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プリウス – NHW20【ハイブリッドが「普通のクルマ」になった瞬間】

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  • 8分で系譜を理解
プリウス – NHW20【ハイブリッドが「普通のクルマ」になった瞬間】

初代プリウスは「21世紀に間に合いました」というコピーで登場しました。

あのクルマは確かに間に合ったのかもしれません。ただ、正直に言えば、あれは「未来のクルマ」であって「今のクルマ」ではなかった。

初代を買った人は、環境意識の高さか、新しいもの好きか、あるいはその両方だったはずです。

では、ハイブリッドが「普通の人の選択肢」になったのはいつだったのか。

それが2003年登場の2代目、NHW20です。

初代が残した宿題

1997年に登場した初代プリウス・NHW10(後にNHW11へマイナーチェンジ)は、世界初の量産ハイブリッド乗用車という金字塔を打ち立てました。ただ、その存在はあくまで「技術の旗印」でした。セダンとしてのパッケージはやや窮屈で、内装の質感もお世辞にも高いとは言えない。走りに関しても、燃費性能は画期的でしたが、ドライバビリティという点では「我慢して乗るクルマ」という評価がつきまとっていました。

つまり初代は、「ハイブリッドはすごい」と証明することには成功したけれど、「ハイブリッドは快適で便利だ」と証明するところまでは届いていなかったわけです。トヨタ社内でも、次のプリウスは単なるモデルチェンジではなく、ハイブリッドという技術を商品として成立させるための再設計だという認識があったとされています。

「普通に欲しい」を設計する

NHW20の開発で最も大きかったのは、ボディ形式をセダンから5ドアハッチバックに変えたことです。ここがただのスタイル変更ではないのがポイントで、トヨタはプリウスを「環境に良いセダン」から「使い勝手の良いファミリーカー」へと再定義しました。三角形のシルエットは空力のためだけではなく、後席の頭上空間やラゲッジの使い勝手を確保するための合理的な判断でもあります。

プラットフォームも新設計で、全長は初代より伸び、室内空間は明確に広くなりました。初代がどこか「技術デモンストレーター」の匂いを残していたのに対し、NHW20は最初から「家族で使うクルマ」として設計されています。この違いは、カタログのスペック以上に大きい。

デザインも議論を呼びました。当時のトヨタ車の中では明らかに異質で、好き嫌いは分かれた。ただ、この「一目でプリウスとわかる」形は、結果的にブランドアイコンとして強烈に機能することになります。ハイブリッドに乗っていることが外から見てわかる。それが、当時のアメリカ市場でセレブリティが競うようにプリウスを選んだ理由のひとつでもありました。

THS IIという本丸

NHW20最大の技術的トピックは、ハイブリッドシステムがTHS(Toyota Hybrid System)からTHS IIへ進化したことです。初代のTHSは1.5L・1NZ-FXEエンジンと電気モーターの組み合わせでしたが、THS IIではモーターの出力が大幅に引き上げられ、システム全体の最高出力は82psから111psへと向上しました。

この数字が意味するのは、「燃費のために動力性能を犠牲にしなくてよくなった」ということです。初代では高速合流や追い越しで不安を感じる場面がありましたが、NHW20ではそうしたストレスが明確に減りました。燃費も10・15モード燃費で35.5km/Lと、初代の31.0km/Lを上回っています。速くなって、なおかつ燃費も良くなった。これはハイブリッドシステムの電圧を従来の274Vから500Vに昇圧する技術によるところが大きく、モーターの小型・高出力化を実現したことが効いています。

もうひとつ見逃せないのが、電動エアコンの採用です。エンジンが停止している間もエアコンが効く。これは真夏の渋滞で「エコのために汗だくになる」という状況を解消しました。技術的には地味に見えるかもしれませんが、日常使いの快適性という点では、ハイブリッド普及の壁を一つ取り除いた重要な改良です。

世界が反応した

NHW20は、日本だけでなくグローバルで大きな反響を呼びました。特にアメリカ市場での成功は特筆に値します。ハリウッドのセレブがアカデミー賞の会場にプリウスで乗り付ける、という現象が起きたのはこの世代です。レオナルド・ディカプリオやキャメロン・ディアスがプリウスを選んだのは、環境意識のアピールとしてこのクルマが最適だったからにほかなりません。

2004年には北米カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。ヨーロッパでも2005年のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを獲得しています。ハイブリッド車が主要な自動車賞を総なめにするという事態は、それまで前例がありませんでした。

販売台数も初代とは桁違いでした。初代が生産期間中に約12万台だったのに対し、NHW20は累計で約120万台を販売しています。10倍です。この数字だけを見ても、NHW20が「実験車から量販車へ」という転換をやり遂げたことがわかります。

弱点がなかったわけではない

もちろん、NHW20にも限界はありました。走りの質感という点では、ステアリングのフィールやサスペンションのしなやかさは、同価格帯の欧州車と比べると物足りない。クルマ好きが「運転して楽しい」と感じるタイプではありませんでした。

また、シフト操作がジョイスティック式になったことや、メーターがセンターに配置されたことに対して、従来のクルマに慣れたドライバーから戸惑いの声もありました。これらは「新しさ」の演出でもあったのですが、受け入れられるまでに時間がかかった部分です。

バッテリーの経年劣化に対する不安も、当時はまだ根強くありました。実際にはNHW20のニッケル水素バッテリーは想定以上に耐久性が高く、10万km以上走っても大きな劣化が見られないケースが多かったのですが、「電池がダメになったら高額修理」というイメージは簡単には払拭できなかった。これはNHW20だけの問題ではなく、ハイブリッド車全体が背負っていた課題です。

プリウスが「ジャンル」になった起点

NHW20が系譜の中で持つ意味は明確です。初代NHW10/11が「ハイブリッドは作れる」と証明したクルマだとすれば、NHW20は「ハイブリッドは売れる」と証明したクルマでした。この順番は逆にはならない。技術が先にあり、商品がそれを追いかけて追いついた。NHW20はまさにその追いついた瞬間のクルマです。

そしてこの成功が、トヨタのハイブリッド戦略を決定的にしました。NHW20以降、トヨタはハイブリッドシステムをプリウス以外の車種にも展開し始めます。ハリアーハイブリッド、エスティマハイブリッド、そしてカムリハイブリッドへ。「プリウスで培った技術を全車種に」という方向性は、NHW20の商業的成功がなければ実現しなかったはずです。

後継のZVW30は、NHW20が築いた市場をさらに拡大し、日本では月販4万台を超える異常な売れ行きを見せることになります。ただ、その爆発的なヒットの土台を作ったのは間違いなくNHW20です。

振り返ってみれば、NHW20は「ハイブリッド車」というカテゴリーそのものを確立したクルマでした。初代が種を蒔き、2代目が芽を出した。この世代がなければ、今の電動化の流れはもう少し違ったかたちになっていたかもしれません。技術史としても、商品企画史としても、NHW20は外せない一台です。

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2003年〜

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小鍛治康人(やすと)

この記事を書いた人

hodzilla51

クルマの系譜を追ってたら、いつの間にかサイトになっていました

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