に通じる伏線でもあります。

もちろん、主力はあくまで5M-GEU型の2.8L直6や、後に追加される3.0Lの6M-GEU型です。とくに3.0Lモデルは、排気量による余裕のある走りと静粛性で、「クラウンらしさ」を体現していました。ディーゼルエンジンも設定されており、法人需要やタクシー用途にもしっかり対応するあたりは、クラウンの実用車としての側面を忘れていない証拠です。

足回りでは、上級グレードにエアサスペンションが採用されました。電子制御で車高や減衰力を調整するこのシステムは、当時の国産車としては先進的な装備です。乗り心地の良さを技術で裏付けるという姿勢が、この世代のクラウンには一貫して感じられます。

「いつかはクラウン」が刺さった理由

クラウン – S230系(16代目)【「いつかはクラウン」を自ら壊した再定義】

2022年登場の16代目クラウンS230系は、セダン一本だった伝統を捨て4つのボディで再出発した。なぜトヨタはクラウンを壊す必要があったのか、その背景と意味を読み解きます。

冒頭で触れた「いつかはクラウン」というコピーに、もう少し踏み込んでおきます。このフレーズが秀逸だったのは、クラウンを「今すぐ買える車」としてではなく、「人生の到達点に置かれるべき車」として位置づけた点です。

これは裏を返せば、クラウンの顧客層が明確に上の世代であることを認めたうえで、若い層にも「いつかは」と思わせるブランド戦略です。実際にこの時代、30代のサラリーマンがクラウンを新車で買うのは簡単ではなかった。でも「いつかは」と思わせることで、ブランドへの憧れを長期的に醸成する。これは自動車マーケティングとして極めて巧みでした。

そしてこのコピーが機能したのは、S120系という車自体に「憧れるに足る品格」があったからです。デザイン、装備、乗り味、グレード体系。すべてが「日本のフォーマルセダンの頂点」を自認する水準に仕上がっていたからこそ、あの言葉は空疎なスローガンにならずに済んだのです。

クラウン史における分水嶺

レビン/トレノ- AE86【最後のFRカローラが伝説になった理由】

1983年登場のAE86型レビン/トレノは、カローラ系最後のFR駆動モデル。軽量ボディと4A-GEユニットの組み合わせが走り好きの心を掴み、生産終了後に伝説化した異例の一台を読み解きます。

S120系は、販売面でも大きな成功を収めました。4ドアハードトップの人気は特に高く、この世代以降、クラウンといえばハードトップという認識が定着していきます。セダンとハードトップの二本立てというボディ構成も、この世代で完全に確立されました。

後継のS130系(8代目)は、このS120系の路線をさらに洗練させる形で進化しています。つまりS120系は、クラウンが「伝統の高級車」から「戦略的に設計された高級ブランド」へと変わるターニングポイントだった。ロイヤルサルーンの確立、ハードトップ人気の定着、そしてあのキャッチコピー。どれもこの世代で生まれたものです。

7代目クラウンは、クラウンが「なんとなく偉い車」だった時代を終わらせ、「なぜ偉いのか」を自ら言語化した世代です。

それは車としての完成度だけでなく、ブランディングという概念を日本の自動車史に持ち込んだという意味でも、記憶されるべきモデルだと思います。

「いつか」を、少し前倒し。

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いつかはクラウン。
その前に、塗料と接着剤。

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小鍛治康人(やすと)

 

7代目 クラウン – S120系【「いつかはクラウン」が生まれた世代】

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