初代S30型フェアレディZが残したものは、販売台数だけではありませんでした。
「日本車でもスポーツカーが作れる」という事実を世界に証明したこと。それ自体が、次の世代にとっては祝福であると同時に、とんでもなく重い宿題だったわけです。
S130型フェアレディZは、その宿題にどう答えたのか。結論から言えば、この車は「もっと速く」ではなく「もっと広く届ける」ほうに舵を切りました。
S30の後継という重荷
1978年に登場したS130型フェアレディZは、初代S30の正統後継モデルです。
S30は1969年のデビューから約10年間で、北米だけで50万台以上を売り上げた化け物でした。日産にとってZは単なるスポーツカーではなく、北米市場における最大のブランド資産だったのです。
ただ、1970年代後半の自動車業界は、S30が生まれた頃とはまるで違う風景になっていました。排ガス規制の強化、安全基準の厳格化、そして1973年のオイルショック以降に根付いた燃費意識。スポーツカーにとっては逆風しか吹いていない時代です。
そのうえ、北米のユーザー層が変わっていました。S30を買った人たちは、10年経ってもう少し大人になっている。家族が増えた人もいれば、快適性を求めるようになった人もいる。「次のZは、あの頃の興奮をそのまま再現すればいい」という単純な話ではなかったのです。
設計思想の転換点
S130の開発にあたって日産が選んだ方向性は、GTカー寄りへのシフトでした。
ホイールベースを延長し、室内空間を広げ、乗り心地を改善する。S30が持っていたライトウェイトスポーツ的な身軽さよりも、長距離を快適に走れるグランドツアラーとしての性格を前面に出したのです。
これは妥協ではなく、明確な戦略でした。北米市場で「2シーターのスポーツカー」として戦い続けるには、コルベットやポルシェ924といった競合と正面からぶつかることになる。日産が選んだのは、価格と快適性のバランスで独自のポジションを築く道でした。
S130では2シーターに加えて、2by2(2+2)と呼ばれる4座仕様が大きな柱になっています。後席は実用的とは言い難いものの、「スポーツカーだけど後ろにも人が乗れる」という事実が、北米の購買層には強く響きました。実際、北米での販売比率は2by2のほうが高かったとされています。
エンジンと走りの実像
パワートレインは、国内仕様ではL20E型の直列6気筒2.0Lが基本で、上級グレードにL28E型の2.8Lを搭載。
北米仕様はL28E型が標準でした。いずれもSOHCの直列6気筒で、S30時代からの系譜を引き継いでいます。
ただし、排ガス規制対応のために出力は抑えられていました。とくに北米仕様のL28E型は、触媒や各種デバイスの追加で本来のポテンシャルをフルに発揮しているとは言い難い状態です。当時のカー雑誌でも「もう少しパンチが欲しい」という声は少なくありませんでした。
この状況を大きく変えたのが、1982年に追加されたL20ET型ターボエンジン搭載モデルです。国内仕様で145馬力。数字だけ見れば控えめですが、当時の国産スポーツカーにとってターボの搭載は大きなニュースでした。日産はこのZターボで、規制時代のパワーダウンを技術で取り返しにかかったのです。
北米向けにもターボモデルは投入され、こちらはZXターボとして展開されました。ブーストがかかったときの加速感は、NA仕様とは明確に違うもので、Zのスポーツカーとしての存在感を取り戻す役割を果たしています。
Tバールーフという発明
S130を語るうえで外せないのが、Tバールーフの採用です。ルーフの左右に脱着式のガラスパネルを設けたこの構造は、フルオープンのコンバーチブルほどボディ剛性を犠牲にせず、開放感を味わえるという折衷案でした。
これはアメリカ市場の嗜好を強く意識した装備です。カリフォルニアの陽射しの下でルーフを外して走る。そういう使い方が、Zのライフスタイルイメージと完璧に噛み合いました。実際、Tバールーフ仕様は北米で爆発的に売れています。
ただし、ルーフを切り欠いたことによる剛性低下は避けられません。走りの純度を重視するユーザーからは賛否が分かれた部分でもあります。それでも、商品としての魅力を大幅に高めたという点では、Tバールーフは間違いなくS130の成功を支えた要素のひとつです。
売れた、でも語られにくい世代
S130型フェアレディZは、北米市場を中心に商業的には大きな成功を収めました。生産期間中の累計販売台数は約44万台。S30の記録には及ばないものの、スポーツカーとしては十分すぎる数字です。
それでも、S130は歴代Zの中で語られる機会が少ない世代でもあります。理由はおそらくはっきりしていて、S30ほどの衝撃もなければ、次のZ31ほどの技術革新もない。「つなぎの世代」と見なされやすいのです。
しかし、それは少し不公平な見方かもしれません。S130がやったことは、Zというブランドを「一発屋」で終わらせず、継続的に売れる商品として定着させることでした。初代の熱狂だけでは、シリーズは続きません。市場の変化に対応しながら、Zの名前を守り、次の世代に渡す。地味に見えるけれど、それはとても難しい仕事です。
世界戦略車としてのZを確立した世代
S130型フェアレディZの本質的な功績は、Zを「日産の世界戦略車」として確立したことにあります。S30が切り拓いた市場を、S130が制度化した。快適性、ターボ技術、Tバールーフといった要素は、すべて「より多くの人に、より長く選ばれるZを作る」という一貫した思想から生まれています。
その後のZ31、Z32へと続く進化の土台は、S130の時代に固められました。Zがスポーツカーであると同時にGTカーであるという二面性。北米市場を最重要ターゲットとする商品設計。ターボによるパフォーマンスの底上げ。これらはすべて、S130が最初に形にしたものです。
派手さでは初代に譲ります。技術的なインパクトでは後継に譲るかもしれません。でも、S130がなければ、Zは「伝説の一台」で終わっていた可能性がある。
シリーズを「続けられるもの」にした功労者として、もう少し正当に評価されていい世代だと思います。
