シティターボII ブルドッグ – AA過剰こそが正義だった時代の突然変異

ブルドッグ、という愛称がすべてを物語っています。
小さな体に不釣り合いなほどの力を詰め込み、ずんぐりしたボディで路面に噛みつくように走る。
1983年に登場したホンダ・シティターボII(AA型)は、コンパクトカーの枠を完全に踏み越えた一台でした。
ただの過激グレードではなく、当時のホンダが持っていた「やりすぎる体質」が最も鮮やかに表れたクルマです。
ターボ戦争のど真ん中で


Super-ONE【令和のブルドッグ、軽EVの枠を壊して生まれたホットハッチ】
N-ONE e:をベースに軽自動車規格を超越した小型EVスポーツ、Super-ONE。BOOSTモードや仮想有段シフトなど、EVの常識を覆す仕掛けの裏にあった開発思想と、1983年のシティターボIIブルドッグとの系譜を読み解く。
1980年代前半の日本車マーケットは、ターボチャージャーに取り憑かれていました。
日産マーチターボ、スズキ・アルトワークス(少し後ですが)、そしてダイハツ・シャレードのディーゼルターボまで。
排気量の大小を問わず「ターボを載せれば正義」という空気が、業界全体を覆っていた時代です。
ホンダはもともとターボに対して慎重なメーカーでした。NAの高回転で馬力を稼ぐのがホンダの流儀であり、過給に頼ることへの抵抗感は社内に確実にあったはずです。しかし1982年、初代シティ(AA型)にターボモデルを追加したあたりから風向きが変わります。
初代シティターボは100psを発揮し、車重約770kgの軽い車体と組み合わさることで十分以上に速いクルマでした。ところが、マーケットはすぐに「もっと」を求めます。ライバルたちが次々とパワーを上乗せしてくる中、ホンダが出した回答がシティターボIIでした。
インタークーラーという飛び道具

プレリュード – AB/BA1【"デートカー"の原点にして、ホンダの技術実験場】
1982年登場の2代目プレリュード。リトラクタブルライトと低いボンネットで"デートカー"の代名詞となったが、その中身はFF用ダブルウィッシュボーンや日本初4輪ABS、B20A型DOHCなど、ホンダの先端技術を惜しみなく注いだ意欲作だった。
シティターボIIの最大のトピックは、インタークーラー付きターボの採用です。排気量わずか1,231ccのER型エンジンに、空冷インタークーラーを組み合わせて110psを絞り出しました。リッターあたり約89ps。1983年の量産コンパクトカーとしては、かなり攻めた数字です。
インタークーラーとは、ターボで圧縮されて高温になった吸気を冷やす装置です。空気の温度を下げれば密度が上がり、より多くの酸素をエンジンに送り込める。つまり同じ過給圧でもパワーが上乗せできるわけです。当時はまだインタークーラーターボが珍しく、これを小さなシティに載せたこと自体がニュースでした。
トルクも15.0kgf·mに達しており、数字だけ見れば当時の1.6Lクラスに匹敵します。車重は約810kgですから、パワーウェイトレシオは約7.4kg/ps。現代の感覚でも十分に「速い部類」に入る水準です。
あの異形のスタイリングの理由

インテグラ – DA1/DA2【ホンダが「スポーティの量産」を始めた日】
1985年登場の初代インテグラDA1/DA2は、ホンダがスポーティさを特別なものではなく日常に溶け込ませようとした最初の一手だった。クイントの後継として生まれたその設計思想と時代背景を読み解く。
ブルドッグの名を決定づけたのは、あの独特の外観です。ボンネット上の大きなパワーバルジ、前後に追加されたオーバーフェンダー、そしてルーフ後端のスポイラー。ノーマルのシティが持っていた「トールボーイ」の愛嬌あるプロポーションは、完全に別の生き物に変貌しています。
ただ、これは見た目のハッタリだけではありません。パワーバルジはインタークーラーの搭載スペースを確保するために必要でした。オーバーフェンダーも、ワイド化されたトレッドとタイヤを収めるための機能的な処理です。
つまり「速くするために必要な変更をすべてやったら、こうなった」というのが正確な表現でしょう。機能がデザインを規定した結果、あのブルドッグ顔が生まれた。意図せず生まれた迫力というのは、狙って作ったアグレッシブさよりも説得力があるものです。
足まわりも当然強化されています。スプリングレート、ダンパー減衰力ともに引き上げられ、フロントにはベンチレーテッドディスクブレーキを装備。小さなボディに大きなパワーを受け止めるための備えが、一通り施されていました。
「マンマキシマム・メカミニマム」の極北

