スープラ – A70トヨタが本気でGTカーを作ろうとした転換点

スープラという名前を聞いて、多くの人がまず思い浮かべるのはA80型かもしれません。あの2JZ-GTEを積んだ怪物です。
でも、そのA80が生まれる土壌を作ったのは、間違いなくこのA70型でした。トヨタが「セリカXX」の名前を捨て、グローバルで「スープラ」として独立させた最初の世代。
つまりこの車は、トヨタがGTスポーツを本気でやると宣言した転換点です。
セリカXXからの独立という決断

セリカXX – A60【セリカから離れ、GTの名乗りを上げた転換点】
セリカXXの後継として1981年に登場したA60型スープラ。北米ではスープラを名乗り、直6エンジンとGT性能で独自路線を切り拓いた、系譜上の重要な転換点を読み解きます。
A70型スープラは1986年に登場しました。それ以前、日本市場では「セリカXX(ダブルエックス)」として販売されていた車の後継にあたります。北米ではすでに初代からスープラの名が使われていましたが、日本国内でもこの世代からセリカの名を外し、スープラとして独立しました。
なぜ独立させたのか。理由はシンプルで、セリカとは明確に別の車にしたかったからです。セリカはFF化が進み、よりパーソナルなスペシャルティカーの方向へ舵を切りつつありました。一方でスープラは直列6気筒をフロントに縦置きし、後輪を駆動するFRレイアウトを堅持しています。
プラットフォームもセリカとは異なり、当時のマークII/ソアラ系と共有する、いわゆるトヨタのFR上級プラットフォームがベースです。つまりA70型スープラは、セリカの上位グレードではなく、ソアラと同じ土俵に立つGTスポーツとして位置づけられていました。
直6ツインターボという武器

スープラ – A80【バブルの残り火が生んだ、奇跡の国産最高峰GTマシン】
トヨタが採算を度外視して作り上げたA80スープラ。直6ツインターボ・2JZ-GTEを心臓に持つこのGTカーは、なぜあの時代にしか生まれ得なかったのかを読み解きます。
A70型スープラの心臓部として最も語られるのが、1JZ-GTE型 2.5L 直列6気筒ツインターボです。1990年のマイナーチェンジで搭載されたこのエンジンは、280馬力を発生しました。これは当時の自主規制上限値であり、日産・スカイラインGT-R(BNR32)やホンダ・NSXと並ぶ、国産最高出力の一角です。
ただし、デビュー当初のエンジンラインナップはもう少し控えめでした。初期型では7M-GTE型の3.0L直6ターボ(230馬力)が最上位で、自然吸気の7M-GE型や、1G-GTE型の2.0L直6ツインターボも用意されていました。日本市場では2.0Lターボが税制面で有利だったため、実はこちらが売れ筋だったりもします。
重要なのは、どのエンジンを選んでも直列6気筒だったという点です。トヨタはこの車に4気筒を載せませんでした。直6のスムーズな回転フィールこそがスープラのアイデンティティであり、それはA80型、さらにはその先まで受け継がれる設計思想の出発点になっています。
GTカーとしての設計思想

セリカXX – A40/A50【セリカから枝分かれした直6の野心】
セリカXXとして日本で生まれ、北米ではスープラを名乗った初代。直列6気筒を積むためにセリカを引き延ばすという力技が、後のスープラ系譜の出発点になりました。
A70型スープラをピュアスポーツカーと呼ぶのは、少し違います。この車の本質はグランドツーリングカーです。高速巡航を快適にこなしながら、ワインディングではドライバーの意思に応えるだけの運動性能を持つ。そういう設計です。
サスペンションはフロントがダブルウィッシュボーン、リアがセミトレーリングアーム。当時としては標準的な構成ですが、後期型ではTEMS(Toyota Electronically Modulated Suspension)と呼ばれる電子制御サスペンションが採用され、乗り心地とスポーツ走行の両立を図っています。
ボディサイズも、全長4,620mm、ホイールベース2,595mmと、2ドアクーペとしてはかなり大柄です。車重も1,400kgを超えるモデルが多く、軽快に振り回すタイプの車ではありません。むしろ高速域での安定感や、長距離を走ったときの疲れにくさに美点がありました。
エアロダイナミクスにも力が入っていました。リトラクタブルヘッドライトを採用したフロントフェイスは、空力を意識した低いノーズラインを実現しています。大型のリアスポイラーも単なる飾りではなく、高速域でのリフト抑制に寄与するものでした。
バブルと自主規制の時代に

