ミニ・クーパーS – Mk III【最後の本物が背負った、終わりの始まり】

  • hodzilla51
  • 7分で系譜を理解
ミニ・クーパーS – Mk III【最後の本物が背負った、終わりの始まり】

「最後の本物のクーパーS」という言い方は、少し感傷的に聞こえるかもしれません。

でもMk IIIのクーパーSを語るとき、この表現はかなり正確です。

1970年に登場し、1971年にはカタログから消えたこのモデルは、BMCが築いたミニ・クーパーSの系譜を正統に受け継いだ、文字通り最後の一台でした。

なぜたった1年ほどで終わったのか。それはクルマの出来が悪かったからではありません。むしろ逆です。

このクルマが消えた理由は、メーカーの都合にありました。

ブリティッシュ・レイランドという現実

Mk IIIクーパーSの話をするには、まずメーカー側の事情から入る必要があります。1968年、BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)はレイランド・モーターズと合併し、ブリティッシュ・レイランド(BL)が発足しました。巨大な国営企業体制の誕生です。

BLの経営陣にとって、ミニは悩ましい存在でした。売れている。でも利益が出ない。アレック・イシゴニスの天才的な設計は、製造コストという観点では決して優秀ではなかったのです。そしてクーパーSはさらに厄介でした。ジョン・クーパーへのロイヤリティ支払いが発生する上に、手間のかかるチューニングエンジンを積んでいる。BLの合理化路線とは、根本的に相性が悪かったわけです。

Mk IIIで何が変わったのか

1969年後半から1970年にかけて、ミニは全体的にMk III世代へと移行しました。外観上の最大の変化は、それまでのドアヒンジが外付けだったものが内蔵式になったこと。巻き上げ式のウインドウも採用され、見た目の印象はかなり「普通のクルマ」に近づきました。

クーパーS 1275もこの流れに乗っています。エンジンは従来どおりの1,275cc・AシリーズをベースとしたクーパーSユニットで、公称約76馬力。数字だけ見ると現代の軽自動車にも劣りますが、車重が約650kg前後しかないことを考えれば、パワーウェイトレシオは相当なものです。

サスペンションにはラバーコーン式が引き続き使われ、ハイドロラスティック(液体連結式サスペンション)からの回帰がなされていました。これはMk IIの途中から始まった変更で、Mk IIIでも踏襲されています。ドライバーの間では「ラバーコーンのほうがダイレクトで良い」という評価が定着していたので、この判断は歓迎されました。

ブレーキは前輪に7.5インチのディスクブレーキを装備。これもクーパーSの伝統です。当時の小型車でディスクブレーキを標準装備していること自体が、このクルマの立ち位置を物語っています。

走りの本質は変わらなかった

Mk IIIのクーパーSに乗った人たちの評価は、おおむね一貫しています。「Mk IIと本質的に同じ。でも少しだけ洗練された」と。巻き上げ式ウインドウのおかげで高速走行時の風切り音が減り、内蔵ヒンジのドアは見た目にもすっきりしました。

ただ、走りの核心部分には手が入っていません。FFレイアウト特有のフロントヘビーなハンドリング、10インチタイヤが路面を掴む独特の接地感、そしてAシリーズエンジンの回して楽しい特性。これらはMk Iの時代から変わらないクーパーSのDNAそのものです。

モンテカルロ・ラリーでの伝説的な活躍を支えたのと同じ基本設計が、市販車にそのまま残っていた。これは当時としても、そして今振り返っても、かなり贅沢なことでした。

なぜ1年で消えたのか

1971年、BLはクーパーSの生産を終了します。同時にクーパー(非S)の998ccモデルもカタログから落ちました。つまり「クーパー」の名前そのものが、ミニのラインナップから消えたのです。

理由は複合的ですが、最大の要因はBL経営陣の判断です。ジョン・クーパーとのライセンス契約を更新しないという決定が下されました。表向きの理由は「ラインナップの整理」ですが、実態としてはロイヤリティ削減とブランド管理の一元化が目的だったと見られています。

代わりに登場したのが「ミニ1275GT」です。クラブマン顔のボディにシングルキャブの1,275ccエンジンを積んだこのモデルは、クーパーSの後継を謳いましたが、エンジンはクーパーSチューンではなく標準仕様。パワーも約59馬力と大幅に落ちていました。

要するに、クーパーSの「名前」と「中身」の両方が同時に失われたわけです。1275GTは悪いクルマではありませんでしたが、クーパーSの代わりにはなれなかった。これは当時のオーナーたちが最も強く感じていたことでしょう。

生産台数が語る希少性

Mk IIIのクーパーS 1275は、生産期間が極めて短かったこともあり、台数は約1,570台とされています。Mk I時代の数千台規模と比べると、圧倒的に少ない。この希少性が、現在のクラシックカー市場での評価を押し上げている一因でもあります。

ただし、希少だから価値があるという単純な話ではありません。Mk IIIクーパーSは、「ジョン・クーパーが関与した最後のファクトリーモデル」という系譜上の意味を持っています。1990年代にクーパーの名前がミニに復活するまで、約20年の空白がありました。その空白の直前に立っているのが、このMk IIIなのです。

終わりの形をした、ひとつの完成

Mk IIIクーパーS 1275は、劇的な進化を遂げたモデルではありません。Mk IIからの変更点は、正直なところ小幅です。でも、それこそがこのクルマの本質かもしれません。

イシゴニスの設計とクーパーのチューニングという、ミニの黄金期を形作った二つの要素が、最後まで手つかずで残されていた。企業の都合で消えることが決まっていたにもかかわらず、クルマそのものは妥協していなかった。

系譜の終点に立つクルマには、二つのタイプがあります。

時代に合わなくなって薄まっていったものと、外から強制的に打ち切られたもの。Mk IIIクーパーSは明らかに後者です。

だからこそ、このクルマには「最後の本物」という言葉がよく似合うのです。

クーパーSの系譜

小鍛治康人(やすと)

 

ミニ・クーパーS – Mk III【最後の本物が背負った、終わりの始まり】

Mini

小鍛治康人(やすと)

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hodzilla51

クルマの系譜を追ってたら、いつの間にかサイトになっていました

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