シビックSiR - EF9 【VTEC神話の夜明け】
Type RのDNAを遡る 「赤バッジに宿る狂気は、どこから始まったのか?」 CIVIC Type Rという大看板の源流を探ると、必ず行き当たるのが1989年登場のグランドシビック SiR(EF9)です。 量産車として世 […
ホンダにはかつて本田宗一郎が掲げた「マンマキシマム・メカミニマム」という思想があります。メカニズムの占有スペースを最小にし、人間のための空間を最大にする、という考え方です。初代シティのトールボーイデザインは、まさにその思想の申し子でした。
シティターボIIは、その思想を守りながら性能を極端に引き上げたクルマです。全長3,380mm、ホイールベース2,220mmという極めてコンパクトなパッケージは変えない。室内空間もほぼそのまま。でもパワーは110ps。この「小さいまま速くする」という方針が、ブルドッグの本質です。
当時のホンダは、F1参戦を控えてエンジン技術に対する自信と野心が膨らんでいた時期でもあります。1983年はホンダが第2期F1に復帰した年。ターボエンジンの技術を市販車にフィードバックする──という物語は、多少マーケティング的な脚色を含むとしても、社内の空気としてはリアルだったはずです。
速さの代償と、時代の限界

NSX – NA1 / NA2【ホンダが本気で作った「日常で乗れるスーパーカー」】
1990年登場のホンダNSX(NA1/NA2)は、スーパーカーに快適性と信頼性を持ち込んだ異端児。オールアルミボディとミッドシップV6で世界を驚かせた開発背景と、その功罪を読み解きます。
もちろん、ブルドッグには弱点もありました。ターボラグは当時の技術では避けられず、低回転域のトルクの谷は明確に存在していました。ブースト圧が立ち上がった瞬間に一気にパワーが押し寄せる、いわゆる「ドッカンターボ」の特性です。
ショートホイールベースに110psという組み合わせは、腕のあるドライバーには楽しくても、一般ユーザーにとっては少々扱いにくいものでした。特にウェット路面でのトラクション不足は、当時のオーナーたちが口を揃えて指摘するポイントです。
また、トールボーイゆえの高い重心は、ハードコーナリング時に不利に働きます。ワイドトレッド化やサスペンション強化である程度カバーしてはいるものの、物理的な制約は消しきれません。「速いけど、ちょっと怖い」──それがブルドッグの正直な乗り味だったと言えるでしょう。
系譜の中での意味

BEAT – PP1【軽自動車にミッドシップを積んだ、ホンダの本気の遊び】
1991年登場のホンダ・ビート(PP1)。軽自動車枠にミッドシップレイアウトを持ち込んだ異端の一台は、なぜ生まれ、何を残したのか。開発背景と設計思想を読み解きます。
シティターボIIは、後継車に直接つながるモデルではありません。
2代目シティ(GA型)はターボを廃止し、よりオーソドックスなコンパクトカーへと方向転換しました。ある意味、ブルドッグは初代シティという器の中でしか成立し得なかった、一代限りの突然変異です。
20260410追記:まさか令和にSuper-ONEのようなクルマが出るとは…
しかし、このクルマが残したものは小さくありません。「ホンダは小さいクルマでも本気で速くする」というブランドイメージは、後のシビックSiR、そしてタイプRシリーズへと確実に接続しています。コンパクトなボディに高出力エンジンを組み合わせるという発想の原型が、ここにあります。
さらに言えば、ブルドッグは「モータースポーツとの接点を持つ市販車」としても重要です。ワンメイクレースが開催され、若いドライバーの登竜門としても機能しました。クルマ好きの裾野を広げるという意味で、このクルマが果たした役割は過小評価されるべきではありません。
シティターボII ブルドッグは、パワーウォーズという時代の熱狂と、ホンダという企業の体質が掛け合わさって生まれた、極めて時代的な一台です。
冷静に見れば過剰で、合理的に考えれば無茶で、でもだからこそ面白い。「小さいクルマは退屈」という常識を、力ずくで壊した。
それがブルドッグの存在意義です。


シティターボII ブルドッグ – AA【過剰こそが正義だった時代の突然変異】
Super-ONE
クルマのかるた
煽りだけで、クルマがわかるか。



