ウラカンとは
ランボルギーニといえばV12のフラッグシップですが、会社を実際に支えてきたのは「小さいほう」でした。
フェルッチオ・ランボルギーニがそれに気づいたのは早く、1970年のP250、ウラッコから挑戦が始まります。V8を横置きミッドシップに積み、後席まで備えた2+2。ミウラの隣に、もっと現実的な価格で買えるランボルギーニを置く構想でした。
ただ、思惑どおりにはいきません。オイルショックと会社の経営難が重なり、ウラッコは十分な数を売れませんでした。1976年のP300、シルエットはウラッコにタルガトップを与えた発展型でしたが、生産台数はわずか54台。1981年のJalpaもカウンタックの影に隠れたまま、1988年に姿を消します。
「買えるランボルギーニ」という発想そのものは正しかった。それを事業として成立させる体力が、当時のランボルギーニにはなかったわけです。
答えが出たのは、アウディ傘下に入ってからでした。2003年のLP570-4、ガヤルドはV10を積み、品質と生産体制をフォルクスワーゲングループから受け取ります。結果は1万4000台以上。それまでの全モデルの累計を軽く超え、ランボルギーニは工房から会社になりました。
2014年のLP610-4、ウラカンはその路線をさらに推し進めます。アウディR8と骨格を共有しながら、電子制御で日常でも扱える一台に仕上げ、ガヤルドを上回る販売台数を記録しました。もはや「小さいほう」は補助線ではなく本流です。
そして2024年のテメラリオ。自然吸気V10をやめ、V8ツインターボと3基のモーターを組み合わせたプラグインハイブリッドになりました。10気筒の音を捨ててでも、この価格帯を守る。それだけの重みが、いまのベビーランボにはあります。
ウラッコからテメラリオまで、6モデル。ベビーランボの系譜は、スーパーカーメーカーが趣味の会社から企業へ変わっていく過程そのものです。