GRスープラ – A90【17年の沈黙を破った、トヨタが一人では作れなかった直6FR】
17年ぶりに復活したスープラA90。BMWとの共同開発という異例の選択の裏には、トヨタ単独では成立しえなかった直6FRスポーツの現実があった。その開発経緯と存在意義を読み解く。
A70型スープラが生きた1986年から1993年という時間軸は、日本の自動車史において特殊な時代です。バブル経済の追い風を受け、各メーカーが採算度外視とも言える高性能車を次々に投入していました。
スープラの直接的なライバルは、日産・フェアレディZ(Z31/Z32)でしょう。同じ直6FRのGTスポーツという構図です。さらに1989年にはR32型スカイラインGT-Rが復活し、NSXも登場します。国産スポーツカーの黄金期のまっただ中に、A70型は存在していました。
この激しい競争環境が、1990年のマイナーチェンジで1JZ-GTEを載せるという判断を後押ししたのは間違いありません。280馬力の自主規制枠いっぱいまで出力を引き上げなければ、ライバルに対して商品力で見劣りしてしまう。そういう時代でした。
ただ、この時代の恩恵と制約は表裏一体です。280馬力という数字は各社横並びになり、カタログスペックだけでは差別化が難しくなりました。A70型スープラは、パワーの数字だけでなく、直6の質感やGTとしての快適性で勝負する必要がありました。
チューニングベースとしての評価

レビン/トレノ - AE92 【FFになった日、伝説が分岐した】
AE86の後継としてFF化されたAE92レビン/トレノ。なぜFRを捨てたのか、何を得て何を失ったのか。1987年登場の5代目カローラレビン/スプリンタートレノの存在意義を読み解きます。
A70型スープラは、市販状態での完成度とは別に、チューニングベースとしても高く評価されてきました。とくに1JZ-GTE搭載モデルは、エンジン自体のポテンシャルが非常に高く、タービン交換や制御系の変更で大幅なパワーアップが可能でした。
FRレイアウトに直6ターボという組み合わせは、ドリフト競技やタイムアタックの世界でも重宝されています。後継のA80型ほど中古車価格が高騰していないこともあり、実用的なチューニングカーとして長く愛されてきた側面があります。
もっとも、ベース車としての人気は、裏を返せば「ノーマルのままで語られにくい」という面も含んでいます。A70型は、純正状態の完成度よりも、手を入れたときの伸びしろで評価される傾向がありました。これは良い意味でも悪い意味でも、この車の性格を表しています。
A80への橋渡しとして

マークII – GX81/JZX81【ハイソカーの頂点に立った6代目】
バブル期の空気を全身にまとった6代目マークII。直6ツインターボを得て走りの格を上げつつ、ハイソカーブームの象徴として時代そのものを映した一台を読み解きます。
A70型スープラは1993年に生産を終了し、後継のA80型にバトンを渡します。A80型は2JZ-GTEという伝説的なエンジンを得て、スープラの名を世界的なものにしました。しかしA80型が最初からあの方向性で開発できたのは、A70型が「セリカとは別の、直6FRのGTスポーツ」という路線を確立していたからです。
A70型が残したものは、エンジンやシャシーの技術だけではありません。「スープラとは何か」という問いに対する最初の回答を示したことが、最大の遺産です。直列6気筒、フロントエンジン・リアドライブ、高速巡航も楽しめるGTスポーツ。この定義は、A80型を経て、2019年に復活したDB型スープラにまで通底しています。
振り返ると、A70型スープラは派手なヒーローではなかったかもしれません。同世代のGT-RやNSXほどのアイコン性はなく、後継のA80型ほどの伝説性もない。
でも、トヨタがスポーツカーの系譜を本気で作ろうとしたとき、その起点になったのはこの車でした。
地味に見えるかもしれないけれど、ここがなければその先はなかった。
スープラの伝説はA80で完成したのかもしれない。けれど、その輪郭を最初に描いたのはA70でした。


スープラ – A70【トヨタが本気でGTカーを作ろうとした転換点】
Toyota
クルマのかるた
煽りだけで、クルマがわかるか。



